[過去ログ] 邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part16 (758レス)
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696
(1): 2021/07/11(日)19:58 AAS
当然のことながら、
金印外交を成功させた、大率長官の難升米は、率善中郎将・銀印まで拝領して大出世。

卑弥呼に重用され、
邪馬台国軍の将軍となったわけですね。

「吾輩は魏の大将軍・司馬懿殿と親交を温めたのだ。
 いざとなれば魏の四万の大軍が来てくれるのだ。
 ワハハハハ。」
といった感じでしょうか。

しかし現実は厳しく、高齢の卑弥呼が体調を崩し、
邪馬台国政権の動揺につけこんだ狗奴国軍が、
省6
697
(1): 2021/07/11(日)19:59 AAS
同年に卑弥呼が死去。

張政らは平原遺跡での葬儀に参列します。
難升米の一族が御柱を立てたわけですね。

ここぞとばかりに攻めてくる狗奴国軍に対して、
難升米が出陣します。
この頃は狗奴国は熊本に押し込められていますから、戦場は福岡と熊本の県境ですね。

そもそも難升米の自軍は長崎タケミナカタや大率など水軍が主体。
頼みの魏援軍も来ず。
狗奴国軍との決戦で、難升米は討ち死にしたわけですね。

しかし、難升米が亡くなったからこそ、
省4
698
(1): 2021/07/11(日)20:03 AAS
△は、難升米が連れてきた鏡職人によるものですね。
遼東に大勢いた戦争避難民の一部でしょう。
司馬懿が技能者を選んで難升米に贈ってくれたわけですね。

タケミナカタ旧領から発祥しています。
年次は難升米の出世年でしょう。
699: 2021/07/11(日)20:17 AAS
>>76
拘奴國は鉄器、ガラス製品、青龍三年方格規矩鏡などを共有する、
卑弥呼の親族ですね。

伊都国王男王は、後漢書に記録された拘奴國を滅ぼしますね。
三国志では記載されません。

拘奴國との内戦だけでも邪馬台国は相当動揺したので、
難升米を失ってただただ恭順するだけの地方タケミナカタ勢は、
そのまま伊都国王男王の配下に収まったわけですね。

そして卑弥呼の親族であり、
また伊都国王男王の娘である、壹與=與止日女が女王になります。
省4
700: 2021/07/11(日)20:24 AAS
難升米 奴の升米

奴国

大己貴神 奴族
701: 2021/07/15(木)23:13 AAS
>>689
>例の鉄鏡を入手した。

曹操の側の状況を考えると、曹操が後漢の献帝を保護して、
建安十三年(208)六月に、曹操が丞相になって以降であることは確実でしょうね。
ただ、同年の赤壁の戦いを始めとして、この頃はすさまじい負け戦続きですね。

建安二十一年(216)五月に、曹操は魏王になります。
この年に、烏丸族の単于や、匈奴の単于が朝貢してきて曹操が応対していますから、
この時期ならば、外国からの朝貢に対応する余裕があったことは確実ですね。

翌建安二十二年(217)は正月から出陣して、あともずっと戦陣にあり、
建安二十五年(210)1月に洛陽に帰還してすぐ、1月23日崩御ですから、
省8
702
(2): 2021/07/15(木)23:15 AAS
難升米が自らの故郷に、絹布が無い、と言っていることから、
長崎タケミナカタが卑弥呼に帰順したのは、
238年からさほど遡らない時期ということになりますね。

卑弥呼側に早い時期に帰順していれば、
それだけ流通が早期回復して、絹などは流通もしくは自領で生産しているはずですから。

銀印を貰っていますし、大率について北方担当と詳述されていますし、
難升米が大率長官であったことは確実ですね。

金印を献上したからといって、
邪馬台国の中枢に絡む大率をよそ者に任せるわけはありませんから、

状況としては、
省6
703: 2021/07/15(木)23:16 AAS
長崎タケミナカタが狗奴国王と袂を分かったのは、
216年以降で、238年からさほど離れていない時期ということになります。
伊都から出土した免田式土器は、長崎タケミナカタが狗奴国側にいた期間なので、
210年代前半〜238年に収まることになります。

