[過去ログ] アイヌの歴史 Part8 (1002レス)
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67: 2021/05/23(日)08:57 ID:0(67/1000) AAS
>>66
阿倍比羅夫の蝦夷征討は白村江の戦いより前だよ?
恥ずかしい子だね😊
68: 2021/05/23(日)08:57 ID:0(68/1000) AAS
動画リンク[YouTube]
この動画シリーズで解説してきたアイヌに関する情報をまとめてみましょう。

・元史によれば、モンゴル軍は樺太に住むアイヌと推定される部族を1264年から二回にわたって攻撃している。
・文献資料において初めて北海道アイヌの存在が確認されるのは13世紀からである。
・アイヌ文化の考古遺跡もまた、13世紀以降の物しか確認されていない。
・それ以前の北海道は擦文文化の時代であり、その前は続縄文時代であり、そのまた前は縄文時代である。これらは土器の違いで分類されている。
いずれも竪穴式住居に住んでおり、漆の文化を持っていた。これらの文化は北海道から東北部までまたがって分布しており、人の移動、交流もあったと推測されている。
・アイヌ文化は北海道限定で生まれた。アイヌは掘立柱建物に住んでおり、漆の文化は持っていなかった。
・アイヌの風習である「熊送り」は樺太〜アムール川周辺の諸部族と共通するものである。
・アイヌ文様は樺太〜アムール川周辺の諸部族のものと類似している。
省11
69
(1): 2021/05/23(日)08:58 ID:0(69/1000) AAS
>>65
新羅(プレ韓国人)と蝦夷(プレアイヌ)は、記紀編纂時、依然としてヤマトと敵対関係にあったため、徹底的に卑しめて描写された
記紀は百済人(漢氏)によって編纂されたため、新羅に関する記述はとくに憎しみが込められている
ネトウヨが韓国人を憎悪するのは、百済人の古の記憶(白村江の敗戦)がDNAに刻み込まれているためだろう

蝦夷征伐の初戦では、夷王アテルイがヤマト侵略軍(倭・百済)に一泡吹かせるが
このときの蝦夷は、もしかしたら新羅から間接的なサポート(武器の供給など)を受けていたのかもしれない
アイヌ協会と在日コリアン団体がいまでも親密にしているのは、この系譜上にくるものだろう

まあ、簡潔に述べると、天皇の正体は扶余系・百済人であり、倭人の正体はムムン・コリアン(無文土器人)である
70
(1): 2021/05/23(日)09:12 ID:0(70/1000) AAS
>>69
蝦夷征伐の初戦?とやらはアテルイの生きていた時代じゃないよ
だって白村江の戦いよりも前に蝦夷征討した阿倍比羅夫はアテルイよりずっと前の人だもん
「蝦夷征伐の初戦」とやらにアテルイが参加することが物理的に不可能なんだけど

どったの朴ちゃん頭大丈夫?
71
(1): 2021/05/23(日)09:15 ID:0(71/1000) AAS
ネトウヨガーの鳴き声しか上げない虫と遊んでも楽しくないんやが..
72
(1): 2021/05/23(日)09:27 ID:0(72/1000) AAS
>>66
Hi, Mr Ideot.

どうして658年に阿倍比羅夫が水軍180隻を率いて蝦夷を討伐してその後の662年に同じく阿倍比羅夫が白村江の戦いに行っているのに
「その負けた腹いせに」になるんですか?

Are you an idiot who can't understand which event had happened first?
73
(2): 2021/05/23(日)09:45 ID:0(73/1000) AAS
>>70-72
では倭ベンキ人に北海道を奪われたアイヌは歴史の被害者なのか?

