◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
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138: 2011/02/15(火)11:03 ID:YN97m/9M(1/8) AAS
左翼はいつも、より良き未来世界といふものを模索してゐる。いつもより良き未来社会へ向かつて我々は進歩して
ゆくと考へてゐるのです。(中略)
ところがソビエトはご承知のやうな状態になつた。これは完全な官僚社会のみならず、その常套語を使へば、
帝国主義なのです。そして、かつて日本人が未来社会と思つたのが帝国主義になつてしまつた。もうスターリン批判
以来、日本人のソビエトに対する夢も崩れた。では、中共はどうか。中共はどうも日本人の西洋崇拝から言ふと少し
外れる処があつたんだけど、文化大革命といふことがあつたので、ますます日本人の理想から遠くなつてしまつた。
近頃は経済的には先進国になつてゐますので、その点でも、あらゆる後進国的なラディカルな革命のやり方で
やれるものかどうかといふ疑問は幼稚園ぐらゐ出てゐれば大体分るわけです。
そこで未来社会の展望を失つたところに彼らの焦燥と彼らの一種の絶望感があることは確かなのです。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
139: 2011/02/15(火)11:05 ID:YN97m/9M(2/8) AAS
(中略)
それで、より良き彼らの本当の未来社会とは何であるか。皆さんは、「自由からの逃走」といふエーリッヒ・フロムの
本などをお読みになつたことがあるだらうと思ひますが、“われわれの窮屈に閉込められたこの自由といふ名の下に
於いて、人間が一種のフィクションに堕してしまつた社会”から何とか抜け出して、“自由な人間主義の本当に
実現される世界、しかもそこでは社会主義がその最も良いところを実現してゐるやうな社会”であります。
いはゆる、ヒューマニテリアン・ソシャリズムですが、完全な言論自由化の社会主義といふやうな、誰が考へても
実現不可能のやうな、より良き未来に向かつて進んで行かうと、それがまあ大体の左翼型のラディカルな革命の
行動の先にある未来国であると考へて良いと思ひます。(中略)
何も私は共産主義に対抗して生きてゐるわけではありません。別にそれを職業にしてゐる人間でもありません。
ですけれども彼らの考へにうつかり動かされ、蝕まれていつたならば、どういふ結果になるか目に見えてゐる。
省1
140: 2011/02/15(火)11:11 ID:YN97m/9M(3/8) AAS
(中略)
私は未来といふものはないといふ考へなのです。未来などといふことを考へるからいけない。だから未来といふ言葉を
辞書から抹殺しなさいといふのが私の考へなのです。(中略)我々はアメーバが触手を伸ばすやうに、闇の中を
手探りで少し先の未来までは予測ができる。或ひは来年くらゐまでは予測できるかもしれない。しかし、人間が
予測されない闇の中を進んでゆくためには、その闇の彼方にあるものを信ずるか、或ひはその闇といふものに
対決して本当に自分の現在に生きるかといふことの二つの選択を迫られてゐるといふのが私の考へ方の基本であります。
“未来に夢を賭ける”といふことは弱者のすることである。そして、自分をプロセスとしか感じられない人間の
することであります。(中略)
このやうな思考の中からは人間の円熟といふことも出て来なければ、人間の成熟といふ思考も絶対に出て来ない。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
141: 2011/02/15(火)11:18 ID:YN97m/9M(4/8) AAS
実は、人間は未来に向かつて成熟してゆくものではないんです。それが人間といふ生き物の矛盾に充ちた
不思議なところです。人間といふものは“日々に生き、日々に死ぬ”以外に成熟の方法を知らないんです。
「葉隠」といふ本を御覧になつた方があるとみえて、笑つてゐる方がそこに居りますが、やはり死といふ事を
毎日毎日起り得る状況として捉へるところから人間の行動の根拠を発見して、そこにモラルを提示してゆく。
非常に極端な考へ方なのですが、あれ程生きる力を与へられた本を私は知りません。
あの思考には、未来が無いのです。我々は常識で考へて「未来がない」と言ふと、まるで破産宣告を受けた人間とか、
ガンの宣告を受けた人間のやうに考へますが、さうではなくて、私は、「青年にこそ未来がない」と、私自身の
考へから、経験から言へるのです。(中略)
青年といふのが“未来を所有してゐる”のではなくして、“未来を夢みてゐた”のであります。そして、未来を
所有してゐる人間といふのは、棺桶に片足を突つ込んだ人間のことを言ふのです。
省1
142: 2011/02/15(火)11:25 ID:YN97m/9M(5/8) AAS
そこで、何も未来を信じない時、人間の根拠は何かといふことを考へますと、次のやうになります。未来を