卑弥呼が共立された年代は判明していません。

狗奴国の脅威に対して、卑弥呼が共立されたのであれば、
卑弥呼邪馬台国が先に成立していて、
後から対馬海峡と金印を手土産に長崎タケミナカタが合流したことになりますし、

長崎タケミナカタが伊都国(倭国=三国志時代邪馬台国)側に寝返る条件の一つが卑弥呼擁立ならば、
長崎タケミナカタや拘奴國が参加するために、
省1
704: 九州王 2021/07/24(土)08:48 AAS
>>675
女王国とは伊都国、奴国のことで倭国の首都圏のこと
邪馬台国とは北部九州地域全体のことで倭国と同じ意味。
705: 2021/08/08(日)21:00 AAS
>>361
70年頃に奴国王が失脚して、
タケミナカタが諏訪に逃げ込んだわけです。

北部九州の地名が、そのまま奈良盆地に移植されたのと同じことで、
70年タケミナカタが、諏訪地方に地名を持ち込んだわけですね。

周防(山口県)→諏訪(長野県)
古代出雲國(香椎〜宗像)→安曇野
筑紫→筑摩
伊耶國(長崎県諫早市>>676)→伊那
三輪(福岡県旧三輪町)→箕輪
省5
706: 2021/08/08(日)21:01 AAS
古代周防の比定地については、現在の場所かもしれませんが、

古代出雲が考古学的には、
山鹿貝塚、遠賀式土器、平形銅剣、鐘崎式土器、宗像三女神、などなどから、
宗像地域に比定される場合、
現代出雲は出雲ではなかったことになりますから、

そうなると、現代出雲が古代周防であった可能性が浮上します。
考古学的にも、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡、その他重要弥生遺跡が集中しつつ、
中広形銅矛も現代出雲に密接に絡んでいますからね。

もともと加茂、あるいは岩倉、という地名でカモの拠点だったのが、
銅矛銅剣戦争で八千矛神が勝利して、進駐してきて、
省4
707
(1): 2021/08/08(日)21:02 AAS
タケミナカタの奥さんは八坂刀売神で安曇の女性と伝わっていますね。

安曇ですから、女系は古代出雲國の八雷神系有力部族のワニ族ですね。
須勢理ヒメ、神屋楯ヒメ、事代主、などの家族になります。

男系は、八坂ですから、スサノオ。
素直に考えれば、大国主の義父のスサノオの娘あるいは近しい親族で、天神族の娘。
しかし、大国主がスサノオ就任後であれば、スサノオ大国主と神屋楯ヒメの娘。

安曇族の男系がどちらであるのかとも直結してきます。
解の一つは城野遺跡にありますが。

安曇野、の地名がついているということは、
ワニ族の地盤である、香椎〜宗像(古代出雲國)の全体もしくは一部が、
省1
708: 2021/08/08(日)21:03 AAS
タケミナカタの長男は、建御名方彦神別命、と伝わっています。

ヒコ(魏志倭人伝だと卑狗)がついているので、70年以前に既に成人していて、
北部九州倭国にて官職を得ていたわけですね。

母がワニ族で、
父が建御名方。

建は、将軍として出陣した、の意味ですから、
父と同じ部隊を率いて、出陣したことのある、北部九州に所領を持っていた、人物、
ということになります。

母の出自を考えると、一部で言われている、タケミナカタ=建+ムナカタ
なのかもしれません。
省2
709: 2021/08/08(日)21:04 AAS
タケミナカタの次男は、出早雄命(いずはやお)、と伝わっています。

別名は、伊豆早雄命、あるいは、イスハイ。(諫早と似ていますね)
また兄妹の出早ヒメは、伊都速比売命とも書くそうです。

タケミナカタの母親、沼河ヒメは貝輪一族で、
その重要拠点が、貝輪が多数出土して、木棺墓女性指導者を擁する、
沼河=土井ヶ浜遺跡や、長崎県、ですね。

出、伊豆、伊耶、伊那、と考えれば、
出早雄命は本来は長崎県を領有していくはずだった若者。
70年にタケミナカタと共に諏訪に逃れた。
銅戈ニギハヤヒ軍に侵攻されて、追われて追われて伊豆で降伏した。
省3
710: 2021/08/08(日)21:05 AAS
以上の二人のどちらかが、金印を秘匿して長崎に残って、
その嫡流が難升米ということになりますね。

