[過去ログ] 六月の花嫁を語ろう  Part5 (770レス)
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573: 2014/09/07(日)07:05 ID:gYiG4toq0(1/15) AAS
師と云う始 六根浄の人日本の浄宮太子是なり天台大師の御師なり陳 日本に伝教大師と生る亦智者と云い天台大師 亦智〓と云い亦徳安と云い隋此の御時南三北七並びに前五百余年の人師三蔵所立の十師の義を破し
始めて五時・八教・三観・六即・十境・十乗を立て小釈迦と号す、進では天竺の論師にも超え退ては震旦の人師に勝るなり、玄義の三に云く故に章安大師の云く「天竺の大論尚其の類に非ず震旦の人師何ぞ労しく語るに及ばん
此れ誇耀に非ず法相の然るのみ」又智証大師授決集也云く「天台世に出で仏意快く暢ぶ豈万教再び世間に演るに非ずや」笈多と崛多の両三蔵添品法華経を渡す道綽善導此の世に在り華厳宗後漢の世自り唐の神武皇帝
の開元十八年庚申に至る六百六十四載に渡す所の経律論五千四十八巻唐 訳者百七十六人なり妙楽は是の世の人なり法相宗は玄奘三蔵西天自り之を渡す真言宗は善無畏三蔵・金剛智三蔵之を渡す法相宗 真言宗の二
宗は天台之を見ず・妙楽大師之を見て天台宗に対当して勝劣を論ず・又日本国の伝教慈覚智証之を諍う天台の玄義の十に南北の十師を破して云く「但聖意幽隠にして教法弥難し、前代の諸師或は粗名匠に承け或は思い袖
衿より出ず阡陌縦横な
574: 2014/09/07(日)07:06 ID:gYiG4toq0(2/15) AAS
りと雖も孰か是なるを知ること莫し、然るに義雙立せず理両存すること無し若し深く所以有り復修多羅と合する者は録して而て之を用ゆ文無く義無きは信受すべからず」籤の十に云く「一として全く是なること無き
を以ての故に一一に難破す」玄の三に云く「軽慢止まざれば舌口中に爛る」又云く「法華は衆経を総括す」籤の三に云く「已法華已前華阿方般等の一切経今無量義経なり当涅槃経等の法華已後の一切経なりの妙〓に於て固く迷
えば舌爛れて止まざるも猶華報と為す謗法の罪苦長劫に流る」南三北七並びに華厳宗の法蔵・澄観・真言宗の弘法等は法華経よりも華厳経を勝るとするなり、又三論の嘉祥は法華経よりも般若経を勝るとす、又法相の慈恩等は法華
経よりも深密経を勝るとす、又真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は法華経よりも大日経を勝るとするなり、此等の宗宗の相違如何相違如何。授決集に云く円珍 智証大師文は大経に出でたり人の之を会する無し、光盲の前に
在れども他に於ては無用なり、仏分明に五味の喩を説き五時の教に喩えたもう云云、訳ありてより来講者路に溢るれども未だ曾て五味を談ずるの義を解せず己が胸臆に任せて趣爾囈語す何ぞ象に触る衆盲の者に
575: 2014/09/07(日)07:08 ID:gYiG4toq0(3/15) AAS
異らんや、天台世に出で仏意快く暢ぶ豈に万教再び世間に演るに非ずや、南北の講匠経論を釈する者・各教時を立つれども百にして一も是なること無し只教部の前後頓漸権実大小の〓妙・寛狭・進否に迷うに縁りてなり・大教の網を張りて法界の海を亘し人天の魚を済て
涅槃の岸に置く斯くの如くするすら其の遺漏を恐る況や諸師の輩羅の一目なり何れの時か其の鳥を得ん、若し万蔵を暗ずと雖も此の理趣を会せざれば年を終るまで他の宝を計りて自ら半銭の分無く虚しく諍論を益し長水に水を添うのみ。
授決集に法相宗の慈恩大師を破して云く、五性宗に云く未熟法華論の前に未熟の文也と云うは、応に不熟と云うべし、○今謂く汎く法華を講ずるには須く此の義を以て正と為すべし若し爾らずんば経を破し論を破し罪五逆に過ぎたり基公を除き
て外は人の彼の不熟の義を伝うる無し、○若し強て之を執せば公私十方の信施消し難し消し難し若し消せずんば何ぞ三途を免れん爾を供養せん者は三悪道に堕せん謗法の罪報は法華般若の諸大乗経に一切明かに説けり智者披く可し、○
爾これを信受す可し無間を招く莫れ。授決集円珍真言の諸宗を徴して云う真言・禅門・華厳・三論・唯識・律業・成・倶の二論等、
576: 2014/09/07(日)07:44 ID:gYiG4toq0(4/15) AAS
○若し法華・涅槃等の経に望むれば是れ摂引門なり文、又云く大底他は多く三教在り円の旨至て少きのみ弘法大師の二教論に喩して曰く今斯の経文に依るに仏五味を以て五蔵に配当す、総持を醍醐と称し四味を四蔵に譬う震旦の人師等諍つて醍醐を盗み各自宗に名く。
一爼多覧乳 アナン 経二毘那耶酪 ウハリ 律 小乗六波羅経五蔵 三阿毘達磨生 カセンエン論四般若熟 はら蜜蔵 文殊 大乗五惣持醍醐だらに蔵 金剛蔵一爼多覧乳二毘那耶酪三阿毘達磨生弘法大師此の経に依つて五蔵を立つ華方四般若はら蜜熟 般法華
涅槃五だら尼蔵醍醐 大日の三部経二教論に云く加以ず釈教東夏に漸し微自り著に至り漢明を始めと為し周文を後と為す、其の中間翻伝する所皆是れ顕教なり玄宗代宗の時金智広智の日密教欝として起り盛に秘趣を談ず、新薬日に浅くして旧痾未だ除かず楞
