[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践19 (1002レス)
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137(4): 桃太郎 2020/12/31(木)12:29 ID:qg4NZNwg(3/4) AAS
◆さらに釈尊は、如来の真実を説いていきます。
「私は、久遠の昔に成仏して以来、常に、この娑婆世界で人々に法を説き、教え導いてきた。
他の百千万億那由他阿僧祇という無数の国土でも衆生を導き、利益してきた」
◆具体的に、過去の振る舞いを述べます。
「(久遠の昔から今に至るまでの)この中間において、私は燃灯仏などのことを説き、また、涅槃に入るとも言った。このようなことは、全て方便を用いて説いたことである」
◆なぜ、方便を用いたのか。
省11
138: 2020/12/31(木)19:11 ID:LAmK6LyB(1) AAS
経典の内容が本当かどうかご自身の修行の結果でわかるまで修行がんばってくださいね
139(2): 桃太郎 2020/12/31(木)21:17 ID:qg4NZNwg(4/4) AAS
私たちの師匠である池田名誉会長を賞賛する識者は数多くいます。
外部リンク:www.sokanet.jp
これは日蓮大聖人の仏法が時代を超えていかに優れているかの証左だと思います。
あのガンジーですら日蓮をリスペクトし「南無妙法蓮華経」を唱えていたぐらいですからね。
ところでスマ長老又はテラワダを賞賛する世界的識者等居ますでしょうか?
私はあまり聞いたことが無いので、あれば教えて下さい。
社会悪に目を逸らし、一切衆生の幸福に無関心なテラワダ思想が
世界に受け入られるとは到底思われませんが如何?
ところで、>>125 の私の論難に誰一人答えられないのは何故ですか?
140: 2021/01/01(金)01:35 ID:Ubnr1J4U(1) AAS
インドに住んでる日本のお坊さんが
今では大乗が小乗になり恥じるべき
小乗が大乗になってるのを目の当たりしてる
それをYouTubeで見るとささるものがある
141(2): 2021/01/01(金)19:26 ID:OMrSdpe5(1/3) AAS
>>139
ちょっと挑戦してみますね
>釈尊が「自分以外は実態の無い「頭の中に有る妄想」」であると思っていたのなら、弟子は必要なかったでしょう。
自分自身も妄想です
その通りです ですから伝承ではギリギリのところ
まで いやーどうせ教えても無駄だわ
わかりっこないもん
そう思ってためらっておられたのです
ですから気まぐれで
やっぱりもう満足したから 疲れたから
省21
142(1): 2021/01/01(金)19:28 ID:OMrSdpe5(2/3) AAS
続き
何故このようなことが言えるかというと
無我を実感(これもある意味妄想ですが)した瞬間
多くの価値観が死滅してしまうんです
どんな価値観も理論も意見も考えも
全て自分は存在しているという
議論することも疑うことさえもない大前提
それが崩れたとき多くのものが色を失ってしまいます
楽しんだり苦しんだり
色々人間らしい一生を送ってきたある日
省11
143: 2021/01/01(金)19:31 ID:OMrSdpe5(3/3) AAS
続き
> ところでテラワダの教えは誰に教わったのでしょうか?スマ長老ですか?
本質的には仏典です そして極端にいうならば
無我無常一切皆苦縁起 この辺りのキーワード
をぼんやりとでもいいので頭に入れれば
あとは瞑想で自動的に到達するシステムです
> と言っても、その悟りすらも自身の妄想と言えるのではないでしょうか。
その通りです 特に最初の体験などは嬉しくて
色々考えたり自分を褒めたりします
ですがそれも通り過ぎて
省6
144(1): 桃太郎 2021/01/01(金)20:51 ID:A6WRrQQ6(1) AAS
>>141
真摯な回答ありがとうございます。
ついでに >>106 については、どう思われますか?
