[過去ログ] 太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (1002レス)
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108
(1): 03/18(月)13:32 ID:cMr5eiC50(2/7) AAS
>81
グリア号事件(予備知識)
(九月四日の)アイスランド沖の事件は、米海軍駆逐艦グリア号が、英国軍機と共同で対潜作戦を実施した結果、発生したものであった。爆雷を水中投下して、ドイツUボート(U652)を追尾していたのである。追い詰められたUボートが魚雷により反撃した。それにも関わらずルーズベルトは、ドイツに非があると一方的に避難した。彼は国民にラジオ(いわゆる「炉辺談話」)を通じてそれを訴えたのである。サンボーンは、ルーズベルトの態度はドイツに最初の一発を撃たせるために計画された挑発そのものであったと断じた。しかし、ドイツはこの誘いに乗らなかった。豪を煮やしたルーズベルトが、ドイツ潜水艦は発見し次第、攻撃せよと命じたのは九月十一日のことであった。
出典:『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(ジェフリー・レコード著 渡辺惣樹訳 草思社)p.134

原注:サンボーン:Frederic R. Sanborn 歴史家、法律家。セントジョン大学法学部教授などを歴任。
109: 03/18(月)15:11 ID:cMr5eiC50(3/7) AAS
≻102
≻ベルサイユ-ワシントン体制下で共産主義はほぼ抑え込まれていた。共産国はソ連とモンゴルしかなく、その体制を崩し、共産主義を拡大する機会を与えたのが、日独伊である。

そうかな。ワシントン体制は「1922年(大11)年のワシントン諸条約によって確立された太平洋における平和の枠組み」(『平和はいかに失われたか』p.6)
のことでしょ。

≻中国共産党は国民党に追い詰められていた。

国民党が反共に転じたのは1927年(昭2)の四・一二クーデターからで、それまでは毛沢東の瑞金の根拠地を野放しにしていた。1936年(昭11)12月の西安事件以後の第二次国共合作ではソ連からかなりの武器支援も受けている。

≻その(ワシントン)体制を崩し、共産主義を拡大する機会を与えたのが、日独伊である。
省4
110: 03/18(月)15:22 ID:cMr5eiC50(4/7) AAS
>91

モンゴルの赤化
>1924年の話で直前とは言えんな。

では、「直前」を「前」と云い直そうか。

≻赤軍の支援もモンゴル人民革命党の要請を受けてのもので、モンゴル人自身の決断だ。

こんなもの、ソ連軍進駐の単なる言い訳でしょ。「モンゴル人民革命党の要請」が、モンゴル人の総意に基づく決断と言えるのかい?
1956年のハンガリー動乱も、ハンガリー政府の要請だとか抜かしてソ連軍戦車部隊はブタペストを制圧して民衆に銃をぶっ放したよな。こういう理由づけは自作自演のニセ旗作戦と変わらず、問題の本質を矮小化するものだ。
省1
111
(1): 03/18(月)17:50 ID:kjCSRuwf0(2/4) AAS
>>107
張学良直属の部隊は華北に出張中。留守部隊は基本的に対ソ警戒で動けない。
そんな状態で各部隊をつなぐ中枢である奉天を抑えられた。
奉天の部隊は、張学良と蒋介石に日本との交戦を禁じられており、錦州に後退。後にはその錦州も攻撃され後退することになる。
黒竜江省軍や吉林省軍は分断され、日本とソ連に挟み撃ちに近い状態に置かれた。
吉林省では省長に熙洽が日本の後援で着き、日本に服属。従わなかった軍の一部は朝鮮軍の来援を受けた日本軍に討たれた。
黒竜江省では後に満州国総理になる張景恵が省長に着き、日本に服属。馬占山も黒竜江省長の座を譲る事で懐柔した。