伽の如きに至つては法仏説法の文智度性身妙色なり句 憶に馳せ而も文を会して自宗を駆り而も義を取る惜いかな古賢醍醐を嘗めず日本神代十二代 天神 七代地神 五代人代百王第一神武天皇 之を略す第十四仲哀 八幡大神の父なり第十五神功皇后 八幡大菩薩の母なり
第十六応神天皇 今の八幡大菩薩なり 略第三十欽明天皇 歴記に云く欽
577: 2014/09/07(日)07:45 ID:gYiG4toq0(5/15) AAS
明天皇の治天下十三年己申歳冬十月一日百済国聖明王自り仏像経等始めて日本国に送る第三十一敏達天皇 厩戸王子 四天王寺を造る第三十二用明 聖徳太子は用明の御子也
上宮太子守屋を切り四十九院を立つ南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり第三十三崇峻第三十四推胡 女帝第三十五舒明第三十六皇極 女帝第三十七孝徳第三十八斉明 女帝第三十九天智第四十 天武第四十一持統第四十二文武第四十三元明第四十四元正
倶舎宗律宗六宗 成実宗法相宗三論宗華厳宗 亦禅宗有り並びに一切経有り第四十五聖武 聖武天皇東大寺の大仏を造る欽明自り聖武に至るまで二百四十余年なり、震旦国自り鑒真和尚渡り律宗を亘す、次に天台宗の玄文止等を渡す、又東大寺の小乗戒壇を立つ
第四十六孝謙 聖武の女第四十七淡路 廃帝第四十八称徳 孝謙又即位也第四十九光仁 桓武の父なり欽明自り二百六十余年に及ぶ第五十桓武 延暦三年に奈良の都自り長岡の京に遷り、延暦十三年長岡の京自り平の京に遷る、延暦二十五年御崩去・延暦四年叡山を
立つ伝教大師最澄なり延暦二十年叡山八講を始め南京の十人を請ず、延暦二十一年の正月十九日高雄に於て南京の十四人と最澄と宗論あり、同二十九日六宗の十四人謝表を桓
578: 2014/09/07(日)07:46 ID:gYiG4toq0(6/15) AAS
武聖王に奉る、延暦二十三年入宋同二十四年御帰朝、此の御時始めて伝教大師天
台宗を立て四十余年の文を以て六宗を破り始めて法華の実義之を顕し、欽明自り二百余年の邪義之を改む、又六宗の碩徳たる勤操・徳円・長耀等の十四人・桓武皇帝に謝表を奉りて邪見を翻す。弘法大師空海は延暦二十三年御入宋・大同元年御帰朝、伝教大師
は山階寺の行表僧正の御弟子・弘法大師は石淵の勤操僧正の御弟子なり。第五十一平城第五十二嵯峨 弘仁十三年六月四日伝教大師御入滅・同十一日慈覚大師戒壇を立つ。第五十三淳和衆秀句に云く「法華経を賛すと雖も還つて法華の心を死す」文。
選択集に云く法然造捨閉閣抛、善導礼讃に云く「十即十生百即百生」又云く「百の時に希に一二を得千の時に希に三五を得」又云く「千中無一」道綽の安楽集に云く大集月蔵経を引く「我が末法の時の中の億億の衆生行を起し道に臨むも未だ一人の得る者有らず、当今末
法は是五濁の悪世なり唯浄土の一門のみ有りて通入す可きの路なり」恵心の往生要集に云く「利智精進の人は未だ難しと為さず予が如き頑魯の者豈敢てせんや」根本大師伝教大師 山家天台の後身なり守護章に「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗
579: 2014/09/07(日)08:36 ID:gYiG4toq0(7/15) AAS
の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る、安楽行品に云く末世法滅の時なり」又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の
言良に以有るなり」云云、夫れ釈尊の出世は住劫第九の減・人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間・在世五十年・滅後二千年と一万年となり、其の中間に法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年な
り、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず中間なる事をなげかせ給いて末法の始をこひさせ給う御筆なり、例せば阿私陀仙人
が悉達太子の生れさせ給いしを見て悲んで云く現生には九十にあまれり太子の成道を見るべからず後生には無色界に生れて五十年の説法の坐にもつらなるべからず正像末にも生るべからずとなげきしがごとし、道心あらん人人は此を見ききて悦ば
せ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の民にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし、梁の武帝の願
580: 2014/09/07(日)08:37 ID:gYiG4toq0(8/15) AAS
に云く「寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも欝
