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336: 08/14(水)19:52 ID:EaoD96WkJ(2/3) AAS
中立のリアル・・・・・・・235
夜叉女神であった荼枳尼天(だきにてん)は扱いを間違えると、災禍がもたらされ、
命も獲られると考えられていた。したがって、これは外法として考えられて、忌まれる
信仰でもあった。元々インドにおいての、ダーキニー天は、ジャッカルにまたがる神と
されて日本にはジャッカルは居ない為代わりに狐を当てた。又「怨みの藁人形」風習も
、実は、この荼枳尼天から来ている。不思議なのは、西洋神話との親和性である。広く
行われていたディオニューソスを祀るカルト儀式と、この祭祀の様に、死体を枕にかが
り火の傍で「はめをはずした。」陶酔的礼拝の形態の祭りが、ディオニュソス祭りとし
て、西洋の各所で行われた。ギリシア神話12神の1柱で、豊穣とブドウ酒と酩酊の神
である。とりわけゼウスとテーバイの王女セメレーの子で、その起源については、本来
省13
337: 08/14(水)20:40 ID:EaoD96WkJ(3/3) AAS
中立のリアル・・・・・・・236
「ニューソース」=「出入りする物=精子」=魂・生命という観念は男根神話で語られ
る。『白虎通』は、時の皇帝の徳が良いと世の中に現われる瑞獣の一つとして記されて
いる。武王が主役の物語『武王軍談』、あるいは『封神演義』の小説、その源流となっ
た元の時代の『武王伐紂平話』、明の時代の『春秋列国志伝』などでは、殷王朝を傾け
たとされた、美女・妲己姫(だっきひめ)の正体が、九尾の狐(九尾狐、九尾狐狸)で
あるとされて、悪女妲己が、帝辛(紂王)の妃として殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)
の王朝を滅亡させた女王として、これらの物語の下地とした書物で記述が、後の時代に
、漢文圏で広く知られるようになって、いわば常識とされる。帝辛に寵愛され、悪女の
末喜(ばっき)などと共に悪女の代名詞的存在として扱われる。史料である『史記』の
省15
338: 08/19(月)13:32 ID:8ZtgeViJb(1/2) AAS
中立のリアル・・・・・・・237
日本の仏教歴史において、この荼枳尼天は、非常に都合の良い仏であった。女装であ
りながら男神で、神仏混合時に、伊弉諾尊や天照大御神は、破壊神や死者の使いにも、
その三倍も四倍も、産んで育てて、子孫繁栄させる。と、誓っているからだ。つまりは
、子供を産む行為と、産む為の性交は、子孫繁栄の絶対正義の世界、と言うのが、大和
朝廷が、築いていた文化だったからだ。中期の、密教文化では、戦国時代に、大日如来
(毘盧遮那仏:るしゃなぶつ)の化身であるとし、大黒天によって調伏された、死者の
心臓であれば食べることを許可された。という説話は、恐らくは地獄の門の門番だった
閻魔大王の説話を真似たものであろう。この大黒=使われた陰部=男根とみられている
男根信仰は、災害の多い日本では、非常に大事な、村の維持に欠かせないハーレム社会
省12
339: 08/19(月)13:33 ID:8ZtgeViJb(2/2) AAS
中立のリアル・・・・・・・238
大黒天物語は尸林で荼枳尼を召集し、降三世の法門によってこれを降伏し仏道に帰依
させた。としているが尸林(しりん)とは墓場の事である。そしてそれは普通の墓場で
なく処刑場なのである。屍を屠る、三途河の傍、と言う事になる。魑魅魍魎が跋扈する
塞の河原、石の河岸である。此処に巫女や斎女がいた事になる。降三世の法門とは明王
の事で、実は、仏教は、如来・菩薩・観音と言う区分けがある。先ずそこには天地人と
言う世界の区分けである、いずれも霊魂の世界の話で天界でも魂を救う神が如来であり
、如来になる修行者が、地界人界を交差するのが観音である。この観音になるべく選ば
れた魂の人がが菩薩と言う訳である。観世音とは「観た世を伝う者」で、基本地獄の王
閻魔宮に行って報告する者なのである。では菩薩とは、ボーディ・サットヴァの音写で
省14