145: 2021/01/02(土)05:14 ID:2aJwHdHj(1) AAS
> 自性[1]は、物それ自体の独自の本性[2]、もの・ことが常に同一性と固有性とを保ち続け、それ自身で存在するという本体、もしくは独立し孤立している実体のこと[3]。根本的な性質、存在の本質を表す
>>84や>>90あたりはテーラワーダでよく聞く話で
一時的(無常)でないものとして、法則(法)と涅槃が挙げられるのは聞いたことがあり
物質(色)や心(名)に関しては一時的にその形をしているもので、また変化するもの
と話していたような気がしました
物質も無常で、変化するものという考え方をしていたように思いました
(自分は141ではないですが)
146: 2021/01/02(土)19:33 ID:dUWkeWDl(1/2) AAS
>>144
正直言いまして
この手の話題は全く不要の戯論だと考えてきました
恐らく論理的に納得しないと
瞑想に入れない弟子のため
または論争相手を負かすための論法として
発達したのではないかと思います
これは勝手な想像ですけど
ですから気になったことも答えを探そうと
考えたこともありません
省36
147: 2021/01/02(土)19:55 ID:dUWkeWDl(2/2) AAS
続き
ですが答えは全くもって分かりません
最新の素粒子理論などを見ていると
空間は粒子で満たされており
手が空間を移動しているのでは無く
手というエネルギーが
次々と充満した粒子に伝わり
粒子が手に変化している
という話もあります
学術的な言い回しでなく申し訳ないですが
省3
148(2): 2021/01/02(土)23:30 ID:k/mjUhb1(1) AAS
消失するのではなく、その現象で言えるなら消失したという思いが生じただけ
自分が消失したと思っても実際に消失したかどうかの根拠はない
簡単に言えば知覚器官を通さず何かを分かることはない
何であろうと対象が○○だというとき、実際に対象が○○である根拠はなにもない
誰も対象に直接アクセスしていない
知覚を通して対象が○○であると判断しているだけである
そのように一切の事柄はそのように思った、思えたとしか言えない
つまり消失うんぬん以前にそもそも消失する何かが元々在ったとも言えず、在るという思いが生じていただけ
在るという思いが現われ、それが消えるかわりに無い(消失)という思いが現われただけである
このような言い方をすると唯識のように思われるかもしれないが、識だけがあるというのではない
省7
149: 2021/01/03(日)16:47 ID:FTkXjH0T(1) AAS
>>148
そうですよね
瞑想が進んでいくと悟りの意味も更に変化して
いくのではないかと何となくの予感はありますね
まあ一つのSF的思考実験としては
簡単に説明できそうです
この世界が遥か未来のコンピュータシミュレーション
の世界だとすれば何の矛盾も生じないのではないかと
画面の中に設定した世界では登場人物の網膜に
猫を登場させることも
省11
150(1): 桃太郎 2021/01/03(日)22:18 ID:EMPMM6SR(1/4) AAS
>>141
>やっぱりもう満足したから 疲れたからこのまま死のう という可能性もかなりあったと思います。
そのような自説は議論には不要だと思います。
>膨大な教えなど説いていません
その根拠を示して下さい。
省9
151(1): 桃太郎 2021/01/03(日)22:18 ID:EMPMM6SR(2/4) AAS
つづき
>自分自身も妄想なのです
>妄想の中で妄想を使い色々試してみた結果、妄想であることに気づき 妄想から脱した...。
「妄想であることに気づいた」自分自身の知覚が妄想なので、矛盾しています。
※循環論法では命題自体の絶対的な説明が一切行われないため、何の論証も行なわない場合と同じことになる。従って、説明からは何の結論も得ることが出来ない。
>それを良く表す言葉が川を渡り終えたら船を捨てろ(意訳)
省9
152: 2021/01/03(日)22:41 ID:XvMLCM/Z(1) AAS
テーラワーダについての話し合いを見に来たのに層化が語っているだけだったでござる
153(1): 桃太郎 2021/01/03(日)23:08 ID:EMPMM6SR(3/4) AAS
テラワダではよく「この世は実態なき妄想」である。とか「無」になるとか聞きますけど
これらの「妄想」や「無」という捉え方は、説一切有部で説く「空」の概念や、龍樹の中論に於ける「空」の概念とも違います。
これまでの説明を聞く限り、どちらかというと「唯識論」に近いものがあると思われます。
また、一人ひとり認識の仕方がまちまちで、統一性がなく
>一般社会人とか何なんですか?頭の中に有る妄想ですよ?
と言うかと思えば
>テーラワーダは物質の存在を認めている。
省5
154(1): 桃太郎 2021/01/03(日)23:08 ID:EMPMM6SR(4/4) AAS
まぁ、それは置いといて、
>>148 に関して
人間の知覚の曖昧さを説明するものとして、なかなか鋭い点を指摘しているように思えます。
以前にも書きましたが、サンジャ(釈尊十大弟子の双壁ともいうべき舎利弗と目連が、かつてサンジャヤの弟子であった)の「懐疑論」を彷彿させます。
サンジャ曰く
「悟った人(如来)は死後も存在するのか、存在しないのか、存在しまた存在しないのか、存在もしないし存在しないのでもないのか−と、
もしたずねても、悟った人は死後存在もしないし、存在しないでもない、とわたしがもし考えたら、そう答えるであろうが、しかし、わたしはそうは答えない。
そのとおりだとも考えないし、それとは別だとも考えない。そうで無いとも考えないし、そうで無いのではないとも考えない」と。
つまり、一つの問いに対して、かならず有・無・亦有亦無・非有非無の四句分別をもって答えたそうです。
省7
155: 2021/01/03(日)23:39 ID:froFnz1j(1) AAS
無駄な議論をしてないで議論しようという思いがどこから生じるのか調べたらよかろう
156: 2021/01/04(月)17:55 ID:Ev31KSi6(1) AAS
>>150
そのアショーカ王が第三回結集で分別説部を正当な部派と認めてスリランカへ移植した名残が現行のスリランカ仏教なんだけど 其処に法華経は存在して無いんだよな
考古学的にもその当時に法華経なる経典は存在した痕跡すらない訳だ
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