[過去ログ] 奥の細道と不易流行 (1001レス)
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1: ばっしょー 2000/10/19(木)02:29 AAS
松尾芭蕉が奥の細道で最終的に
えたものとは??
また、このたびでえたとされる
「不易流行」とはなにか??
バカなので分かりやすく説明できる人
おねがいしまーす(^^)
2: 世情@ 2000/10/19(木)03:11 AAS
世の中はいーつもー変わっているからー
変わらないものがー悲しい思いをするー
変わらないものー何かにたとえてー
そのたびくずれちゃーそいつのせいにするー
これが「不易」と「流行」です。
3(1): 1 2000/10/19(木)03:57 AAS
>2
ふ、ふかい、、、、
なーんか分かるようなわからんような。
それは何かの歌ですかね?
それとも2さんオリジナル(?)
ふかいっす、、
4: "猿"蓑 2000/10/19(木)10:33 AAS
2です。
ん?この歌をご存知ないとは、1どのはお若いかたとお見受けしますが。
むかし中島みゆきが歌った「世情」という曲です。
「不易流行」という文字をみて、何となく頭に浮かんだのがこれ。
(なんで全部歌えるんだろ?>自分)
いみじくも、これも「不易流行」を歌ってるような気がしたんだよね。
♪シュプレヒコールの波ー通りすぎてゆくー変わらない夢をー流れに求めてー
時の流れを止めてー変わらない夢を見たがる者たちとたたかうためー
5: "猿"蓑 2000/10/19(木)10:38 AAS
…とまあ、お遊びはさておき。
芭蕉の伝えた「不易流行」とは、俳諧の創作論みたいなもので、
「千歳不易」=永遠に不変のもの
「一時流行」=新しく変化するもの
という二項対立があるんだけど、「風雅のまこと」(うたごころの本質、みたいな
意味)という点では、両者の根本は一つだと言ってる。
で、「不易」の句を知らなければ創作の根本はなりたたないし、「流行」の句を
知らなければ、新しい句風もつくれない。
よく「不易」を知ってる人ほど、同じところにとどまっているということがない。
自然の美しさに人間の心が寄り添う、ということは昔から変わらない。
省5
6: 1 2000/10/20(金)01:57 AAS
す、す、すごいっす!!
つまり、時代の流れによって変わるもの、
変わらないものどっちも大切な物であり、
変わらない部分も大事にしながら、新しい道も
切り開くべきだ、ということですかね??
(あってます??)
またこの不易流行の思想を奥の細道の旅によって
芭蕉が得たという考え方は正しいのでしょうか?
もしそうなのであれば、具体的にどの辺りでそれは
わかるのですか??
省2
7: "猿"蓑 2000/10/20(金)15:17 AAS
はは、今気づいたけど、調子にのって歌詞まちがえてた。>2
2行目は「♪頑固者だけがー 悲しい思いをするー (i_i)」だった。スマソ。
週末は来られないんで、今のうち、まとめて書いとくけどさー。
1さんが、どうして「奥の細道」と「不易流行」に興味もったのか?
その辺に興味があるなー。どして?
>またこの不易流行の思想を奥の細道の旅によって芭蕉が得たという考え方
…うん、一応そういうことになってるみたいだよね。
ところで、1さんは「奥の細道」の原文、全部読んだうえで質問してるのかなー?