340: 08/31(土)18:01 ID:SBqqHAvpk(1) AAS
中立のリアル・・・・・・・239
江戸時代は、今よりもずっと、性に関してオープンな時代であって初体験の年齢が、
10代前半なんて珍しくもなく、「結婚するまで純潔を守って当然」なんていう、お堅い
貞操観念が定着し始めたのは、日本が西洋諸国の文化やキリスト教の教えを積極的に取
り込み出す明治以降の戦後期だ。つまりわりと最近の話である。近年に、性の低年齢化
が嘆かれるようになりましたが、言ってしまえば今に始まったことではない。といった
ところである。勿論、良いとこの、お嬢様など 家柄次第という事情もあったようでは
あるが、高齢出産が、母体や身体に悪い事が、経験値から知っていたし、一般庶民では
性に関して奔放、貞操を守ることへの意識は、慣習や空気からも薄かった。といわれて
いる。まず江戸期に、「処女であること」は全く不利しかなかった。今は、女性の、「
省12
341: 紙 09/03(火)09:52 ID:qkwt7X1vU(1/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・240
ちなみにこうした性事情は、江戸時代になって 急に始まったことではなくて、戦国
時代前から、ずっと日本に存在していて、男同士や女同士すらも、性交の対象者である
考え方が、存在していたのである。それはそれで、日本では大事な事で、災害の多い、
島嶼国に日本的人種が滅びずに、ここまで多い地震や台風などにめげずに、国が創れ、
続いて来た。と言うのもそのせいであろう。人の磨倶合い=性交は、712年の古事記や
720年日本書紀 などにも日本の起源として書かれている。日本神話では、最初は天と地
しか存在しなかった。混乱と空白が、混ざって不明瞭な形作っていた世界。つまり混沌
とした中で空は晴れて、天界に3人の創造神(三柱神)が現れた。天が空間から作られ
たように、惑星や銀河も形作られた。とする地は、既に何千もの神を生み出しこの世に
省13
342: 紙 09/03(火)09:53 ID:qkwt7X1vU(2/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・241
アマテラスは、恐怖と悲しみのあまり洞窟に逃げ隠れるが、それが、世界から光が奪
われ、多数の神々が集まり、アマテラスを外に出そうと、宝石を渡したり、踊りを見せ
たり、自身の美しさを見ることができる鏡を作ったりした。アマテラスは、宝石と鏡を
、取りに出た瞬間、他の神々はアマテラスが 洞窟に戻らないように 綱を張り手力神
が石の扉を取り上げた。その後スサノオは罰として、髪を切り、ヒゲとツメを抜かれる
。髭剃りとは宗派団体の破門であり「詰腹=切腹」を意味した。また、スサノオは姉の
アマテラスに剣を渡して下野した。「剣の移譲」すなわち権力移譲である。アマテラス
は瓊瓊杵尊(ニニギ)を産み、ニニギは、日本に送られて統治する。この、瓊瓊杵尊(に
にぎのみこと)が治めた土地が、ニホンと言う事になる。つまり、ニニギの本領と言う
省11
343: 紙 09/03(火)10:21 ID:qkwt7X1vU(3/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・242
この哀れな黄泉(ヨミ)の国の死者のムクロの様になったイザナミが、ヤツデやクモ
の手と共に追いかけられ、イザナギはこの黄泉の国を逃げて、黄泉比良坂(よもつひら
さか)で、葡萄を投げて蔓が伸び、竹を投げては筍が出来 桃の木があらば桃を投げつ
け、ほうほうの呈で逃げおおせて、言い合いをする。イザナギはすかさず 夫婦離縁の
呪文とされる「事戸(ことど)」を発すると、それに激怒したイザナミは「あなたが、
そのような事をするのであれば、あなたの国の人々を1日1000人絞め殺してやる!」と
、恐ろしい言葉をイザナギに投げつけ、言葉を受けたイザナギは「それならば私は1日
1500の産屋(うぶや:あかちゃん)を建てる!」と応戦した。・・・と言うのが日本の
神話のあらましなのだが、此処に中立のリアルがある。つまり一つはスサノオノミコト
省14
