[過去ログ] 【九州説】魏志倭人伝を正しく読む 邪馬参拾 (1002レス)
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55: 2024/03/31(日)14:49 AAS
太国や満州はどこにいったの?
56: 2024/03/31(日)15:27 AAS
極楽楽浪郡へお帰りになりました。
57: 2024/04/01(月)01:22 AAS
>>30-31
畿内説の古墳年代は実際より100年古いよ
原因は元々1世紀中頃とされていた池上曽根遺跡を年輪年代法で100年遡って紀元前1世紀中頃にしたことで
畿内の遺跡の推定年代が全体的に100年古くされたが、これが誤りだったせいで全てが狂った
よって畿内の鉄が増えたのは実際には4世紀なので>>10の東遷後の出来事となる
222 :名無しさん@1周年 :2020/01/11(土) 00:38:26.96 ID:h8y9RzJ30
>>202
日本語でおk
池上曽根遺跡は遺物から見て1世紀だ
年輪年代法による紀元前説は疑義が呈されているし、そもそも基礎データが公開されていない
省13
58: 2024/04/01(月)03:10 AAS
長い時間かけて古くしてやっと卑弥呼時代にたどりついたんだからw
59: 2024/04/01(月)04:17 AAS
たどりつくとかなんとかそんなもんじゃねえから
適当に合わせりゃいいってもんじゃねえだろ
60: 2024/04/01(月)05:24 AAS
筑前助広のはまるで漫画みたいで低品質だな・・・
61: 2024/04/01(月)06:22 AAS
女系をねじ込みたいだけだろ
纏向に宮跡が出土したなら、
崇神天皇の実在が証明されたと主張するべき事案
なのに女王卑弥呼を持ってくるということは、万世一系を破壊するのが目的なのか?
62: 2024/04/01(月)10:27 AAS
男系とか女系とか万系一世とかお前に何の関係がある?
63: 2024/04/01(月)11:58 AAS
このように日本人と天皇は関係ないのだ
64: 2024/04/01(月)12:08 AAS
楽浪郡・帯方郡の肝いりで建てられた卑弥呼の都
その高千穂の宮殿こそ、古事記に云う高天原だった。
つまり天津神とは、渡来の漢民族系馬韓族のこと、弥生以来の古日本人ではない。
65: 2024/04/01(月)12:51 AAS
それは朝鮮人らの歴史だろ
66(1): 2024/04/01(月)17:24 AAS
朝鮮人といっても、大きく分けて新羅・高句麗(高麗)・漢系朝鮮の三種族になるわけだが、
倭人伝とのかかわりでいうと、
漢の武帝後の楽浪郡時代、漢より渡来して反映した楽浪韓氏のグループは、
倭にも渡来してきた。
やはり、其のこととの関連を念頭に置くべきだろうね。
67: 2024/04/01(月)19:50 AAS
楽浪・帯方の力の源泉は、
軽くて鋭利なハガネ鉄の武器、或は斧、鋸、鉈、小刀、縫い針など大小の工具。
武力にもなったが、樹木やツタで道を切り開き、材木を整えて橋を掛け、駐屯所や兵舎も作った。
つまり広域統治のためのインフラを整えたことで、邪馬台国7万戸などの大国が続々誕生したわけだ。
それが倭人伝の語る三世紀の九州倭国。
68: 2024/04/02(火)11:00 AAS
ナマクラ青銅やナマクラ鉄に革命をもたらしたのが、
漢の第五代文帝の時、漢で発明され、彌生末に渡ってきた、軽くて、硬くて、鋭利なハガネ鉄。
持ち込んだのは、勿論楽浪郡・帯方郡。
これを武器に、東の倭種の国々へ突き進んだ。
そして青銅器狩りで集めた銅鐸・銅剣を鋳直し、三角縁にして服属者へ配り直した。
これを知った出雲国では、あわてて銅鐸・銅剣を集め、かんなび山の斜面に隠した。
これが国譲り騒動の一端。
69: 2024/04/02(火)11:11 AAS
>>66
百済新羅はもはや謎だが
高句麗は北方中国だよ。
唐以降は中原進出。
四郡以降に入った百済王も
高句麗分家だったが
扶余を名乗った。
漢四郡もだが
半島の支配者層は中国系
百済以降で、倭系だが
省5
70(1): 2024/04/02(火)19:54 AAS
倭人伝論争の戦後昭和の先駆けといえば、
復員兵で、糸島中学に職を得ていた原田大六氏。
平原イト国説を唱えるとともに、東京教育大学教授を師と仰ぎ、
卑弥呼は倭姫(ヤマトヒメ)の名を持つ女性と教わった。
垂仁皇女にヤマトヒメはいるが、残念ながら墓所が明らかでない。
そこで、ヤマトトトヒモモソヒメに乗り換え箸墓説を唱えるところとなり、
それで箸墓は三世紀前半ということになった。
ところが面白くないのが畿内の古学者たち。やがて、そろり横から箸墓説にのめり込むこととなった・・、
71: 2024/04/03(水)14:05 AAS
天照大御神は卑弥呼だった、というなら、
高天原・天孫降臨神話の高千穂との関係を再整理しなくてはならぬ。
どっちも高千穂ではなかったというのは、根拠に欠け、安直すぎる。
古代のすぐ近くで暮らしていた大和朝廷人は、それなりの自信を持って高天原神話を創作したはず。
古代とはいえ、全くのおとぎ話が、豪族たちの間で通用したとは思えない。
大国主命でさえ、杵築の島に宮殿をしつらえてもらえました。
まして高千穂は九州島のど真ん中、万地の利あり、そして何より天然の大要塞だったのですよ。
72: 2024/04/03(水)14:15 AAS
3世紀から話を始めるからワケわからん。
2世紀があって3世紀がある。1世紀があって2世紀がある。
少なくても数百年前から始めるべき。文献無いから、妄想しかないけど
73(2): 2024/04/03(水)15:37 AAS
後漢書にちゃんと倭国の大倭王の歴史が書かれてる
卑弥呼が初代の大倭王というのは大いなる勘違いだな
74(1): 2024/04/03(水)15:49 AAS
そういうことだ。
紀元前数百年の神に天照大御神があったが、
これはすでに神話だから、仮に大和朝廷の役人が卑弥呼をモデルに創作した話だったとしても、
いまさら動かしようがない。
その後に日向三代があり、そして神武となる。
そして紀元が開けると、金印紫綬の倭奴国王が九州島の南界まで極めた。
次いで面土国王の朝貢話あり、
そのあと後漢書の大倭王居邪馬臺国があって、
それからやっと、倭国大乱後の卑弥呼共立となる。
だから創作された天照大御神と、現存の卑弥呼を同一視して論を進めると混乱する。
省1
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