日本史より面白い「世界史」は何処か? (660レス)
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633: 10/02(水)02:56 ID:0(632/659) AAS
>>627
アラビア語説話集「千夜一夜」のもとねたは、
サーサーン朝時代に編まれた中世ペルシア語説話集「千物語」だそうな
634: 10/02(水)20:41 ID:0(633/659) AAS
種々の事情でノミネートから外れた例
・グロヒス(交通史・文化史)
・歴史気候学
・戦争観の変遷
・西洋史(古代末期〜中世初期)
・世界史から見たジョン万次郎
・海域世界の日本
・出アフリカ記
・世界史の中の英仏の特殊性
・明清
省4
635: 10/15(火)01:10 ID:0(634/659) AAS
なるほど
636: 10/18(金)18:49 ID:0(635/659) AAS
画像リンク[jpeg]:i.imgur.com
637: ウムウル 10/20(日)19:32 ID:0(636/659) AAS
そろそろ火星史のページが
厚くなり始めるのか
638: 10/20(日)23:37 ID:0(637/659) AAS
上のレスで出ている、ハーフェズの居酒屋もの詩歌を鑑賞していると、
中国南朝の梁で編纂された、玉臺新詠の詩歌を鑑賞しているときのような雰囲気も感じる
639: 10/21(月)21:52 ID:0(638/659) AAS
西ローマ帝国滅亡後の西欧社会は暗黒時代に突入したが、西晋滅亡後の南北朝時代は文明発展期だった。王朝はぐちゃぐちゃだったが。
640: 10/28(月)00:30 ID:0(639/659) AAS
画像リンク[jpg]:www.chuko.co.jp
641(1): 10/29(火)21:55 ID:0(640/659) AAS
中国南朝の文化てなかなか風流で面白いのが多いな
文学ならたとえば文選も玉臺新詠も、
あるいはその文選が編集されたときその編集方針の基盤にもなった文心雕龍もいいな
古代の朝鮮半島南部や日本列島の文化も、六朝文化の流れを汲む部分が大きかった
それこそ今でも本格的和服をずばり「呉服」って呼ぶほどで
642: 10/30(水)20:20 ID:0(641/659) AAS
あげ
643: 11/01(金)00:06 ID:0(642/659) AAS
画像リンク[jpg]:www.chuko.co.jp
644: [の一つ] 11/03(日)20:27 ID:0(643/659) AAS
>>641
六朝文化は日本文化のルーツの一つというのは興味があるが、個人的には北朝の方に興味があるね。
仏教史を勉強していた折に北魏の仏教政策に興味を持ち、そこから北方民族と漢民族の文化融合に関心が広がった。中華帝国やローマ帝国と言った長命の文明はその歴史の途中で再生と変容を繰り返すことで永らえてきた。中国の南北朝時代はそのいいケーズスタディである。
645: 11/05(火)16:02 ID:0(644/659) AAS
動画リンク[YouTube]
これが世界の覇権を握りかけたモンゴルの馬術か…確かにこれなら鉄砲が進化する前の時代なら手も足も出ないわ…
646: 11/05(火)23:27 ID:0(645/659) AAS
日本 モンゴル チベット ベトナム・・・。 中華の周辺で独自文化を維持できた国だな。
「東アジア」と「西ヨーロッパ」は相似形。トインビーのいう「周辺文明」に」属する。
ちょっと、筆を走らせてみるが、モンゴル帝国と大東亜共栄圏は本来小国である日本とモンゴルが突然変異的に極大化した帝国なんだな。それ言うとスペイン帝国や大英帝国もそうなんだが、これと比べて前者は一発屋感がある。
647(1): 11/07(木)22:32 ID:0(646/659) AAS
スペイン 大英帝国 アメリカ合衆国はいわばローマ帝国の後継国家。オスマン帝国や大戦中のナチスドイツもそうかもしれない。ロシアも東ローマ帝国の後継国家を自称している。
しかし、モンゴルと大日本帝国は中華帝国の後継ではない。(明朝によって元朝は中華帝国にカウントされたが)
中国を中心とする東アジア文明史観からすると日本とモンゴルはかなり異端の存在。
648: 11/09(土)17:28 ID:0(647/659) AAS
>>647
ローマにせよ中国にせよ、
無意識裡にも歴史の中に「中心」やこれに対する「異端」を設定する世界認識自体が既に現実から乖離した虚妄である。
現実は、
民族或いは国家及びこれに類する集団の数だけ恣意的で夜郎自大な「自分中心の関係範囲史」があるだけだ。
それらは各々の当該集団内でのみ共有される共同幻想であって、
その共同幻想群相互の間に正誤優劣の差など無い。
そしてまたこれらの並立や対立を止揚し得る超越的客観が存在しない以上、
殊更に「中心」「異端」を語る行為は己が「どの」共同幻想に偏向しているかを表白することでしかない。
省4
649(2): 11/10(日)20:34 ID:0(648/659) AAS
トインビーは読んだことが無いので詳しくは知らんが、文明には中心と周辺が存在するとは思う。
ギリシャ・ローマはオリエントの周辺文明だったが、中心が衰退してそれに取って代わった。
そして時代を経てギリシャ・ローマの周辺であった英独仏へ文明の中心が移った。
東アジアのいては20世紀の一時期を除いて中国が中心文明であり続けた。周辺文明である日本とモンゴルは西欧のように新たな中心文明になるかと思われたが、そうはならなかった。
650(1): 11/10(日)22:36 ID:0(649/659) AAS
>>649
となると、
「中心」「周辺」「異端」等についての明確かつ普遍的な定義、
またそれらを分かつ定量要件が存在しなければならないわけだが、如何。
651(1): 11/11(月)08:24 ID:0(650/659) AAS
横レスだけど、ごく簡単に言えば、
「よその地域が真似をする」「よその地域から人が集まる」「揉め事の手打ちの匙加減」
それらの経験が有るか無いかで全く違うでしょ
かつてのモンゴルや日本は、そういう経験があまり無い段階から一足飛びに肥大化して、
匙加減を知らずにやったもんだから、武断での自己流押し付けが多すぎ、長続きしなかった
652: 11/11(月)14:28 ID:0(651/659) AAS
>>650
まず、中心文明・周辺文明という語はトインビーからの借り物(受け売り)なので高尚な定義付けは彼の著書を読んでもらいたい。であるから、「異端」は「中心」の対義語ではない。
東アジアの中心文明である中国の周辺である日本とモンゴルは他の中国周辺国とは異なる状況を持った様を(他国と比較して)異端と評した。もちろん日本とモンゴルは同じではなく異端の内容も異なる。貴君はおそらく「異端」の語に違和感と拒否感を抱いたのであろうが、こちらの真意は中国を持ち上げ日蒙を卑下したいるのではない。
>>651
元朝がモンゴルなのか中華なのか議論が分かれるところでそれも興味あるテーマではあるが、そこはさておき、南宋滅亡以前のモンゴルと昭和戦前の日本が「中華」に代わる新たな中心文明を志向したと考えた時、非常に興味をそそられる。
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