[過去ログ] ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ4 (1002レス)
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162: 2019/02/08(金)07:06 ID:0(149/959) AAS
滅びるイギリスには相応しいやり方。
163
(1): 2019/02/08(金)08:16 ID:0(150/959) AAS
>>118
ササン朝に対抗してローマ軍の主力がカタフラクトになったから
軍事の担い手がドナウ国境出身とかの叩き上げの軍人層に移行した
ローマ領内でイラン系民族のように鐙なしでカタフラクトをやれたのは
アルメニア人やドナウ国境のイリュリア人とトラキア人だけだった
164: 2019/02/08(金)09:15 ID:0(151/959) AAS
>>157
最近の研究の内容を読み込んで、
複数の研究者の明らかにしてきたモザイクピースを組み合わせてみると、

>>何にもしない京都政府

って史観は実態に即してないんだよ。

古くからの史観では、平安中期10世紀以降の中央貴族を無気力になって
地方統治の意欲をなくした、って表現してたんだけど、
実態は、律令制を施行する上で実質的に依存していた
地方の首長制共同体が崩壊してしまって、手の下しようがなくなった
と見た方が実態に即している。
省10
165: 2019/02/08(金)09:24 ID:0(152/959) AAS
>>155
>>農奴化して武装出来なくなった農民らはセルジューク朝に対しては
>>全く抵抗出来なかった

日本の10世紀の社会変動とか、ローマ帝国の崩壊現象とか眺めてみると、
農奴制とか封建制とかって、マルクスが語ったような
奴隷制の生産力進歩の帰結としての必然的な発展段階なんてもんじゃなくて、
何らかの原因による在地共同体社会の崩壊によって、
新たな共同体社会が再編されるまでの過渡的なフェイズなんじゃないかって
思えてならないんだよね。

つまり、都市国家社会とか部族制社会とか首長制社会とかいった
省4
166
(1): 2019/02/08(金)09:53 ID:0(153/959) AAS
>>163
カタフラクトって、マルコマンニ戦争の後に起きた
ドナウ国境地帯のイリュリア系叩き上げ軍人の台頭や、
それに伴うイリュリア系軍人皇帝の時代にもうあったっけ?
167
(1): 2019/02/08(金)10:41 ID:0(154/959) AAS
>>146
フランクの「リオリエント」の中の中世日本の描写も安良城盛昭あたりを下敷きにしたと思しきものだったけど、言葉の壁も翻訳に伴うタイムラグもあるから仕方ない面があるんだよねえ。

フランクの日本史に関するネタ本は”The Cambridge History of Japan”あたりかな。英語圏から見たらマイナーな各国史については多分そのレベルの知識で書き飛ばしてる部分がある。

ローマ帝国研究なんかも本当は一つの世界だったものが現代の国民国家の境界線で分断されて「ローマ時代の○○史研究」になってしまっている、本当はこれではいけないというのは南川センセイもゆってたな。
168
(1): 2019/02/08(金)10:48 ID:0(155/959) AAS
>>166
ウァレリアヌス帝がササン朝に敗北すると
息子のガッリエヌス帝が騎兵を軍の主力にしたとされる
おそらくウァレリアヌス帝が軍団の多くを連れて遠征したので
ガッリエヌス帝の手元に残った兵の多くが騎兵だったのだろう
ササン朝軍じたいはカタフラクトを主力とするパルミラが撃退した
169: 2019/02/08(金)13:18 ID:0(156/959) AAS
>>167
>>フランクの日本史に関するネタ本は”The Cambridge History of Japan”あたりかな。英語圏から見たらマイナーな各国史については多分そのレベルの知識で書き飛ばしてる部分がある。

実は10年以上前、ごく初期のWikipediaのアクティブな投降者同士の情報交換掲示板で
いろいろとやり取りしていたことがあるんだが、参加者の中にWikipedia英語版の
日本史記事の修正に取り組んでいる人がいてね。

その人いわく、日本の中世武家社会というものが、まるでスコットランド高地人の
氏族社会とパラレルな社会のように誤解されているのが日本史の日本語による
研究成果の先端に疎い英語圏の実情なんだそうな。