信じないといふことは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであつて、今日の私、
現在の私、今日の貴方、現在の貴方といふものには、背後に過去の無限の蓄積がある。そして、長い文化と
歴史と伝統が自分のところで止まつてゐるのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。つまり、自分が支へてきた
文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いてゆくのではないのです。今、私が四十歳であつても、
二十歳の人間も同じ様に考へてくれば、その人間が生きてゐる限り、その人間のところで文化は完結してゐる。
その様にして終りと終りを繋げれば、そこに初めて未来が始まるのであります。
われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であると
いふ気持で以つて、全身に自分の歴史と伝統が籠つてゐるといふ気持を持たなければ、今日の仕事に完全な
成熟といふものを信じられないのではなからうか。
省1
143: 2011/02/15(火)11:28 ID:YN97m/9M(6/8) AAS
或ひは、自分一個の現実性も信じられないのではなからうか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。
自分の背中に日本を背負ひ、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負つてゐるのだといふ気持に一人一人がなることが、
それが即ち今日の行動の本になる。
「今日も行動を起す」と言つて、何も角材を持つて飛び出すのではなくて、その気持の中から、自分は果して
それに相応しいのだらうか、自分は果して本当に日本の歴史と伝統といふものを正確に且つ立派に代表して
ゐるだらうか、といふ気持がその人の倫理になります。また、成熟の本になります。
「俺一人を見ろ!」とこれがニーチェの「この人を見よ」といふ思想の一つの核心でもありませう。けれども、
私は中学時代に「この人を見よ」といふのは「誰を見よ」といふのかと思つて先輩に聞きましたところ、
「ニーチェを見よ」といふことだと教へて貰ひ、私は世の中にこんなに自惚れの強い人間がゐるのかと驚いたことが
あるのです。しかし、今になつて考へてみると、それは自惚れではないのであります。
省1
144: 2011/02/15(火)11:32 ID:YN97m/9M(7/8) AAS
自分の中にすべての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。しかし、
そのかはり何時でも身を投げ出す覚悟で、それを毀さうとするものに対して戦ふ。(中略)
ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な、非現実的な未来ではないものがある。
そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つといふことが必要です。これは又、人間の行動の強さの
源泉にもなると思ふ。といふのは人間といふものは、それは果無(はかな)い生命であります。しかし、
明日死ぬと思へば今日何かできる。そして、明日がないのだと思ふからこそ、今日何かができるといふのは、
人間の全力的表現であり、さうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思ひます。
大体、中南米諸国の民族は、間に合はないと何でも明日に延ばしてしまふのですが、日本人の精神といふのは、
その間に合はないといふところがない。さういふところが日本人の良いところであつて、それが日本精神で
あるとさへ私は思ひます。
省1
145: 2011/02/15(火)11:36 ID:YN97m/9M(8/8) AAS
本日ただ今の、これは禅にも通じますが、現在の一瞬間に全力表現を尽すことのできる民族が、その国民精神が
結果的には、本当に立派な未来を築いてゆくのだと思ひます。しかし、その未来は何も自分の一瞬には関係ないのである。
これは、日本国民全体がそれぞれの自分の文化と伝統と歴史の自信を持つて今日を築きゆくところに、生命を
賭けてゆくところにあるのです。
特攻隊の遺書にありますやうに、私が“後世を信ずる”といふのは“未来を信ずる”といふことではないと
思ふのです。ですから、“未来を信じない”といふことは、“後世を信じない”といふこととは違ふのであります。
私は未来は信じないけれども後世は信ずる。特攻隊の立派な気持には万分の一にも及びませんが、私ばかりでなく、
若い皆さんの一人一人がさういふ気持で後輩を、又、自分の仕事ないし日々の行動の本を律してゆかれたならば、
その力たるや恐るべきものがあると思ひます。

三島由紀夫「日本の歴史と文化と伝統に立つて」より
146: 鎌倉署ロリコン隊 .vs. 南署スカート盗撮隊 2011/02/15(火)22:17 ID:HUfC4BlY(1) AAS
神奈川県警 ドキュン署対決!!