頭羅弗とはならじ」と云云。問うて云く竜樹・天親等の論師の中に此の義ありや、答えて云く竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず、求めて云くいかなる故にか宣給ざるや、答えて云く多くの故あり一には彼の時に
は機なし・二には時なし・三には迹化なれば付嘱せられ給はず、求めて云く願くは此の事よくよくきかんとをもう、答えて云く夫仏の滅後二月十六日よりは正法の始なり迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年・次に商那和修二十
年・次に優婆崛多二十年・次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して諸大乗経は名字もなし何に況や法華経をひろむべしや、次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の四五人、前の五百余年
が間は大乗経の法門少少・出来せしかども・とりたてて弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ、已上大集経の先五百年解脱堅固の時なり、正法の後六百年・已後一千年が前・其の中間に馬鳴菩薩・毘羅尊者・竜樹菩薩・提婆菩薩・羅
〓尊者・僧〓難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十
581: 2014/09/07(日)08:38 ID:gYiG4toq0(9/15) AAS
余人の人人始には外道の家に入り次には小乗経をきわめ後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給いき此等の大士等は諸大乗経をも
つて諸小乗経をば破せさせ給いしかども諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかかせ給はず、設い勝劣をすこしかかせ給いたるやうなれども本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず、但
或は指をもつて月をさすがごとくし或は文にあたりてひとはし計りかかせ給いて化導の始終・師弟の遠近・得道の有無はすべて一分もみへず、此等は正法の後の五百年・大集経の禅定堅固の時にあたれり、正法一千年の後は月氏に仏法充満せし
かども或は小をもて大を破し或は権経をもつて実経を隠没し仏法さまざまに乱れしかば得道の人やふやくすくなく仏法につけて悪道に堕る者かずをしらず、正法一千年の後・像法に入つて一十五年と申せしに仏法東に流れて漢土に入りにき、像法の
前五百年の内・始の一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事さだまらず設い定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかからず、而るに仏法の中に大小・権実・顕密をわかつならば聖教一同ならざる故・疑をこりて
582: 2014/09/07(日)09:45 ID:gYiG4toq0(10/15) AAS
かへりて外典とともなう者もありぬべし、これらのをそれ・あるかのゆへに摩騰・竺蘭は自は知つて而も大小を分けず権実をいはずしてやみぬ、其の後・魏・晋・斉・宋・梁の五代が間・仏法の内に大小・権実
・顕密をあらそひし程にいづれこそ道理ともきこえずして上み一人より下も万民にいたるまで不審すくなからず南三・北七と申して仏法十流にわかれぬ所謂南には三時・四時・五時・北には五時・半満・四宗
・五宗・六宗、二宗の大乗・一音等・各各義を立て辺執水火なり、しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり法華経は阿含・般若
・浄名・思益等の経経に対すれば真実なり了義経・正見なりしかりといへども涅槃経に対すれば無常教・不了義経・邪見の経等云云、漢より四百余年の末へ五百年に入つて陳隋二代に智〓と申す小
僧一人あり後には天台智者大師と号したてまつる、南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には法華経第一・涅槃経第二・華厳経第三なり等云云、此れ像法の前・五百歳・大集経の読誦多聞堅固の時
にあひあたれり、像法の後五百歳は唐の始・太宗皇帝の御宇に玄奘三蔵・月支に入つて十九年が間、百三十箇国の寺塔
583: 2014/09/07(日)20:41 ID:gYiG4toq0(11/15) AAS
を見聞して多くの論師に値いたてまつりて八万聖教・十二部経の淵底を習いきわめしに其の中に二宗あり所謂法相宗・三論宗なり、此の二宗の中に法相大乗は遠くは弥勒・無
著近くは戒賢論師に伝えて漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給う、此の宗の心は仏教は機に随うべし一乗の機のためには三乗方便・一乗真実なり所謂法華経等なり、三乗の機のた