写真を見ておのおの判断しましょう

北海道YOSAKOIソーラン祭
画像リンク[jpg]:www.jiji.com

アイヌ
画像リンク[jpg]:i.imgur.com
74: 2021/05/23(日)09:46 ID:0(74/1000) AAS
>>73
 これら全てと矛盾なく整合する、北海道アイヌの起源についての仮説モデルはどのようなものでしょうか。
 現在、大きく分けて二つの仮説モデルが存在しています。
 一つ目は、アイヌは樺太以北のどこかで民族を形成したというものです。それが、1264年から始まったモンゴルによる攻撃を逃れるために北海道にそっくり居住地を移したというもの。
これが私の動画で呼ぶところの「長浜仮説」です。
 もう一つは、「北海道が起源だとするあいまいな仮説」です。
北海道アイヌ文化が樺太以北のオホーツク文化の影響を強く受けていること自体は確定的であり、異論が存在しません。
 しかし、北海道アイヌ文化の形成については、「オホーツク文化と擦文文化が融合して生まれた」とのみ説明されるのが定番です。
しかし、この説明においては、アイヌ文化の担い手がどのような人々だったのかは曖昧にされているように思えます。
 これは、三つの可能性を想定できます。
省7
75
(1): 2021/05/23(日)09:47 ID:0(75/1000) AAS
倭ベンキ「ぼくたちも縄文人の子孫なんだよ!だから、ぼくたちも北海道の先住民なんだよ!ほんとだよ!」

北海道YOSAKOIソーラン祭(どこからどうみても朝鮮人)
画像リンク[jpg]:blogimg.goo.ne.jp
76: 2021/05/23(日)09:47 ID:0(76/1000) AAS
>>75
 そこで問題になるのが「言語」です。仮に上記の2,3のいずれかが正しかったのだとすれば、擦文文化がアイヌ文化へと変質する以前からアイヌ語は存在していたのでしょうか、いなかったのでしょうか。

 実は、この点が全くもって曖昧にされてきたのです。
アイヌの起源が北海道だとする前提に立った上で、アイヌ語がいつの時代から、どこのエリアで、どのような人々によって使われてきたものなのか、明確に説明した人が誰もいないのです。

 アイヌ語は縄文時代から既に東北から北海道にかけての地域で使われていたのでしょうか。
 前回の動画でも述べましたが、私がこの仮説に全く同意できないのは、アイヌ語と日本語の間に決定的な隔絶があるからです。
例えば、地続きで隣り合っているヨーロッパの諸言語はかなり似ています。
ポルトガル語とスペイン語ならば70%ほどの意思疎通ができるとされています。

 仮にアイヌ語が東北部のきつい方言くらいの差異しかない言語であれば、私は「アイヌ語北海道起源仮説」に納得がいくのです。
また。仮にアイヌ語圏と日本語圏が地続きで隣り合っていたとすれば、その間に「中間的な言語」が使われていたエリアがありそうなものですが、それも無いのです。
省3
77
(2): 2021/05/23(日)09:49 ID:0(77/1000) AAS
日本の最高学府
東大が下した結論です

「日本列島の先住民はアイヌ」 「日本人と韓国人は同じクラスター」

外部リンク:www.s.u-tokyo.ac.jp
>本州縄文人であるIK002は、アイヌのクラスターに含まれた。アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統である可能性が高いことを示している

外部リンク[html]:www.u-tokyo.ac.jp
>本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。
78
(2): 2021/05/23(日)09:50 ID:0(78/1000) AAS
>>77
ノーベル賞(自然科学分野)   日本人23人   韓国人 0 人
ノーベル賞(人文学分野)    日本人3人    韓国人 0 人
フランクリン・メダル(科学等) 日本人7人    韓国人 0 人
ボルツマン・メダル(物理学)  日本人2人 韓国人 0 人
J・J・サクライ賞(物理学) 日本人6人 韓国人 0 人
バルザン賞(自然・人文科学) 日本人3人 韓国人 0 人
クラフォード賞(天文学等) 日本人2人 韓国人 0 人
IEEEマイルストーン(電子技術) 日本人10件 韓国人 0 件
ウィリアム・ボウイ・メダル(地質学) 日本人2人 韓国人 0 人
省8
79
(2): 2021/05/23(日)09:52 ID:0(79/1000) AAS
>>77
 では、アイヌ語圏はかなり早い段階で、つまり和人が本州での居住地を広げる以前から、北海道限定のものだったのでしょうか。
 しかし、縄文の時代から16000年に渡って、東北部と北海道では人の行き来が継続していたことが分かっています。
 それなのに、なぜアイヌ語圏が北海道限定で存在していたのか、という謎が残ります。
 北海道がアイヌ語圏だったとすれば、最低でも東北の北部まではアイヌ語圏が広がっていなければ不自然でしょう。