53 :名無しさん@十周年 :2010/03/17(水) 01:20:40 ID:oaP52iOQ0 (2 回発言)

南署と鎌倉署が酷すぎる件。

あと、横浜駅周辺のエスカレータは要注意だ。もうすでに、神奈川県警の警察官が3人喰われている。
とくに、西口ののぼりエスカレーターは、そこだけで2名の警察官が職を失っている。

2010-12-30 女性の下半身触る 南警察署の巡査部長(37)・天間久之容疑★←南署(スカート盗撮隊)
2009-12-15 盗撮 南署 永井一之警部補 横浜駅西口の上りエスカレーター★←南署(スカート盗撮隊)
2009-07-16 盗撮 国際捜査課 黒坂篤警部補(41)
2009-04-04 盗撮 旭署地域課 山田倫久(みちひさ)巡査(23)横浜駅
2009-03-18 痴漢 南署地域課 佐藤靖夫警部補(54)★←南署(スカート盗撮隊)
省11
147: 2011/02/16(水)10:56 ID:rpAP2EWn(1/8) AAS
もちろんわれわれは、いたづらに自己を拡張し、いたづらに古い軍国主義や、軍国主義の幻に惑はされて、
日本をそのうぬぼれの成し進めるままに、昔の誤りを繰り返へさせようとするものではありません。しかし、
私が言ひたいのは、元と末といふことであります。何よりも大事なのは、何を元と考へ、何を末と考へるかであり、
まづ元を固めてから末に及ぼすのが、政治のみならず人間精神の常道であります。元とは何か。
元とは、日本が自主自尊の念を持つて国防に邁進し、日本文化と伝統を守るのに人の力を借りず、その力を
侵さうとするものに対しては、一人一人、断固としてこれを排除する決意を持ち、少なくとも国民の一人一人に、
このやうな背すぢが一本通つたところで、はじめて堂々と面を上げて諸外国と交際し、産業・文化の交流はもちろん、
国益のために必要があれば軍事同盟もいとはず、あるひは国際連合への義務をも回避しないといふところに
あるのでなければなりません。

三島由紀夫「70年代新春の呼びかけ」より
148: 2011/02/16(水)11:00 ID:rpAP2EWn(2/8) AAS
(中略)
私は、十月二十一日の新宿における反戦デモの見物に行きましたが、あのデモを見物したあとの私の感想は、
ただ一言「これで日本の憲法は変はらない」といふことでありました。(中略)
もし政府当局者が、この現場を見れば、もはや憲法を変へなくても、あらゆることが可能であるといふ判断を
持つたに違ひなく、しかも憲法を変へないといふことは、国際的、国内的に二つの極端なメリットを持つといふ
ことを認識したに違ひありません。
(中略)
われわれはもはや、根本的な改革の時代を生きてゐないと言はねばなりません。(中略)また憲法自らは、
相変はらず偽善的なただ乗り主義と、肩身の狭いやうにみえる防衛義務と相携へていかねばならんといふ跛行的状況の
永続を意味し、われわれが矛盾に耐へるのをおそれれば、みすみす外国の術中に陥り、われわれが矛盾を甘受すれば、
省3
149: 2011/02/16(水)11:04 ID:rpAP2EWn(3/8) AAS
国際関係はいつも微妙な力のバランスの上に立ち、一国民のナショナリズムをもつてしても、なんともなるものでは
ありません。しかし一九七〇年を境に、われわれは個々に目をらんらんと光らせてわが身を振り返へり、世道人心の
奥に目を開いて、そこに底流するものを認識し、日本とは何か、真のナショナリズムなるものとは何か、それを
守るにはどうすればよいかを考へなくてはなりません。いまやナショナリズムは、新聞紙上や街頭で絶叫される
演説の叫びではなくて、われわれの一人一人に対する鋭い問ひかけになつたのであります。
ナショナリズムとは何か。ナショナリズムとは、軽々しく心に訴へるやうなものではなく、われわれの心の奥底に
あるものに対して、鋭い深いふれ方をし、われわれの最も美しい記憶とまた最もおそろしい記憶とも結びついて
ゐるやうなものであります。
それは、ヘルデルリンのハイムクンフト(帰郷)といふ詩にもあるやうに、ふるさとといふものは、われわれの
いちばん奥にあつて最もなつかしいものであると同時に、最もおそろしいものなのであります。
省1
150: 2011/02/16(水)11:07 ID:rpAP2EWn(4/8) AAS
日本でいま、このやうなナショナリズムなものはあるでせうか。この民主主義の、言論自由の世の中で、
米軍基地撤廃も、沖縄の即時奪還も、いかやうな政治的な主張も、あるひは北方領土返還にしろ、言論として