344: 紙 09/03(火)10:22 ID:qkwt7X1vU(4/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・243
つまり、幸か不幸か日本は、毎年台風が来て 火山の上に地震も起こり災害が多く、
協力し生きる糧を失えば、直ぐにでも廃村になる集落の国であった。こんな国で子供を
産めよ増やせよと言えば、当然夜の生活に自由度を高くするしかない。盆踊りは盆時期
に、子孫一同を集めて、先祖を共同供養する神聖な踊り行事である。とされる。ルーツ
は、鎌倉時代に一遍という僧が広めた「踊り念仏」だとも、いわれているが、実は相当
古いもので、古墳時代からあったようだ。踊り念仏では、念仏で救済される喜びを踊り
で表現したもの。といい、激しく踊り狂うと言う江戸期の遊びの文化も挿入されている
ため、僧や尼の衣服が肌けるシーンも珍しく無かった。一遍はこの踊り念仏を全国各地
で披露し、最終的に日本全国でブームを巻き起こした。とされている。朝から集まって
省13
345: 紙 09/03(火)10:24 ID:qkwt7X1vU(5/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・244
盆踊りは、女性の参加できる裸祭りの形態で、古来より続く日本文化であった。冬や
秋の裸祭りの、最初に位置された祭りで、その後に体力のいる豊穣の実りから、春の御
田植え祭が続くので、ある意味婚姻の品定め、田舎の嫁選びの祭りでもあったのである
。現在では踊りのみの伝統となって、「阿波踊り(徳島)や「郡上踊り(岐阜)」など
、地方の地域性に合わせて進化したものあり、例年賑わいをみせている。明治の旅行記
には、日本は奇妙な国として紹介される。日本の温泉や公衆浴場は江戸時代まで基本的
には、混浴であったからだ。1853年に来日したペリーなどは、この日本人の習慣に驚き
、自国に提出した報告書に以下のように記した。「人々は皆非常に礼儀正しく控えめで
ある民族である。しかし、驚くべき習慣を持っている。ある公衆浴場での光景なのだが
省14
346: 紙 09/03(火)14:09 ID:qkwt7X1vU(6/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・245
盆踊りや衆堂会の、フリー性交は、大昔からあった日本人の、風習である。海外での
女性蔑視や選民思想と違い、日本人は神話での、八百神(やおろずのかみ)が力合わせ
て、たった一人の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)と言う塞ぎ込む女神を、
助けようと集まり、色んなお祭り騒ぎを起こす。相撲を取り、踊りをし、酒を振る舞い
太鼓を叩いて歌を歌う。それは、チョウチンアンコウが小魚を集める光の様にうるさく
しつこく、辛抱して、連日連夜行って、やっとそっと見てみようと言う引きこもり女神
が覗いて来るのを待って、天手力雄神(あまのたじからおう)の力で、岩戸の扉を開け
たままにさせ、采女(うねめ)達によって引きずり出されて、神々の頂点になるのであ
る。この神話に添って、日本人は「和を以て貴しとなす」とするのが天皇であり、人は
省13
347: 紙 09/03(火)14:10 ID:qkwt7X1vU(7/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・246
江戸以前の性事情での、夫婦生活では「見られても、聞こえても 気にしない!」と
いう鉄則があって、実に豪貴なものであった。一般庶民が暮らした住まいは長屋が多く
、長屋の壁は、薄くて声も姿も容易に認められた。従ってセックスの際の声や音が筒抜
けだった。とされる。勿論、そうなればプライバシーなどと言う物は無い。性生活にも
大変か。と思いきや隣や外に、声が漏れてしまったり誰かに覗かれても、別に平気な物
が夫婦であり、そう四六時中やれる体力は、昼の仕事や食の細さで無かったのである。
その傾向は、主に結婚してそれなりの年月が経った夫婦には、よくみられた。まだ若い
