[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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278: 桃太郎 2021/08/05(木)18:47 ID:2lyPOSQv(1/5) AAS
>桃太郎も宗派の壁を超えられるイケメンに大変身するんです

もともとイケメンなんで変身する必要は無い。(笑
人類の幸福と平和を思考する宗教は共通認識がある。
スマ爺教は、人間をダメにする。

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日蓮大聖人 御書

「“生まれた者は必ず死ぬ”という道理を、王から民まで、だれ一人知らない者はない。しかし実際に、このことを重大事と受け止め、このことを嘆く人間は、千万人に一人もいない」
省9
279: 桃太郎 2021/08/05(木)18:47 ID:2lyPOSQv(2/5) AAS
人間の死は、臨床的に、呼吸停止、心臓停止、脳機能停止(瞳孔散大と対光反射の消失)の三徴候を判定基準としていますが、そもそも私たちは、なぜ死ななければならないのでしょうか。
私たちの身体は、37兆2000億個ともいわれる細胞で構成されていますが、その一つ一つの細胞に「死」の仕組みが備わっているからです。

実は、このプログラムがないと、私たちは生き永らえることができません。

細胞は、さまざまなストレスにさらされ、傷つくことがあります。それを放置してしまえば、ウイルスや細菌などの外敵がそこから侵入し、身体全体に悪影響を及ぼしてしまうので、傷ついた細胞は死んで、新たに生まれた細胞と入れ替わっています。

事実、こうした働きによって、胃腸の内壁細胞は数日、白血球は約3日、皮膚は約28日、赤血球は約120日というサイクルで、細胞が生死を繰り返しながら、私たちの身体は維持されています。

ただ、それにも限界があります。細胞は分裂を繰り返すほど、遺伝子のコピーミスが起こり、がん細胞が生まれてしまうリスクが高まるからです。
がん細胞も結果として私たちの身体の調和を壊してしまうことから、そうした細胞になってしまう前に、一つ一つの細胞には、アポトーシスといって、周囲を守るために自ら死を選ぶプログラムがあることが知られています。
細胞レベルで死を免れることができない以上、その細胞で構成される私たちも、死から逃れることはできません。
省1
280: 桃太郎 2021/08/05(木)18:48 ID:2lyPOSQv(3/5) AAS
「命懸けで種を残す」

それは細胞レベルだけでなく、自然界にも見られます。

ほとんどの生物にとっては、生きている以上、死は定められたものです。
しかし、その限られた「生」の中で、生物たちは、自分たちの種を残していくために、それこそ命懸けで子孫を守ろうと戦っています。

例えば、サケは産卵後に死に、その体をプランクトンに食べさせて、結果として稚魚の餌にさせます。
また卵を産んだら自らの内臓を出し、子どもに食べさせるクモがいることも知られています。
これらは過酷な生存競争に勝ち残っていくためですが、このように自らの命をも捧げるという利他的な行動で新しい生を残していく種も存在します。

一方、人間はこのような死を選択しませんが、種を守る、子孫を守るという利他的な行動があったから、ここまで生き残ることができました。
省4
281: 桃太郎 2021/08/05(木)18:48 ID:2lyPOSQv(4/5) AAS
「死と向き合う力」

私はこれまで約40年にわたり、私の両親を含めて1000人以上の臨終に立ち会ってきましたが、その中で、ある意味での法則のようなものを感じています。
それは、ベッドの上で亡くなられる方のほとんどが、「生きたように死ぬ」ということです。

いつも笑顔を絶やさない方は、ほぼそのままのお顔で亡くなられます。
そして、亡くなられたのに、まるで生きているように感じさせる方々には、共通点があります。
それは生前、自分のことより他人の幸せを優先して考え、常に周囲に対して感謝の心で接しておられた方々であるという点です。

まさに、生命が本然的に持つ利他の生き方を貫いてきた結果であると、私には思えてなりません。

人は「死」と向き合うことで、自らの命の有限性に気付かされます。しかし、その限りある人生を意識するからこそ、「今」を大切にすることができます。
282: 桃太郎 2021/08/05(木)20:20 ID:2lyPOSQv(5/5) AAS
>ベッドの上で亡くなられる方のほとんどが、「生きたように死ぬ」ということです。

