[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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653: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:34 ID:9sStUtaV(4/7) AAS
「煩悩の尽きた状態.・・(中略)・・また,この状態を自ら知覚することを(漏尽明)(漏尽通)
といい三明六神通の一つである.」
(『岩波仏教辞典』)

↑の「漏尽」の説明の中に、漏尽通とは解脱の「状態を自ら知覚すること」
であるという解釈Bが出ています。
漏尽通は、紙数の足りない岩波仏教辞典に二度も出てきて、
しかも両方とも同じ解釈Bです。
つまり、岩波仏教辞典は紙数が足りないから解釈Aを省略したのではなく、
漏尽智とは解釈B「煩悩の尽きたことを知る能力」という一つの意味しかないのです。
ここまでは普通の知性のある信者さんたちは理解できたでしょう。
省6
654: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:45 ID:9sStUtaV(5/7) AAS
>>602神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:52:24.56ID:rbXSUWMk
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」
(『ゴータマ・ブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1』中村元、184頁)

まず信者さんたちに着目してほしいのは、この経典の前半に「よごれなく、汚れなく」
とありますから、すでに煩悩を断ち切って解脱していて、
漏尽智は解脱した後に出てくる点です。
これを見ても、解釈A「漏尽智で煩悩を切る」が間違いなのは明らかです。
また、解釈B「煩悩の尽きたことを知る能力」と一致していて、
省12
655
(9): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)22:57 ID:9sStUtaV(6/7) AAS
「『これが苦しみである』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが背しみの滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが苦しみの滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。
『これらが諸煩悩である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の原因である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽である』と、あるがままに洞察します。
『これが煩悩の滅尽にいたる道である』と、あるがままに洞察します。」
(『原始仏典Ⅰ長部経典Ⅰ』春秋社105ページ)

これが釈尊の説いた漏尽智です。
省14
656: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/16(月)23:09 ID:9sStUtaV(7/7) AAS
*漏尽智で煩悩を切るのではない

釈尊が、煩悩を滅する智と述べたのは、何か超能力のような神通力で
煩悩を断ち切るという話ではなく、八正道で煩悩を切った比丘が、
四諦を何度も洞察して煩悩がないと確認するという意味です。
四諦の「道」の八正道によって、煩悩は滅しており、
煩悩を滅するのは漏尽智ではありません。

まとめるなら、
・漏尽智とは煩悩が尽きたこと(解脱したこと)を確認する能力
・釈尊は四諦体得の確認を「煩悩を滅する智」と述べた
・釈尊は解脱した後で漏尽智に心を向けると述べている
省3
657: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/17(火)00:04 ID:4xA9G5Im(1/4) AAS
そう、「心を向ける」です。
ここで沙門果経の構成を考えてみましょう。
四禅を終えた比丘がどのような状態になっていたかと言うと、
心が安定しており、よごれ、けがれから離れており、小さな煩悩も離れており、
柔軟にして不動であったとこういう状態だったわけです。
つまりこれが解脱している状態なわけです。
そこで解脱した比丘は神通に心を向ける。
すると刀を鞘から抜くように身体から心が離れ
身体が巨大になったり微細になったり壁をすり抜けたりという神通を体験することができた。
心を向けただけでそうなったわけです。
省15
658: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/17(火)00:12 ID:4xA9G5Im(2/4) AAS
しかもその心を向ける、観察するというのは「ありのまま」の観察なんです。
ありのままに心を向ける、観察する、その結果煩悩が尽きて無くなったということです。
じゃあ煩悩がまだ残っているアナゴンあたりがありのままに観察したら煩悩が全て尽きて無くなるんですか?
そんなことはありえませんね。
煩悩が全て尽きて無くなっていたアラカンだったから、ありのままに観察したら、まさにその通りだったということです。
659: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/17(火)00:26 ID:4xA9G5Im(3/4) AAS
釈尊の菩提樹下の瞑想観察で最後は悟りという成道クライマックスを迎えるわけです。
でもこのクライマックスの瞬間に今まであった煩悩が瞬間的になくなって解脱するのではありません。
それは実は少し前に既に解脱していて、最後に観察を行ったから、自分も解脱していたと分かり、この道は正しかったと悟るわけです。
もう1度悟りという言葉の意味を考えてください。
桐山さんは悟るという言葉が嫌いだったですけどね。
著書にそう書いてある。
悟りというものは認識するなんて話ではなく、生理的な変革が起こるものだなんて無知なことを書いています。
そんなことはありません。
ありのままに観察したらありのままの結果しか見えないんですよ。
煩悩が残っていればまだ解脱していないと分かるし、煩悩がなくなっていれば解脱していたとわかるわけです。
660: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/17(火)00:36 ID:4xA9G5Im(4/4) AAS
だからペテン大作さんなんてのはこの一番最後に記述される成道悟りのクライマックスが
全てのゴールだとするのは良いのだが、その全てのゴールに全ての事が解決されるなんて決めつけている。
そうじゃなくて二重構造なんですよ。
661
(4): 2022/05/17(火)15:37 ID:PMFpq6iZ(1/2) AAS
>>648ユビキタス
>それはあなたがまだ煩悩を断ち切れていない人が煩悩を断ち切る超人的な智慧と、
技術論、方法論という観点の頭から離れられないだけではありませんか。