声高に叫ばれ、また整然たるデモ行動にあらはされれば、自由にあらはされることができるものであります。
そのかはりそれは大衆社会の中で、不可能を、難業を、道理立てはするが、また再び忘れられるおそれのある、
いくつかの政治的主張の一つなのであります。
もはやわれわれのいちばん心の奥底で鋭い問ひを問ひかけ、外国のあらゆる力の干渉に対して、何千年の歴史・
伝統をもつて堂々と応へ得るものはただ一つ、天皇しかないといふのが、私の長年の主張であります。人は、
天皇と言ふと、たちまち戦前、明治憲法下における天皇制の弊害を思ひ出し、戦争からにがい経験を得た人ほど、
天皇制に対する疑惑を表明してきたのが常ですが、私は、天皇制とは、その歴史は、あくまでもその時代時代の
国民が、日本人の総力をあげて創造し復活させてきたものだと思ふのです。
省1
151: 2011/02/16(水)11:14 ID:rpAP2EWn(5/8) AAS
いつも新しい天皇制があり、いつも現在の天皇制があり、その現在の天皇制の連続の上に永遠の天皇制があると
いふところに、天皇の本質がひそむのです。
これは一つの例をとつても、天皇ご自身にわれわれのやうな姓名ファミリーネームがなく、一つの非人称的な
方として伝承されてきたことをみてもわかります。新しい天皇制は、われわれがつくつていくものであり、そして
これを抜きにしては日本の今後の自立の精神の中心は見あたらず、また天皇をいたづらに政治権力に接着おさせ
することなく、あくまで無限受容の無我の本主体として、その日本独自の歴史・文化・伝統のみにかかはる君主制を
確立しなければなりません。
私は、七十年代におけるナショナリズムの探求が、必ずや天皇の問題にぶつからざるを得ないといふことを
信ずるものですが、左翼の民族主義が、その欺瞞を露呈するのは、彼らから天皇に対する態度徹底を、はつきりと
再び引き出すことにしかないでせう。共産党は、天皇制打倒のキャンペーンを、国民の反発をおそれてすでに
省2
152: 2011/02/16(水)17:57 ID:rpAP2EWn(6/8) AAS
松陰はやはり、日本の根本的な問題、そして忙しい人たちが気がつかない問題、しかし、これをはづれたら
日本が日本でなくなるやうな問題、それだけを考へつめてゐたんだと思ふんです。それだけをあまりに強く考へ
つめたために首切られちやつたんだと思ふんです。わたくしは、精神といふものは、いますぐ役に立たんもんだと
いふことを申し上げました。
わたくしは、自分の書いたものや、いつたものが、いますぐ役に立つたら、かへつてはづかしいといふふうに
考へてをります。ですから、たとへばけふ申し上げたことが、あるひはみなさんのお心のどつかにとまつて、
それが十年後、二十年後に役に立つていただければ、それはありがたいけれども、あつ、三島のいつたことは
おもしろい、ぢや、けふ会社で利用して、つかつてみようかといふやうなことは、わたくしは申し上げたくもないし、
申し上げる立場にもゐないと思ふんです。わたくしは、その、ぢや日本の精神ていふのはなんだ。日本が日本で
あるものはなんだ。これをはづれたら、もう日本でなくなつちやふもんはなんだと。それだけを考へて生きて
省2
153: 2011/02/16(水)17:58 ID:rpAP2EWn(7/8) AAS
(中略)
そして、いま非常な情報化社会がありますから、精神といふものはテレビに写らない。そしてテレビに写るのは
ノボリや、プラカードや、人の顔です。それからステートメントです。そして人間はみんなステートメントやる
ことによつて、なにかしたやうな気持になつてゐるんです。わたくしは、そこまでいけば、どんなことをやつた
ところで、目に見えない精神にかなはないんぢやないかといふふうに思つてゐるんです。昔のやうに爆弾三勇士、
あるひは特攻隊、ああいふやうなものがあつたときに、はじめてこれはすごい、これはテレビにも写らなかつた、
なにも出なかつたが、これはすごいといふ一点があると思ふんですが、いまテレビに写つてるものは、どんなものが
出てこようが、結局、情報化社会のなかでとかし込まれて、また忘れられ、笑はれ、そして人間の精神体系に
なにものも加へないままで消えていくんぢやないか。
わたくしは、政治自体も非常にさういふ点で危険な場所にゐると思ひますのは、政治もあらゆる場合に
省2
154: 2011/02/16(水)18:00 ID:rpAP2EWn(8/8) AAS
そのステートメントが情報化社会のなかで、非常なスピードで溶解されて、ちやうどあたかも塵埃処理のやうに、