これは、非常に大事なことだよ。「生きたように死ぬ」とは、

人を苦しめた人間は、同じように苦しんで死ぬ。

人の幸せを願って生きてきた人間は、多くの縁した人々に見守られながら、安らかに死ねる。

と言うことだね。
283: 2021/08/06(金)13:57 ID:g5q+ozw4(1) AAS
地橋氏のは
ラベリングは感覚を感じることを優先してから

スマナサーラ長老は
とにかく実況中継で妄想の入る余地をなくす

確かに長老のやり方、妄想が沸く率は減るんやけども
そのかわりすごいイライラする気持ち沸きやすいん
心が落ち着きにくいやり方。俺には
「苛立ち苛立ち苛立ち」「瞑想をやめたい気持ち」
の実況を連発することで、その気持ちは別に消えないんよな。俺じゃなきゃ消えるのかもしれんが

地橋氏のやり方だと、
省4
284
(1): 2021/08/08(日)12:00 ID:8x8ARNNy(1) AAS
> 指、釈迦の言説や経典となったものは月、真如を指し示すものだが、指を月と同一視してはいけませんよ
例えば法華経自体と法華経の経典に書かれている法華経という文字と、それが示している法華経というものは別個の存在なんだよね
それは勉強しないと分からない
285: 2021/08/08(日)12:34 ID:/30KB0iF(1) AAS
法華経と大日経に金剛頂経って系統も編まれた場所も違うんだっけ?
286: 2021/08/08(日)22:41 ID:jfHpD688(1/4) AAS
>>284

およそ、仏法を学すものは「文・義・意」を知らねばならない。
基本中の基本であるからだ。

それを知らずに文面だけで解釈すると、「無我」を「存在しない私」とか「私は妄想」であるとか
誤った解釈をしてしまう。
しかも、それがエスカレートして「この世のすべては妄想の世界」とか言い始める。
こうなると、ただの「唯心論」でしかない。
法華経(随自意)を学んで始めて、釈尊が下根の衆生を導くために説いた「対機説法」である小乗教、権大乗教
すなわち、随他意方便の教えの本意を知る事が出来る。

ゆえに法華経も「文・義・意」を理解して学ばないと、ただのお伽噺のようにしか読めない。
省5
287: 桃太郎 2021/08/08(日)22:47 ID:jfHpD688(2/4) AAS
次に、禅宗を破折しておく。

瞑想修行という点で、テラワダとは「お仲間系の宗教」だと思うので
一応、日蓮大聖人の「諸宗問答抄」より抜粋しておきます。

禅宗の法門は、あるいは「教外別伝・不立文字」といい、あるいは「仏祖不伝」といい、
「修多羅の教は月をさす指のようなものである」ともいい、
あるいは「即身即仏」ともいって、文字を立てず、仏祖にもよらず、教法を修学せず、画像木像をも信用せずということを言っている。

反詰していう。仏祖不伝というならば、どうしてインドの二十八祖・中国の六祖といって相伝したのか。
そのうえ、迦葉尊者はどうして一枝の花房を釈尊から授けられて、微笑して心の一法を霊山で伝えたと自称するのか。

また、祖師は無用というならばどうして達磨大師を本尊とするのか。
また、修多羅の法が無用であるなら、どうして朝夕の所作に真言陀羅尼を読むのか。
省4
288: 桃太郎 2021/08/08(日)22:48 ID:jfHpD688(3/4) AAS
それを責めるには、他の人が執情することのみを論議して、自分自身が空理に執著してとらえられていることを知らない点である。
そして「貴公は他の人の執情ばかりを責めるけれども、貴公の情を情として執着している情をどうして離れないのか」と反対にただすべきである。

「およそ三世諸仏が説かないで残された法は一法としてないのである。
なんじは仏祖不伝といって仏祖から伝わっていないというなら、それでは禅法は天魔が伝えたところの法門になるが、どうか。

それなのに、なんじは断見と常見の二見を出ないのであるから、無間地獄に堕ちることは疑いない」といって責めるべきである。

また、何度も彼らのいう言葉でややもすると彼ら自身が詰まることになる。

それでも、学問のない彼らは「道理には詰まっていない」といって、他人の道理も聞かず、自身の道理も知らない。
こういうのを、暗証の者というのである。彼らはすべて、道理には折れないが、それは例えば、行く水に絵をかくようなものである。
289: 桃太郎 2021/08/08(日)22:49 ID:jfHpD688(4/4) AAS
>また、何度も彼らのいう言葉でややもすると彼ら自身が詰まることになる。