>651
深山中村博士の「阿羅漢に属する」を見てください。
漏尽智はアラカンに属する、つまり、アラカンしか持たないというのです。

ゆびちゃんは反論できなくなるといつも決まって、技術論、方法論などという単語を並べて
おしゃべりを始める癖があるから困ったものです。
そして深山さんの方は、またまた「阿羅漢に属する」を持ち出す。
この人にとってはこの言葉と岩波仏教辞典の言葉だけが頼りなのです。
省15
662
(1): 2022/05/17(火)15:41 ID:PMFpq6iZ(2/2) AAS
ゆびちゃんもういいよ
すべては終わったの
663: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/17(火)15:53 ID:9sj4AbBU(1/2) AAS
>>661 神も仏も名無しさん 2022/05/17(火) 15:37:32.05 ID:PMFpq6iZ
>漏尽智はアラカンに属する、つまり、アラカンしか持たないというのです。

>ゆびちゃんは反論できなくなるといつも決まって、技術論、方法論などという単語を並べて
>おしゃべりを始める癖があるから困ったものです。
そして深山さんの方は、またまた「阿羅漢に属する」を持ち出す。
この人にとってはこの言葉と岩
>この漏尽智がアラカンのものならば何故、煩悩を断つ智を体得する必要があるのか?
>アラカンは既に煩悩を断っているから、もう煩悩を断つ智を体得する必要はないのです。

>”漏尽智がアラカンのものならば何故、煩悩を断つ智を体得する必要があるのか?”

何度言ってもわからないのはあなたの方です。
省13
664: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/17(火)15:53 ID:9sj4AbBU(2/2) AAS
>>662
強がりwww
665
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/17(火)22:14 ID:+pTeLKUC(1/5) AAS
>>661神も仏も名無しさん2022/05/17(火) 15:37:32.05ID:PMFpq6iZ
>この問いは彼らには相当に堪えたでしょうね。
>彼らの狼狽ぶりが窺えます。
>これで目出度く決着がついたのです。

他の信者さんたちは御覧ください。
ペテン大作さんは自己矛盾を指摘されても、反論をすべて無視して、
自分が反論できずにいるのに、逆に批判側が>>646に反論できずに、
自分が勝利したと吠えている。
彼は都合の悪い反論を読まない、理解しない、記憶しないから、
こちらからの反論は無いに等しく、それなら彼は勝利するでしょう。
省14
666
(13): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/17(火)22:24 ID:+pTeLKUC(2/5) AAS
*漏尽智の前にすでに解脱している
>>602神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:52:24.56ID:rbXSUWMk
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」
(『ゴータマ・ブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1』中村元、184頁)