早くこれをすべて始末しなければ東京中が塵埃でうづまつてしまふ。紙くずでうづまつてしまふ。それで
情報化社会といふものは過剰な情報をどんどん、どんどん処理してゐるんです。この東京といふもの、日本と
いふものは、近代化すればするほど巨大な塵埃焼却炉みたいになつてくる。そのなかで人間はなにをすべきかと
いふことについて、わたくしはなんとか考へていきたいと思ふんですが、その精神が、それぢや、どうして行動に
結びつくか、といひますと、わたくし、やつぱり陽明学の信者なんです。(中略)日本の知識人はいままで、
知つて行なはなかつた人間ばつかりだつた。(中略)
自分の知つてることは、小さなことですが、知つてることだけ行つてみる。行なつてみた結果、失敗するかも
しれません。さういふところで、みなさんにつながる。

三島由紀夫「現代日本の思想と行動」より
155: 2011/02/17(木)11:32 ID:xvbTjhWO(1/9) AAS
戦後日本の歴史が一つとぎれてしまつた。そのとぎれたところに自衛隊の問題があり、警察の問題があり、また
いろいろ複雑な言ふにいはれない、日本人として誠に情けない状態があらゆる面に発生してきました。(中略)
大体戦後の民主主義といふものは、アメリカといふ成金の新しい国から来たものでありますから、アメリカは
アメリカとしての歴史はもちろん持つてはをりますが、彼らが大切にしてゐる古い歴史といふのはせいぜい
十八世紀です。アメリカに行くと、これは非常に古い家である、十八世紀だなどとよくいはれる。彼らはどんなに
さぐつて見ても十八世紀以前に遡つてアメリカの歴史を語ることができない。それより古い頃にはインディアンが
ゐたんで、インディアンの方がよつぽど歴史上における誇りもあるし、自信もあるはずです。これが白人に
駆逐されてしまつた。白人であるアメリカ人といふものは、人の家にどかどか入つて来て、平和に暮らしてゐた人間を
追ひ散らして、新しい国を建てた。それが移民の国アメリカです。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
156: 2011/02/17(木)11:35 ID:xvbTjhWO(2/9) AAS
さういふ国の人に、日本のやうな古い歴史、文化を持つた国の伝統と連続性の力といふものは判らない。彼らに
どう説明して聞かしても判らない。それは無理はないです。何となれば彼らの感覚にはそんな古い歴史といふものが
ないのですから……古いといふと十八世紀を思つてゐる人間にいくらいつても判らない。判つて貰はうとすることが
所詮無理なんでせう。
まあ、日本がアメリカに占領されたといふことは国の運命で仕方がないかも知れませんけれども、一番根本なところが
彼らに判らなかつたことは日本にとつても不幸だつたのでせう。それはわれわれだけが判つてゐるのであつて、
国といふものは、永遠に連続性がなければ本当の国ではないと思ひます。そしてとに角今は空間といふものが
ここに広がつてゐる。この空間に対して時間があるわけです。
今のこの世界の情勢といふものはハッキリいひますと「空間と時間」との戦ひだと思ひます。

三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
157: 2011/02/17(木)11:47 ID:xvbTjhWO(3/9) AAS
(中略)(大国は)空間を何とかして自分達のものに確保していかうと思つて、いろいろ、まあ核兵器を持つたり、
あるひは代理戦争といふやうな形によつて辺境で戦争をしながら、相争つてゐる状態です。しかしながらその
国際的な争ひは、あくまで空間をとり合つてゐるわけです。
ところがこの地球上の空間を占めてゐる国の中にも一方では反戦、自由、平和といつてゐる人達がをります。
この人達は歴史や伝統などといふものはいらんのだ。歴史や伝統があるから、この空間の方々に国といふものが
出来て、その国同士が喧嘩をしなければならんのだ。われわれは世界中一つの人類としての一員ではないか。
われわれは国などといふものは全部やめて、「自由とフリーセックスと、そして楽しい平和の時代を造るんだ」と
叫んでゐる。彼らには時間といふ観念がない。空間でもつて完全に空間をとらうといふ考へ方においては、
彼らもまた彼らの敵と同じなのです。それでは、今日の人類を一体何が繋いできたのかといふことを論議し、
つきつめてゆくと、結局最後には「時間」の問題に突き当たらざるを得ない。
省1
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