[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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411: 2022/01/01(土)14:24 ID:srAdH9Ax(1) AAS
無明→行→識→名色→六処→触、受、愛、取、有、生、老死
人間はいつでも無明から始まっていて、喉元過ぎれば熱さ忘れて生きている
無明であることに無自覚だった者を罪悪甚重の凡夫と呼ぶのですよ
412
(1): 2022/01/02(日)19:13 ID:/uzNMFSs(1) AAS
十二縁起って
なんで識のあとに身体が出来上がるのって飲み込めないまま
なんとなくの理解は
無明から欲望を満足したい意識が出て、欲望を求める叶えることを目的とした準備をする=身体が出来上がる。神経の働きや脳の働きがそうしようってだけに全力で働く状態になってる
なんやろかねぇ
って思ってる
自分ではそういう意味な気がしてるって思ってる
カチカチで崩れない自我意識ってもの自体が、無明=煩悩の親玉なんだろうなきっととも思ってる
413: 2022/01/03(月)02:51 ID:XRFrrToQ(1/2) AAS
>>405
そうですよね
"そこで初学者に試してほしいのは、身体を撫ぜることだ。"

これは瞑想の世界に入りたてのころは
やれと言われても、言葉でその狙いを説明されても
触ったら感覚を感じるけど当たり前じゃん?何言ってるの?
早くちゃんとした瞑想を教えて欲しい
となってしまうんですけど

一定以上の瞑想の段階になると なるほどってなりますね
扇子を目の前でパンと開いたり、手を打合せて大きな音を出してみせたりしても
省4
414
(2): 2022/01/03(月)03:23 ID:XRFrrToQ(2/2) AAS
>>412
このへんは理論と瞑想によって自覚できる体験にかなりの開きがあるような気がします
優れた修行者の一部には詳細にその流れを見られる人もいたのかもしれませんが
そこまではなかなか.....

egoの無い(と思われる)もっと小さな生物や単細胞生物にまで視野を広げると
大きなフレームで何となくシステムというか構造のイメージが湧いてくるかも
整理できた後に瞑想に向かう気持ちが大きくなればラッキーです

私はあんまり結論なんかは考えないようにしてるんですけど
瞑想を通して思うのは、とにかく
"内容は何でも良いので経験し続けること"
省3
415: 356 2022/01/03(月)08:46 ID:ntR/qbzy(1/2) AAS
>>414

その通り、何かのエネルギーから理念や思念が生まれ、そうした理念や思考を通して行動が生まれて経験を積んでいく。経験の集積から価値があるエッセンスが蓄積され、仏教で言う智慧になっていく。

一人の人間もこれを繰り返して精神的な進化をしていくが、仏教で言うような想像上の終着点は無い。
輪廻があるとすれば(自分はあると思ってるが)、高度な進化や終着点は無く、永遠の進化や遥か高みの高度化があるだけで、宇宙全体も永遠の収縮と膨張を繰り返す。

また、あらゆる物質的、半物質的な振る舞いは414が言っているような、プラスとマイナスの法則から成り立っていて、感覚や感情の快不快や思考のポジティブ-ネガティブもその一つで、それごとに正確な跳ね返り(経験)を産む。
416: 356 2022/01/03(月)08:52 ID:ntR/qbzy(2/2) AAS
あ、間違えた。高度な進化がある。

ちなみに、人間の内面の精神的な進化だけではない。それもその一つだがあらゆる生命がそのカテゴリー毎に生物学的、精神的に進化していく。
417: 2022/01/03(月)19:19 ID:kIfsXRJl(1) AAS
>>414

そう、理論と瞑想の開き、その流れ。経験が何らかの観念を包摂するには、その経験が当人に極端でないと、自前の経験でさ迷うのがオチかなと一般論で危惧する。「脳」という経験は知覚とは呼べないが、数多の知覚を従える権威を有している。こういった一々の固化した牙城を切り崩すの程の″良い経験″を万人が必然的に得られる保証があれば経験一元論として売れる。
418
(1): 2022/01/05(水)10:57 ID:DYN7JI4r(1) AAS
>>363
すいません、見落としてました
現在はだいぶんと瞑想もふにゃけてしまったんですが、
記述してあるような内容を体験・実践していた頃は
朝起きたと同時に
目が冷めた
寒さを感じている
腕が動いている
時計を目ている
こんな感じ(実況中継)にスタートしてこれを起きている間中でした
省9
419: 2022/01/05(水)18:23 ID:xdZXP3fo(1) AAS
仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり
420
(1): 356 2022/01/05(水)20:41 ID:e7JejzZf(1) AAS
>>418

ありがとうございました。
よろしければ、サマタ瞑想での集中(没入沈潜)対象と、一回あたりの瞑想時間を教えてください。集中対象=どんなイメージもしくはマントラなどの音か、自分の脳内内部か自分の外の対象か、等。
421
(1): 2022/01/06(木)21:45 ID:c3w0cDGa(1/2) AAS
>>420
当時の私のコンセプトは究極の心身のリラックス=死
でしたので基本は対象を何も取らずにただじっとしている感じです