朝鮮軍の速やかな来援があった。
主力の留守を狙い、中枢を抑え留守部隊の通信連携を断ち、、孤立し対ソ警戒で動けない部隊を各個撃破&トップのヘッドハンティングで懐柔した。
共産党と交戦中だった蒋介石が、外交的解決を図ろうと抗戦を禁じていた。
省1
112: 03/18(月)17:51 ID:cMr5eiC50(5/7) AAS
109だが、文章が一部おかしいので、その部分を書き直す。

X「ワシントン体制ができた頃はソ連共産党のロシア革命から5年くらいしか経っておらず、まだ揺籃期だった。」

〇「ワシントン体制ができた頃はロシア革命から5年くらいしか経っておらず、まだソ連共産党の揺籃期だった。」
113: 03/18(月)18:00 ID:cMr5eiC50(6/7) AAS
>111

それら全部の要因を含めても弱すぎ。こんな役立たずの無駄飯喰らいどもの軍隊を養っていたとは、満洲の民衆がカワイソすぎる。
114
(1): 03/18(月)18:15 ID:DOAnUIQR0(3/4) AAS
>>107
もう少し権力があったらなw
つか今の中国はモンゴル独立は認めてるのかw
115: 03/18(月)18:16 ID:DOAnUIQR0(4/4) AAS
>>107×
>>106
116: 03/18(月)18:36 ID:cMr5eiC50(7/7) AAS
>114
>つか今の中国はモンゴル独立は認めてるのかw

内モンゴルについては認めていないだろ。最近は地元住民にモンゴル語の使用すら禁じているという報道があったばかりだ。
117: 03/18(月)19:22 ID:eCDH3fS30(1) AAS
戦術はともかく戦略家としては石原が当時随一だろうけど
石原の言う通り持久戦しても空母や潜水艦バンバン作れるアメリカ相手じゃな
118: 03/18(月)20:15 ID:kjCSRuwf0(3/4) AAS
>>0110
>こんなことで外国軍の進駐が正当化できるなら、世界じゅうが侵略戦争だらけになるわい。
ましてや、自作自演で濡れ衣を着せての侵攻占領など絶対に許されざる行為だよなあw
119: 03/18(月)20:31 ID:kjCSRuwf0(4/4) AAS
>>0114
蒋介石は1945年の中ソ同盟友好条約でモンゴルの独立を承認する約束をしている。
実際の承認は国共内戦での敗北でそれどころではなくやっていない。2002年になって台湾政府はモンゴルを独立国と承認した。
中華人民共和国政府は1949年にモンゴルを承認している。

ちなみに日本は1961年にモンゴルの国連加盟を承認し、事実上の国家承認をしたと言われている。
正式に国交を開いたのは1972年。中華人民共和国政府を承認してからになる。
120: 03/18(月)21:22 ID:f5Wp6A6o0(1) AAS
>>108
メイン号爆沈、トンキン湾事件などで戦争に入れた時と異なり、この当時の米世論は徹底的に孤立主義だった 米艦が撃沈されても開戦の理由には程遠い

この様相を見れば日本から攻撃をしない限りアメリカから攻撃してくる事はほとんどあり得ないと判断される 英蘭の極東の利権や中国を助けるためにアメリカ青年の血を流せはしない

アメリカは経済封鎖のみで対日参戦してこないできないのである やれる事はせいぜい欧州と同様に義勇軍の派遣程度である

であれば日本の取るべきは、南進だの北進だの東進して真珠湾攻撃だのではない 支那派遣軍が意見具申してきた通りに支那事変の解決、すなわち現在戦っている国府と決着をつけるため西進である