しかし、考察を続けるため、アイヌ文化が北海道に「生じる」以前の段階で、北海道全域がアイヌ語圏で、東北以南は日本語圏という状態だったと仮定しましょう

しかし、13世紀、最初期のアイヌ文化はオホーツク海岸など一部の地域に偏在していたとされます。

北海道の一部の地域で「文化の変質」が起こり、北海道アイヌ文化が生まれたとしましょう。

この人たちこそ、「言語もアイヌ、その他全ての文化もアイヌ」という、名実ともにアイヌ民族なのでしょう。
省9
80
(2): 2021/05/23(日)09:58 ID:0(80/1000) AAS
>>73
アイヌベンキ人はトゥパットゥミで擦文人を追い出した加害者だろ
Ainubenki are genociders of Satsumon culture

なにってんだwwwww
Yo a fuckin' moron
81
(1): 2021/05/23(日)10:12 ID:0(81/1000) AAS
>>78-80
× 「日本人もアイヌもみな縄文人の子孫!」
○ 「日本語族は1億総在日コリアン」

東アジア言語地図 (オハイオ大学 J. Marshall UNGER が作成)
画像リンク[jpg]:www.oeaw.ac.at
82
(1): 2021/05/23(日)10:14 ID:0(82/1000) AAS
>>78-80
ジャレド・ダイアモンド 『銃、病原菌、鉄』

 こうしたあらゆる点で、縄文人の骨は現代日本人のものとちがっていて、現代アイヌのものといちばん似ているし、弥生人の骨は現代日本人と似ている。現代日本人は、朝鮮系の弥生人とアイヌ系の縄文人の混血ではないかという想定で、遺伝学者はこの二つの遺伝子プールの貢献を計算しようとした。結果として、朝鮮/弥生系の貢献が一般に圧倒的だ。というわけで、朝鮮移民は確かに現代日本人に大きな貢献をしている。ただしそれが大量移民によるものか、それとも少数の移民が高い人口増によりそうなったのかはまだはっきりしない。

 この章の冒頭で、特徴的なアイヌとあまり特徴のない日本人が日本に同居するようになったかについて、色眼鏡のない解釈を述べるところから始めた。一見すると、こうした事実を見れば、アイヌは日本先住民の子孫であり、日本人はもっと最近やってきたという示唆が得られそうだ。いまや考古学、身体人類学、遺伝学もこの見方を支持していることも見た。
83: 2021/05/23(日)10:18 ID:0(83/1000) AAS
>>81-82
では、13世紀まで北海道にアイヌ語は存在していなかったと仮定したらどうなるでしょう。

北海道の一部の地域で文化がアイヌへと変質するのに伴って、言語も同時にアイヌへの変質が起こったのでしょうか。

 これは、間違いなく不可能です。
 アイヌ文化の出現は、極めて短期間に擦文文化からの「移行期」を経ずに急激に訪れたように見えます。
 同一の地域に居住する同一の集団が、元の言語の痕跡を跡形もなく残さずに、これほど短い期間で全く異なる言語へと変質するというのは理論上ありえないことです。
 モリス・スワデシュによって提唱された、「言語年代学」においては、言語が分岐して1000年が経過しても、80%の基本的語彙は保存されるとされます。

 また、そもそも論として、言語以外の文化に関しても、擦文文化とアイヌ文化は、短期間に変質できるような類似性が全く無いのです。
前回の動画でも、擦文文化は竪穴式住居であり、アイヌ文化は掘立柱建物であったことは解説しました。
 これは、長い間同じ場所に定住する人々と、短い期間で居住場所を移動していく人々の生活様式の違いを反映しているものと解釈できます。
省2
84
(2): 2021/05/23(日)10:21 ID:0(84/1000) AAS
縄文人はアイヌのご先祖様
和人のご先祖様はこーれ

デジタル復元でよみがえった百済人は顔が長く、目の間が狭い典型的な北方人の顔をしていた。
画像リンク[jpg]:s.japanese.joins.com
85: 2021/05/23(日)10:22 ID:0(85/1000) AAS
>>84
 また、縄文時代は豊かな漆の文化があり、北海道の縄文遺物にも漆で着色した形跡が発見されています。
これに対して、アイヌは漆の技術は持っていませんでした。

 そして、決定的なのは土器です。
北海道で出土した縄文、擦文土器を幾つかご覧ください。

このような精緻な縄文土器、擦文土器の技術がアイヌには全く受け継がれていないのです。
次の写真は、最古のアイヌ遺跡から発掘された土器で、内耳土器と名付けられています。

どうでしょう。

この二つが、同じ民族が作り出した土器だと思えるでしょうか。
86
(1): 2021/05/23(日)10:27 ID:0(86/1000) AAS
>>84
結論出たね
アイヌがリアルで
ジャップはフェイク
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