信者さんたちは大事な内容ですから、釈尊の言葉を声に出して
何度も読んで理解しましょう。
非常に大切なことは、この沙門果経の文章では、
漏尽智が出てくる前にすでに解脱していることです。
省17
667
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/17(火)22:37 ID:+pTeLKUC(3/5) AAS
*漏尽智とは四諦で解脱を確認する智慧と釈尊が説明している

さらに私は>>655で、「汚れを滅す智(漏尽智)」とは
具体的に何を指すのか、釈尊本人の言葉を引用しました。
説明内容は、漏尽智で煩悩を切るのではなく、漏尽智とは、
煩悩を切ったことを四諦の智慧によって確認することだとあります。
引用した部分だけでも四諦は二度繰り返され、実はこの後、
まったく同じ四諦がまた出てきますから、四諦は四回繰り返されている。

信者さんたちにお聞きするが、これ以上の何の説明が必要でしょう。
釈尊本人が説明しているのですよ。
ペテン大作さんは釈尊本人の説明にも文句を付けている。
省15
668
(3): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/17(火)22:48 ID:+pTeLKUC(4/5) AAS
「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

もう一つ、彼の主張の根拠にしたのがこの中村博士の説明です。
ペテン大作さんは中村博士の説明を元に、↓と主張している。
信者さんたちはこうやって分けて解説されれば、彼の誤魔化しに気が付くでしょう。

ペテン説A 「あらゆるけがれを滅する智」=「漏尽智で煩悩を切る」
ペテン説B 「阿羅漢に属するは嘘」

ペテン説Aはすでに述べたように嘘です。
中村博士は「漏尽智で煩悩を切る」などと書いていない。
中村博士の解説に自説の根拠があるかのように彼は見せかけているが、
省15
669: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/17(火)22:59 ID:+pTeLKUC(5/5) AAS
>>661神も仏も名無しさん2022/05/17(火) 15:37:32.05ID:PMFpq6iZ
>”漏尽智がアラカンのものならば何故、煩悩を断つ智を体得する必要があるのか?”
>この問いは彼らには相当に堪えたでしょうね。
>彼らの狼狽ぶりが窺えます。
>これで目出度く決着がついたのです。

ペテン大作さんは「漏尽智で煩悩を断つ」という自分勝手な
解釈を絶対真実であるかのように思い込み、
それを基準にして、ついには学者の解説すらも嘘だと切り捨てた。
何度でも書くが、「漏尽智で煩悩を断つ」が嘘なのは、彼が引用した沙門果経、
彼が引用した中村博士の文言にそのまま出ているのです。
省16
670
(6): 2022/05/18(水)15:52 ID:uElMAJcU(1/2) AAS
≻≻669
≻ペテン大作さんは「漏尽智で煩悩を断つ」という自分勝手な
解釈を絶対真実であるかのように思い込み、
それを基準にして、ついには学者の解説すらも嘘だと切り捨てた。

読者のみなさん、見てください、
今度は言いがかりをつけ始めました。
いかにもこの人らしいですね。
「漏盡智とは、謂はく此の智に由りて一切の漏盡の方便に通達し、 及び諸漏の盡なり。」
(『望月佛教大辞典 』
「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
省27
671
(2): 2022/05/18(水)16:08 ID:uElMAJcU(2/2) AAS
>「漏尽智証通ー煩悩を滅ぼさせる智慧。煩悩を断つ智を体得する神通。」
>(『広説佛教語大辞典』東京書籍、中村元、1776頁)

”漏尽智の前に解脱している(アラカン)のなら、
何で煩悩を断つ智を体得する必要があるのか?“

深山ユビキタス両名はついに答えること能わずww

正解は漏尽智の前では解脱していないからです。
672
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/18(水)17:16 ID:M9Brv9R/(1/4) AAS
>>671
二人とも答えたじゃんw
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