新婚夫婦だと、さすがに他人の目があるのは少し恥ずかしかったようですが、隣から聞
こえた声に触発されて、我慢できずに始めてしまうのは日常茶飯事でした。江戸時代の
省14
348: 紙 09/03(火)15:16 ID:qkwt7X1vU(8/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・242
この哀れな黄泉(ヨミ)の国の死者のムクロの様になったイザナミが、ヤツデやクモ
の手と共に追いかけられ、イザナギはこの黄泉の国を逃げて、黄泉比良坂(よもつひら
さか)で、葡萄を投げて蔓が伸び、竹を投げては筍が出来 桃の木があらば桃を投げつ
け、ほうほうの呈で逃げおおせて、言い合いをする。イザナギはすかさず 夫婦離縁の
呪文とされる「事戸(ことど)」を発すると、それに激怒したイザナミは「あなたが、
そのような事をするのであれば、あなたの国の人々を1日1000人絞め殺してやる!」と
、恐ろしい言葉をイザナギに投げつけ、言葉を受けたイザナギは「それならば私は1日
1500の産屋(うぶや:あかちゃん)を建てる!」と応戦した。・・・と言うのが日本の
神話のあらましなのだが、此処に中立のリアルがある。つまり一つはスサノオノミコト
省14
349: 紙 09/03(火)15:17 ID:qkwt7X1vU(9/9) AAS
中立のリアル・・・・・・・243
つまり、幸か不幸か日本は、毎年台風が来て 火山の上に地震も起こり災害が多く、
協力し生きる糧を失えば、直ぐにでも廃村になる集落の国であった。こんな国で子供を
産めよ増やせよと言えば、当然夜の生活に自由度を高くするしかない。盆踊りは盆時期
に、子孫一同を集めて、先祖を共同供養する神聖な踊り行事である。とされる。ルーツ
は、鎌倉時代に一遍という僧が広めた「踊り念仏」だとも、いわれているが、実は相当
古いもので、古墳時代からあったようだ。踊り念仏では、念仏で救済される喜びを踊り
で表現したもの。といい、激しく踊り狂うと言う江戸期の遊びの文化も挿入されている
ため、僧や尼の衣服が肌けるシーンも珍しく無かった。一遍はこの踊り念仏を全国各地
で披露し、最終的に日本全国でブームを巻き起こした。とされている。朝から集まって
省13
350: 09/03(火)22:57 ID:g9+E3Yo7E(1/3) AAS
中立のリアル・・・・・・・244
盆踊りは、女性の参加できる裸祭りの形態で、古来より続く日本文化であった。冬や
秋の裸祭りの、最初に位置された祭りで、その後に体力のいる豊穣の実りから、春の御
田植え祭が続くので、ある意味婚姻の品定め、田舎の嫁選びの祭りでもあったのである
。現在では踊りのみの伝統となって、「阿波踊り(徳島)や「郡上踊り(岐阜)」など
、地方の地域性に合わせて進化したものあり、例年賑わいをみせている。明治の旅行記
には、日本は奇妙な国として紹介される。日本の温泉や公衆浴場は江戸時代まで基本的
には、混浴であったからだ。1853年に来日したペリーなどは、この日本人の習慣に驚き
、自国に提出した報告書に以下のように記した。「人々は皆非常に礼儀正しく控えめで
ある民族である。しかし、驚くべき習慣を持っている。ある公衆浴場での光景なのだが
省14
351: 09/03(火)22:59 ID:g9+E3Yo7E(2/3) AAS
中立のリアル・・・・・・・245
盆踊り雑魚寝堂の、フリー性交は、大昔からあった日本人の、風習である。海外での
女性蔑視や選民思想と違い、日本人は神話での、八百神(やおろずのかみ)が力合わせ
て、たった一人の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)と言う塞ぎ込む女神を、
助けようと集まり、色んなお祭り騒ぎを起こす。相撲を取り、踊りをし、酒を振る舞い
太鼓を叩いて歌を歌う。それは、チョウチンアンコウが小魚を集める光の様にうるさく
しつこく、辛抱して、連日連夜行って、やっとそっと見てみようと言う引きこもり女神
が覗いて来るのを待って、天手力雄神(あまのたじからおう)の力で、岩戸の扉を開け
たままにさせ、采女(うねめ)達によって引きずり出されて、神々の頂点になるのであ