1942年に初戦の勝利を受けて第二段作戦の一環として計画された四川作戦を前倒しで実行するのである このときは100万の兵力を持ってする大作戦だった だが南進しなければ南方総軍の、北進しなければ関東軍に戦力が丸ごと浮く
ドイツと死闘中のソ連が満州侵攻を企てるなどあり得ない よって帝国陸軍精鋭200万と陸海の全航空戦力をこの作戦に投じれば、四川盆地に国府を撃滅する事は確実にできる
省2
121: 03/18(月)21:39 ID:VPVq9vJ30(1) AAS
>>74
反論なし?
END?
122
(1): 03/19(火)03:38 ID:sWueg//W0(1) AAS
>>0109
>ワシントン体制にはソ連共産党を抑え込む要素なんてまるでない。
ベルサイユーワシントン体制は集団安全保障体制の性質を持っており、侵略国は世界中から叩かれる事になっていた。
現実として、ワシントン体制が続いている間はソ連は大人しかった。
ソ連は1929年の奉ソ戦争で一時北満州を占領するが、権益を再確認するだけで撤退している。
1939年5月のノモンハンでも、自分の主張する満蒙境界までしか侵攻してない。(日本は越境攻撃してるがな)
ソ連が膨張を始めるのは、ナチスドイツとともにポーランドを分割した時から、すなわち、ベルサイユ―ワシントン体制が完全に崩壊してからなんだ。

>日本の行動に制約を加えるべく、四ヶ国条約や九ヵ国条約を押し付けてきた。
それらで抑制されるのは武力による支配圏の拡大、すなわち侵略だけだが。
現状維持で相互不可侵、侵略禁止で合意した以上、4カ国条約も9カ国条約も制約なんかになり得ないはずだ。
省4
123: 03/19(火)05:31 ID:h/W6X6720(1/8) AAS
>122
≻ベルサイユ・ワシントン体制が続いている間、ソ連は大人しかった。

大人しかったのではなく、ロシア国内で帝政ロシアの軍人からなる白軍相手の内戦で忙しく、対外的に暴れるほどの力がなかっただけよ。ソ連のボルシェビキ勢力はロマノフ王朝の人々をぶっ殺す、農業の集団化のためコルホーズ化を強引に押し進めるなど、1920年代で既にかなり狂暴だった。

ロシア赤軍は1921年には外蒙古と唐努烏梁海(タンヌ・ウリャンハイ、今日のカザフスタン南部で中国と接する地域)に侵入、それぞれ、「蒙古人民共和国」「タンヌ・トワ人民共和国」なるソ連の傀儡政権を樹立している(中村粲著『大東亜戦争への道』pp.200-203)。どこが「大人しい」のじゃい。

スターリンが権力を握るのは1933年頃だが、満洲国建国に驚いて「敵の敵は味方」とばかりにアメリカに提携を申し込み、この時、ソ連共産主義に無警戒のFDR政権がソ連に国家承認したことが全ての不幸の始まりだった。

G・ケナンの「レーニン、スターリンと西方世界」によると、スターリンの党内大粛清は1933年から始まり、1937年頃にピークを迎えたとされる。
省3
124
(2): 03/19(火)05:50 ID:h/W6X6720(2/8) AAS
123に付け加え

満洲国の建国は膨張しようとするソ連に対して十分な壁・防波堤になっているだろ。1939年にソ連はフィンランドに戦いをしかけ、冬戦争を引き起こしているくらいなのだから。満洲が弱ければ、フィンランドの代わりに満洲がやられたかもしれない。
125
(1): 03/19(火)07:33 ID:trZReGW+0(1/2) AAS
1945年夏 満州は弱くてソ連にボロカスにやられたがソ連は満州を領有なんてしなかった
126: 03/19(火)10:02 ID:xEdilpS50(1/4) AAS
ドイツがソ連に侵攻した時までニュートラルだったらソ連と同盟が組めてたかもなw
127: 03/19(火)10:59 ID:h/W6X6720(3/8) AAS
>125
1945年夏まで時代が下ると国際情勢が激変しているからな。
国共内戦時に満洲の帰属がどうだったのかは俺も知らん。
支那正州で毛沢東の共産党政権が発足したのち、ソ連が満州から
撤退したのは、共産党政権どうしで戦争はできないという
判断だろうか。それでも、更に時代がくだると、川の中州の支配権
をめぐって珍宝島事件(ダマンスキー島事件)なんてのが起きて
いる。結局は、朝鮮戦争あたりまでは武力が全てを決する時代だった。
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