これには、「不易」「流行」ってことばそのものは、もちろん書かれてないよね。
だから、芭蕉がどのあたりで、「不易」「流行」っていう理念を思いついたか、
省3
8: "猿"蓑 2000/10/20(金)15:22 AAS
でも、旅の途中で北陸に来た時、金沢の俳人・立花北枝に「不易」「流行」
という理念を説いているから(北枝「山中問答」)、もちろんそれまでには
考えをまとめていたんだろうね。
「不易」「流行」というのは、芭蕉の弟子が書きとめた「去来抄」、「贈晋
子其角書」(向井去来)、「山中問答」(北枝)、「三冊子」(服部土芳)など
に、芭蕉の語ったことばとして出てくる。
>3で書いたようなことは、これらの弟子の著作にあるだけで、芭蕉がそう
書いてるわけじゃない。
高校生用の古典参考書シリーズでも「奥の細道・去来抄・三冊子」(三省堂)
なんてのが出てるから、そっち読んだほうが早いかも 。
9: "猿"蓑 2000/10/20(金)15:27 AAS
「奥の細道」の旅の目的は、みちのくの「歌枕」をたずねて、吟行する
ってことだったわけ。
(最近は、芭蕉スパイ説とか、怪しいことがいろいろいわれてるけど)
芭蕉は昔の歌人たちの思いに共感して旅に出たわけだけれど、旅先では、
思いがけない風景や人に出会ってる。芭蕉にとって、旅先で体験した永遠
不変のものは何だったのか、何が変わってしまったものだったのか?
たぶん、俳句にもそれは表れているんじゃないかな?
(「夏草や つはものどもが夢のあと」とか)1さんは、どう思う?
芭蕉自身も死ぬまでこの「不易流行」を俳諧で実現できたとは思ってな
かったみたいだし、芭蕉の死後も「不易流行」の解釈については弟子の
省6
10: "猿"蓑 2000/10/20(金)15:50 AAS
あうぅ、書き間違い。
>8を訂正。
3で書いたようなことは → 5で書いたようなことは
11: 名無しさん@1周年 2000/10/23(月)00:58 AAS
>猿蓑さん
ほんま、くわしすぎるっす!!
もしかして、どこかの先生とかですかね?
僕が「不易流行」というものに興味をもった、
ていう理由?ですが、奥の細道で芭蕉はなにを
得たか、もしくはこの作品、旅の目的などを
調べて論文みたいのを出すことになったからです。
だからもちろん全部よんでます。
そして「奥の細道」にかんする本をいろいろよんで
みて、
省10
12: 1 2000/10/23(月)01:09 AAS
で、その得たものとはなにか?ということについては
猿蓑さんのいう
旅先で体験した永遠不変のものは何だったのか、何が変わってしまったものだったのか?
たぶん、俳句にもそれは表れているんじゃないかな?
というところだとはおもうんですが、
僕は僕なりの考えでは奥の細道の序文に旅で得たもの、とか旅とは?とか
そういうものの答えがあるような気がするわけです。
しかし余りにもテーマが大きすぎてどうやっていいものやら
未だに苦戦しているところです。
またなにか助言いただければありがたいです。
省2
13: 名無しさんoo@1周年 2000/10/26(木)04:22 AAS
ちなみに、不易流行は和習漢語です。
漢文では不易と流行とは同義です。
14: 名無しさん@1周年 2001/03/29(木)22:51 AAS
高校の時、先生が芭蕉は「おくのほそ道」と記述してるから
そう書かなくてはダメだ。と言っていたのですが実際のところ、
どうなのでしょう。テストで出たときなど、「奥の細道」だと×に
なってしまうのでしょうか。
15(1): 似非文系 2001/03/30(金)00:32 AAS
うーん、広辞苑には…
おくのほそみち【奥の細道】(書名は宮城野から松島へ行く間の地名による)
…と書いてあるから、テスト程度だったら漢字で書いてもいいと思うんだが。
(別に広辞苑に権威なんてこれっぽっちも感じてないけど)
ただ、採点者にもよるよ。
16: 01/11/13 01:08 AAS
外部リンク[mpg]:asian.vidsvidsvids.net
17: 01/11/13 01:10 AAS
ちん
外部リンク[mpg]:asian.vidsvidsvids.net
18: 01/11/13 01:11 AAS
no
外部リンク[mpg]:asian.vidsvidsvids.net
19: 01/11/13 01:12 AAS
f
外部リンク[mpg]:asian.vidsvidsvids.net
20: 01/11/13 01:14 AAS
ぼこゆ
外部リンク[mpg]:asian.vidsvidsvids.net
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