本来なら、日本統一につれて滅ぼされる運命だったのですが、数奇な流れで踏みとどまります。

・諏訪タケミナカタが降伏した頃に、北部九州でカモが失脚した。>>99
・倭国乱が発生した
・倭国乱に乗じて、狗奴国勃興した。>>689

・狗奴国王が、曹操から例の鉄鏡を貰った
・後漢が滅亡した(220)ので、漢委奴國王金印が失効し、鉄鏡を持つ狗奴国王が難升米父&金印を軽視し始めた
・難升米は狗奴国王と袂を分かち、卑弥呼側に寝返った。>>702
・難升米が活躍して、親魏倭王金印や銀印を得た
省5
711: 2021/08/08(日)21:16 AAS
なんで諏訪にタケミナカタの母なる沼河の名前が無いかというと、
タケミナカタと、その兄の建沼河男命が、超仲悪かったからですね。

おそらくタケミナカタは、敗走途中に建沼河男命も一緒に逃げるか、
せめてどこか山中に身を隠すよう説得したでしょうが、
頑固な建沼河男命は
「やかましい!金印なんぞ知らん!
 私にやましい事なんぞないのん、なんで逃げないといかんのだ!」
と逆に烈火の如く怒鳴って追い出したことでしょう。

奴国王と、沼河ヒメの子で、田舎お坊ちゃん育ちの建沼河男命はおそらく、
現代の我々と似たような感覚の持ち主で、
省12
712: 2021/08/08(日)21:19 AAS
大己貴命(大奴貴命)が、
八千矛神=中広形銅矛将軍=アマテラス配下の東征将軍スサノオ、として、
カモ族八上ヒメの整備した木俣=瀬戸内高地性集落群、を制圧した時代が、
荒魂ですね。

天神族ではないので、最高位の大王アマテラスにはなれず、
足利義満よろしく、後漢皇帝から金印を貰って、領土を安堵してもらったのが、
和魂ということになります。

海のかなたから、光り輝く金印がやってきて、
それを根拠にして、対馬海峡〜北部九州〜瀬戸内四国〜五斗長垣内遺跡、を治める。
そのための交易管理省庁が、大倭ですね。
省6
713: 2021/08/08(日)21:19 AAS
初代大物主は、当然奴族として、
そもそも瀬戸内開発した八上ヒメの残した、木俣神(カモ
同じくカモ族の筆頭である、アジスキタカヒコネ
水軍大将で、海上を巡視して回っていたタケミナカタ
奴国王の最大のバックであったワニのコトシロヌシ

、と、どなたでもありえますね。
714
(2): 2021/08/08(日)21:21 AAS
以上が、70年タケミナカタが諏訪に持ち込んだであろう地名から考察できることですが、
また、ピンポイントでは、諏訪には大和や高木もあります。
後世にわざわざ別の読みだと断っていますが。

これらは地名ではなく、重要な役所名ですね。

大倭(おおやまと):交易専門の役所:後のS字甕の交易圏
高木(たかぎ):金印授与式の思い出の吉武高木宮殿

この辺りは、タケミナカタが、北部九州の制度を持ち込んだのでしょうね。
諏訪の大和あたりを本気で発掘したら、筑前町と同じく硯などが見つかるかもしれませんし、
高木あたりを発掘したら、大型建物があるかもしれませんね。
715: 2021/08/08(日)21:35 AAS
諏訪神氏には大祝という制度がありますね。

嫡子家督相続ではなく、
ダライ・ラマのように、神事にて後継者を決める方式。

女系で言うならば、山鹿貝塚・イザナミ神事の、骨取り神事による共立女王選択。
また、八坂刀売神の出身であるワニ族の城野遺跡には、
北部九州最大の方形周溝墓に男児が埋葬されており、
大祝との関連が示唆されます。

後の皇族にても、例の神託事件がありましたね。
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