とはいっても慣れるまでは思考がチョロチョロ動くので
暗闇を凝視する、瞼の裏を凝視する、とか
瞑想の導入部分で真っ黒な世界に自分がボロボロと崩れていって
完全に無くなってしまうようなイメージなども使ってました
こんな感じです
422
(1): 2022/01/06(木)21:55 ID:c3w0cDGa(2/2) AAS
>>421 続き
時間を書くのを忘れていました
随分とサマタに慣れた頃の時間ですが、
大体45分から1時間といったところです
最初の15分から20分で体が無くなり
調子が良い(?)時には次の10分で意識が無くなり
10分から15分後ぐらいに意識が戻り
(無意識に寝ないといけない時間に意識が戻る)
ぼーっとしたまま寝るってサイクルでした
423: 2022/01/07(金)02:53 ID:h75fL1Fp(1) AAS
>>399
苦諦は本当に難しいですよね
理論も実感もしっくりこないので一番難解な教えではないでしょうか

難しい原因の一つは誰がどの境地で語ったのかという問題があります
私の稚拙な推測では、仏陀が悟ったプロセスにおいて
過去世を見た際、何の意味もない繰り返しの人生の数々をはっきりと見て
もうあの繰り返しの状態には戻りたくないという気持ちが生まれたことが一つ

また阿羅漢などが瞑想のプロセスにおいて無常をはっきりとまざまざと認識した際、
本当に心から何かに執着したり、拘ったりするのは意味がない、苦しみの元だと
そのような気持ちが生まれるのがもう一つ
省12
424
(1): 356 2022/01/07(金)08:11 ID:AmoXb0QJ(1/4) AAS
自分は苦の思想を殊更強調しそれらを忌み嫌う、するあらゆる宗教的思想や宣伝は大きな誤りだと思っています。これらはあまりに人間的解釈に偏っていて、それを後生大事に後世でも強調した僧や宗派にも大いに責任があります。

自然、仏教的な言葉を借りればダンマではあらゆる事柄や本来事象はバランスが取れています。例えば、四苦のうち、生老死は生命にとって極々自然な事であり生死を繰り返すことにより生物は進化します。

また、八苦についても人間は別離や出会い、ツールとしての五蘊や感情を通じて成長して経験を積んでいきます。それらも自然であるおろか、むしろ成長や進化にとっては必要な事です。

仏陀の生存時にはクシャトリア階級であった仏陀が賎民達の衛生や生活状態を見て哀れみから何とか彼らの気持ちを救いたいと思って語ったのかもしれません。その関係性の中ではいみがあったかもしれませんが。
425: 356 2022/01/07(金)08:17 ID:AmoXb0QJ(2/4) AAS
従って、本来悩む必要が無いものを、どっかに深い意味があると思って何とか悩もうとしている、という妙で滑稽な状況が仏教的な苦だと思います。

勿論、あらゆるバランスを欠いた思考や激昂などの行き過ぎた感情、無意味な耽溺から来る虚無感、病での痛みなどは苦しみですが、前者であれば節度を持って律するべきだし、後者であれば科学や医学をより高度に発達させて行くべきです。
426: 356 2022/01/07(金)08:37 ID:AmoXb0QJ(3/4) AAS
>>422
ありがとうございました
427: 2022/01/07(金)18:14 ID:6wNOUJPw(1) AAS
>>424
その見解はある程度智慧を見出した人の見解でしょう?
そうでないド凡夫に対しての教え(世俗諦)が「苦」の概念なんじゃ?
もし「これは真理でない、ダルマの一側面を表していない」としてどんどんと否定あるいは切り捨てしていったら、世俗から仏道に至るために取り付く島もなくなっちゃうよ
428: 356 2022/01/07(金)18:58 ID:AmoXb0QJ(4/4) AAS
もし仏陀が、「世界は苦だけでは無い、苦もあるが楽もありバランスが取れている。平等に見なさい。」と最初に教えていたらどうだったでしょう?

仏道という「世俗を捨てる道」「宗教を信じること」と、世界や自然の真の有り様は同じでは無いと思います。
429: 2022/01/08(土)01:39 ID:yP5uNAG1(1/2) AAS
まあとにかく苦の問題は難しいです
瞑想や生き方に結びついて思索しないとただの観念論で終わりますしね

一つ言えるのは苦の捉え方については個人差が非常に大きいということがあります
自分でも何故だかわからないが、若い時から焦燥感があり、世間で価値があると
思われているものには興味がない
人生は上手くいっているし、恵まれているが、偽りの人生を生きている気がしてならない
何かを求めているのは自覚があるが、それが何なのか全く見当がつかない
しかし、もの凄く大切な何かを解決するために生まれてきた確信だけはある

物心ついたときからこのようなモヤに覆われ、なおかつ世間的な努力や
欲望をある程度達成し終えて、出口が見つからず閉塞感でいっぱいの人もいます
省7
430
(2): 2022/01/08(土)03:33 ID:Ap3jPTql(1/2) AAS
仏陀の説く一切皆苦を理解するには一切は無常ということに尽きる
苦であろうと楽であろうとそれらはみな無常であり安定もなくゴールもない
一切はただただ変化し生じ滅するだけである
それらは人にとって執着すべきものではなくどうでもいいこと、つまり人にとって苦である
そして苦に対して誰がどういう解釈をしようと結論付けようとそれもまたただの思考や思いであり無常でしかない
では一切の執着をなくしたときに人はどうなるのか
それを知りたい者だけが一切を苦とみなし全てに執着しないように修行していけばいい
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