日本の憲法学界は倉山満氏の憲法学へ反論しないのか [転載禁止]©2ch.net (545レス)
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57: [] 2016/06/04(土) 10:52:33.13 ID:6TP6s/t9 さくらじ#84 谷田川惣が解く、伝統と憲法 https://youtu.be/N-YLlFMc6RI?t=22m10s 谷田川「美濃部も天皇主權なんです。大本はね。」 ↓ 美濃部達吉博士著「國法學」、第二章統治權、第三節主權、第一款主權の沿革、八十二丁に曰く、 「君主主權説及び國民主權説(ジャン・ボーダン及びルソーの如き)が政治歴史の實際に及したる影響の大なることは右述ぶるが如し。 主權の觀念の沿革を論ずるに於ては、此の歴史上の事實(佛蘭西革命)を度外にすることを得ず。 然れども主權といふ語は、其の本來の意義に於ては、國家の權力が國家以外の他の權力に依りて、 制抑せられざるの性質を言ひ表すが爲に用ゐられたるなり。 即ち國家の權力其の物に屬する一の屬性なり。 君主主權説といひ又は國民主權説といふは、之に反して國家内に於て何人か最??の權力を有す可きかの問題なり。 一は國家の權力の性質の問題にして、一は國家内に於ける權力の所在の問題なり。 二者は全く關係無き別個の問題たり。 不幸にしてボーダンは、此の二の問題を混同し、而して此の混同は、第十七世紀及び第十八世紀を通して行はれ、 其の混同の儘に於て歴史上偉大の影響を及すに至りたるなり。(畧) 君主主權説といひ、國民主權説といふは、政治上の主義の問題にして、主權の本來の觀念とは何等の關係無き別問題なり。 政治上の主義としても、君主主權又は國民主權は何れも必ずしも絶對の眞理に非ず、各國特殊の歴史と國民の政治事情とに依りて決す可き問題なり。 其の本來の觀念に於ては、主權とは國家の權力の屬性たるに外ならざることを明かにすることを得たるなり。」 *谷田川は美濃部の著書すら眞面に讀んではゐない。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/jurisp/1434439900/57
さくらじ 谷田川惣が解く伝統と憲法 谷田川美濃部も天皇主なんです大本はね 美濃部達吉博士著法第二章統治第三節主第一款主の沿革八十二丁にく 君主主説及び民主説ジャンボーダン及びルソーの如きが政治歴史の際に及したる影響の大なることは右述ぶるが如し 主の念の沿革を論ずるに於ては此の歴史上の事蘭西革命を度外にすることを得ず 然れども主といふ語は其の本の意義に於ては家の力が家以外の他の力に依りて 制抑せられざるの性質を言ひ表すがに用ゐられたるなり 即ち家の力其の物にする一の性なり 君主主説といひ又は民主説といふは之に反して家内に於て何人か最の力を有す可きかの問題なり 一は家の力の性質の問題にして一は家内に於ける力の所在の問題なり 二者は全く係無き別個の問題たり 不幸にしてボーダンは此の二の問題を混同し而して此の混同は第十七世紀及び第十八世紀を通して行はれ 其の混同のに於て歴史上偉大の影響を及すに至りたるなり 君主主説といひ民主説といふは政治上の主義の問題にして主の本の念とは何等の係無き別問題なり 政治上の主義としても君主主又は民主は何れも必ずしも絶の理に非ず各特殊の歴史と民の政治事情とに依りて決す可き問題なり 其の本の念に於ては主とは家の力の性たるに外ならざることを明かにすることを得たるなり 谷田川は美濃部の著書すら面にんではゐない
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