る。この神話に添って、日本人は「和を以て貴しとなす」とするのが天皇であり、人は
省13
352: 09/03(火)23:00 ID:g9+E3Yo7E(3/3) AAS
中立のリアル・・・・・・・246
江戸以前の性事情での、夫婦生活では「見られても、聞こえても 気にしない!」と
いう鉄則があって、実に豪貴なものであった。一般庶民が暮らした住まいは長屋が多く
、長屋の壁は、薄くて声も姿も容易に認められた。従ってセックスの際の声や音が筒抜
けだった。とされる。勿論、そうなればプライバシーなどと言う物は無い。性生活にも
大変か。と思いきや隣や外に、声が漏れてしまったり誰かに覗かれても、別に平気な物
が夫婦であり、そう四六時中やれる体力は、昼の仕事や食の細さで無かったのである。
その傾向は、主に結婚してそれなりの年月が経った夫婦には、よくみられた。まだ若い
新婚夫婦だと、さすがに他人の目があるのは少し恥ずかしかったようですが、隣から聞
こえた声に触発されて、我慢できずに始めてしまうのは日常茶飯事でした。江戸時代の
省14
353: 09/04(水)05:50 ID:yYQPkt1bp(1/5) AAS
中立のリアル・・・・・・・247
知っての通り、日本でキリスト教が解禁になったのは、明治以降からである。しかし
、明治新政府はもとより人々も又、風土的或いは慣習的に敵視していた。明治になって
も、日本はキリスト教は厳しく禁止していた。明治政府は、もともと切支丹を敵視して
いた。そう考えていた。開国して米英仏露などの異人が日本にやってきて、また宣教師
も、続々と入国してきた。徳川政府は勿論、それを倒した薩長の維新政府も「切支丹は
堅く御制禁」であった。しかし、徳川政府が倒れ、明治になるとキリスト教は、大きな
国際的圧力として、自由信仰を求めた。よく明治は自由信仰という印象を持たれる方も
多いがそんなことは一切ない。見ようによっては、明治以降のほうが、より厳しくキリ
スト教は禁じられていた。とも言える。ここに柳川城炎上の理由がある。多くの大学の
省16
354: 09/04(水)05:51 ID:yYQPkt1bp(2/5) AAS
中立のリアル・・・・・・・248
しかし、江戸の幕府としては、無理やり開国させられ、日本の旧来のその政策が守ら
れれば、徳川政府としては何とか、日本文化の一線を守れる。日本を護れるはずだ。と
踏んでいた。開国しても日本人を切支丹にしない、そこが大事な方向性だったのである
。既に人別帳の、市役所の戸籍の様な仕組みは、神社仏閣で行っていたし、藩主制も、
完全に整っていた。問題は海外、特に米英の銃砲や大砲や、黒船の鉄船団には、闘って
敗ける。と言う現実だけだった。徳川政府は、そこで苦肉の策でそういう方針を捕る。
その後、異人のキリスト教徒が沢山やって来て、自分達だけの為に教会を建てて、自分
達だけで、その宗教を祀っているのは構わない。としたまま、江戸期が終焉を遂げた。
これは明治新政府にも受け継がれ、ぜったいに日本の宗教に干渉しないよう取り決めて
省15
355: 09/04(水)05:51 ID:yYQPkt1bp(3/5) AAS
中立のリアル・・・・・・・249
逆に、江戸時代の性事情・夫婦生活は、家系存続が大事であり、子供が居ない事の方
が 家系断絶での俸禄米や、扶持米が無くなるので、例え男が違っても子供の出産は、
大事な事だったのである。従って、家訓的に、姑は男子の精力の付く料理を指導して、
最低でも週に3回は夜の務めをする様に常々言ったのだ。とは言うものの性生活の家訓
が普通だったが、女性に対して体力つけが多く、使用人の躾が主だった。今のように、
根を詰めた作業を開放し、娯楽がないので、夜は暗くなるとどうしても夜歩きする旦那
を浮気させまいと、そういう、楽しみ方の基本があって、男は特に用向きがないと危険
な外遊びは、家訓では御法度に近かった。そこで、息子に店や家を預けた後の隠居暮ら
しや妾住まいが当時は多かったのだ。書物を夜読むなんて言う武士や町人はよっぽどの
省14
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