戦国時代の始まり?享徳の乱について (740レス)
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(1): 02/17(土)22:14 AAS
(承前)
 
「享徳ノ乱」は上記工程の前半部分=甲の崩壊から乙のプロトタイプ提示までを極めて鮮明に且つ純度高く具現化したが故に戦国時代の開始を告げる事案と位置付けられる。
即ち、
甲の典型的且つ中核的な構成要素であった古河、山内、扇谷の三者が戦乱を通じて急激に乙の担い手=「戦国大名」へと変質して行ったことが事案の本質である。
当然ながら上三者配下に在る國衆等もこの工程に従った結果、
関東の社会構造全体が不可逆的/不可抗的に乙段階へ遷移しつつ周辺地域を巻き込んで行った。
 
社会構造の見地からすれば、
「応仁文明ノ乱」や「明応の政変」などよりも遙かに重大な歴史の画期であったと断じ得る所以である。
省1
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(1): 02/29(木)01:09 AAS
享徳三年(1454)十二月二十七日、足利成氏による山内憲忠謀殺。
以後三十年に及ばんとする大乱の火蓋を切った一挙は、
これに接する同年十一月二十三日と十二月十日、二度にわたって関東を襲った大地震と津波に誘発されたものと謂われる。
 
寛正期(1460~1466)から文正期(1466~1467)に顕著な有力國衆の帰趨動揺は、
>>28に書いた如く寛正大飢饉によって規定されたものである蓋然性が想定される。
 
文明九年(1477)春先、
太田道灌は豪雨による多摩川氾濫で対長尾景春戦略の変更を強いられたが、
結果としてこれが道灌の神憑りとも云うべき驀進を生んで行くことになる。
省9
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