ちなみに、初期のWikipedia日本語版の日本史記事執筆陣には
日本史研究の先端部に触れた史学科出身者たちが新しい研究に基づいて
省6
170: 学術 2019/02/08(金)13:36 ID:0(157/959) AAS
ガーヴィッジの方が陰鬱ですごい現代的暗黒。
171: 2019/02/08(金)14:16 ID:0(158/959) AAS
途中気違いがいるな
172
(2): 2019/02/08(金)19:05 ID:0(159/959) AAS
>>168
そもそも、帝政末期のローマ帝国における騎兵育成システムってのはどうなっていたんだろうか。
パルティアみたいな純遊牧民の生粋の騎馬民族による騎馬軍団はあり得ないし、
中世西欧みたいな封地を与えて幼少期から英才教育を施す世襲騎士身分を創り出していたわけでもない。
また、共和政〜帝政初期みたいな都市国家富裕層の自弁制騎兵というのも考えにくい。

サーサーン朝の重装騎兵ってのは、アケメネス朝時代から帝国支配層の構成員として引き継いだ
遊牧民貴族の率いた牧民騎兵なのかな。
173
(2): 2019/02/08(金)19:07 ID:0(160/959) AAS
>>160
民族の入れ替わりとか起きてないぞ
一番人口が多いゴート族でも30万とかその程度しかいないからな
日本は大陸から隔たった島国だから庶民も支配層も基本的に同じ人種だが
大陸国家だとポーランド・リトアニアみたいに階級ごとに人種が違う国とか珍しくないぞ
174: 2019/02/08(金)19:23 ID:0(161/959) AAS
>>173
ヨーロッパでもそうだけど、中国史でも岡田英弘の五胡十六国〜南北朝時代の古漢族絶滅説はあまりの極論で、
実際には華北では先住華北人とモンゴリアとマンチュリアから南下した遊牧民武装難民の融合、
江南では先住江南人と華北から南下した華北人武装難民の融合が起きてるんだよね。
ネット上では岡田大先生の極論がもてはやされていて、
周代〜漢代の古漢族は子孫が残っていないと主張している人が目立つけど。
175
(1): 2019/02/08(金)19:41 ID:0(162/959) AAS
完全に民族浄化できる程の組織力なんて現代の中国レベルでも存在しないのに旧民族皆殺しは無理がありすぎるよねぇ
子孫とは言っても文化的な継承を行っていない遺伝的子孫でしかないだろうから、文化を引き継いでなければ子孫とは呼べない!と主張するならともかく
176: 2019/02/08(金)19:52 ID:0(163/959) AAS
>>173
旧ローマ領に侵入したゲルマン民族の人口は、ローマ住民に対し多い地域で2%
177: 2019/02/08(金)23:45 ID:0(164/959) AAS
>>172
バルカンがスラブ化してしまった事から
イリュリア人とトラキア人は牧畜民で
スラブ人よりも人口が少なかったようだ
イリュリア人とトラキア人は牧畜民なので
乗馬が得意で騎兵に適していたようだ

ササン朝は王朝が代わっただけでパルティアと住民が同じだった
スーレン家とかパルティア貴族らも引き続き健在だった
178: 2019/02/09(土)10:32 ID:0(165/959) AAS
>>172
ローマ領に移住したサルマタイやアランとか遊牧民が
騎兵のお手本になったのだろう
マクシミヌス・トラクス帝は母親がアラン族だった
サルマタイとアランは女戦士の風習があり
アマゾーンはこれに由来した
179: 2019/02/09(土)16:45 ID:0(166/959) AAS
マジか!?
サルマタイやアランにはいわゆる「くっ…殺せ」なシチュエーションがありえたとか胸アツだな
180: 2019/02/09(土)18:40 ID:0(167/959) AAS
サルマタイとアランは遊牧民としては珍しく重装騎兵による白兵戦を得意としたこと
女性の地位の高さや女騎士も普遍的に存在したことなどなどロマンあふれる存在
それ故にクロアチアやポーランドなど自分たちこそその末裔だと名乗りをあげる国は今でも多い
181: 2019/02/09(土)18:45 ID:0(168/959) AAS
他に遊牧民で重装騎兵の突撃を得意としたのは、
慕容や拓跋といった鮮卑系遊牧民か。
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