あるあるスマ爺教。(笑

だな。
290: 2021/08/09(月)07:44 ID:wXy3I9Nu(1) AAS
瞑想や実践で概念や執着が外れていくとどのようになっていくかがよく説明されてると思う
解剖学者 養老孟司の話

動画リンク[YouTube]
291: 神も仏も名は有るさん 2021/08/15(日)19:14 ID:vste/Vjm(1) AAS
過疎って良いですね。

「われらは実に朋友を得る幸せを讃め称える。自分よりも勝れあるいは等しい朋友には親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。」(Suttanipāta 47)
292: 桃太郎 2021/08/15(日)21:31 ID:ZnWxEVI0(1) AAS
<善知識>

よい友人・知人の意。「知識」とはサンスクリットのミトラの訳で、漢語として友人・知人を意味する。
善知識とは、仏法を教え仏道に導いてくれる人のことであり、師匠や、仏道修行を励ましてくれる先輩・同志などをいう。
善友ともいう。悪知識に対する語。
信仰を貫く上で、自分を正しく導いてくれる師匠の存在は不可欠です。仏法では、師匠や、仏道修行を励ましてくれる同志を「善知識」と呼びます。
人間の心は揺れ動きやすく、仏道修行の途上においても、自身の弱さに負けて信心の実践を怠ってしまうことがあるかもしれません。
そこで必要になるのが、常に正しく仏道に導き、信心を触発してくれる善知識なのです。

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釈尊の弟子で阿難という人が師匠にこう質問しました。

阿難「私たちが善き友をもち、善き仲間と一緒にいるということは、仏道修行の半分を成就したようなものだと、私は考えるのですが」
省11
293: 2021/08/18(水)07:41 ID:HLNLy/pu(1) AAS
ブッダの言葉スッタニパータの注釈読み直してたら
要約「仏と法への帰依の文言はあるが三宝帰依ではない、これはサンガが帰依の対象となる以前に作られたものだろう」
ってあって
キリスト教でも後からなんかぐちゃうちゃいう連中によってマリアも信仰対象になったように

きっとブッダがいた頃って
ブッダ「法への帰依」
ぐらいしか言ってなかったんじゃないだろうか?
目覚めた人、修行完成者、仏への帰依さえ言ってなかったんじゃないだろうか?(供養したらいいよは言うと思うが)

あとからぐちゃぐちゃ言うやつら(権威を振りかざすクズ集団ども)のせいで
ブッダやイエス「これだけはどうゆるいでも大事って思ってね」
省1
294
(1): 2021/08/25(水)00:44 ID:f966pbiK(1) AAS
素朴な疑問なんだけど、テーラワーダの人達って坐禅の時は床の上に直接かせいぜい座布団をそのまま敷いた上に結跏趺坐か半跏趺坐で坐って瞑想するよね?
あれって両膝は浮いて不安定になる、以前に組んだ足が痛くなるし、背筋は伸びずに猫背になりやすく肩こりや腰痛のもとになると思うんだけど、皆さんあの姿勢で座り続けて平気なの?
慣れるものなの?
その辺が少し知りたいのでテーラワーダ式で坐禅されてる誰か教えてください
295: 2021/08/25(水)04:12 ID:wHoLYJYR(1) AAS
坐禅って言い方は主に禅宗の座り方の言い方でテーラワーダとはまた少し違うと思うけど
慣れたら痛くなくなるし両膝もつくようになっていくけど禅宗でもお尻の下に座布団敷いたりして安定させるよ
別に結跏趺坐や半跏趺坐じゃなくても安定する座り方ならなんでもいいんじゃない? ヨーガでも座り方いろいろあるし
テーラワーダは基本ヴィパッサナーだし座ってやるだけがヴィパッサナーじゃないしそれほど厳密に最初からきちんと座らなくても徐々に慣れていけばいいんじゃないのかな
瞑想会や合宿でも座りっぱなしじゃなくて休憩が入るし初心者でも少し慣れたら1時間以上座れるようになると思うよ
296: 2021/08/25(水)11:04 ID:faeIiB5c(1) AAS
いつまで経っても瞑想初心者のままだわ
もう俺の瞑想は進まないってあきらめ入った
297: 2021/08/27(金)13:19 ID:8si3Yuhx(1) AAS
鼻による腹式呼吸で腹筋が痛くなったんだけど経験ある?
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