めには三乗真実・一乗方便・所謂深密経・勝鬘経等此れなり、天台智者等は此の旨を弁えず等云云、而も太宗は賢王なり当時名を一天にひびかすのみならず三皇にもこえ五帝にも勝れ
たるよし四海にひびき漢土を手ににぎるのみならず高昌・高麗等の一千八百余国をなびかし内外を極めたる王ときこへし賢王の第一の御帰依の僧なり、天台宗の学者の中にも頭をさしいだす人一人
もなし、而れば法華経の実義すでに一国に隠没しぬ、同じき太宗の太子高宗・高宗の継母則天皇后の御宇に法蔵法師といふ者あり法相宗に天台宗のをそわるるところを見て前に天台の御時せ
められし華厳経を取出して一代の中には華厳第一・法華第二・涅槃第三と立てけり、太宗第四代・玄宗皇帝の御宇・開元四年・同八年に西天印度より善無畏三蔵・金剛智
584: 2014/09/07(日)20:42 ID:gYiG4toq0(12/15) AAS
三蔵・不空三蔵・大日経・金剛頂経・蘇悉地経を持て渡り真言宗を立つ、此の宗の立義に云く教に二種あり一には釈迦の顕教・所謂華厳・法華等、二には大日の密教・所謂大日経等なり、法華経は顕教の第
一なり此の経は大日の密教に対すれば極理は少し同じけれども事相の印契と真言とはたえてみへず三密相応せざれば不了義経等云云、已上法相・華厳・真言の三宗一同に天台法華宗をやぶれ
ども天台大師程の智人・法華宗の中になかりけるかの間内内はゆはれなき由は存じけれども天台のごとく公場にして論ぜられざりければ上国王大臣・下一切の人民にいたるまで皆仏法に迷いて衆生の得道みな
とどまりけり、此等は像法の後の五百年の前二百余年が内なり、像法に入つて四百余年と申しけるに百済国より一切経並びに教主釈尊の木像・僧尼等・日本国にわたる、漢土の梁の末・陳の始にあひあたる、
日本には神武天王よりは第三十代・欽明天王の御宇なり、欽明の御子・用明の太子に上宮王子・仏法を弘通し給うのみならず並びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給いぬ、其の後・人王
第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗・成実宗を観勒僧正・百済国よりわたす、
585: 2014/09/07(日)22:43 ID:gYiG4toq0(13/15) AAS
同御代に道昭法師・漢土より法相宗・倶舎宗をわたす、人王第四十四代・元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども而も弘通せずして漢土へかへる此の僧をば善無畏三蔵という、人王第四十五代に
聖武天皇の御宇に審祥大徳・新羅国より華厳宗をわたして良弁僧正・聖武天王にさづけたてまつりて東大寺の大仏を立てさせ給えり同御代に大唐の鑒真和尚・天台宗と律宗をわたす、其の中に律宗をば弘通し小乗の
戒場を東大寺に建立せしかども法華宗の事をば名字をも申し出させ給はずして入滅し了んぬ、其後・人王第五十代・像法八百年に相当つて桓武天王の御宇に最澄と申す小僧出来せり後には伝教大師と号したてまつる、
始には三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗並びに禅宗等を行表僧正等に習学せさせ給いし程に我と立て給える国昌寺・後には比叡山と号す、此にして六宗の本経・本論と宗宗の人師の釈とを引き合せて御らむありしか
ば彼の宗宗の人師の釈・所依の経論に相違せる事多き上僻見多多にして信受せん人皆悪道に堕ちぬべしとかんがへさせ給う其の上法華経の実義は宗宗の人人・我も得たり我も得たりと自讃ありしかども其の義なし、此れを
申すならば喧嘩出来
586: 2014/09/07(日)22:44 ID:gYiG4toq0(14/15) AAS
すべしもだして申さずば仏誓にそむきなんとをもひわづらはせ給いしかども終に仏の誡ををそれて桓武皇帝に奏し給いしかば帝・此の事ををどろかせ給いて六宗の碩学に召し合させ給う、彼の学者等・始めは
慢幢・山のごとし悪心・毒蛇のやうなりしかども終に王の前にしてせめをとされて六宗・七寺・一同に御弟子となりぬ、例せば漢土の南北の諸師・陳殿にして天台大師にせめおとされて御弟子となりしがごとし、此
れはこれ円定・円慧計りなり其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給うのみならず法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば延暦円頓の
別受戒は日本第一たるのみならず仏の滅後一千八百余年が間身毒尸那一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる、されば伝教大師は其の功を論ずれば竜樹天親にもこえ天台・妙楽にも勝れてを
はします聖人なり、されば日本国の当世の東寺・園城・七大寺・諸国の八宗・浄土・禅宗・律宗等の諸僧等誰人か伝教大師の円戒をそむくべき、かの漢土九国の諸僧等は円定・円慧は天台の弟子ににたれども
円頓一同の戒場は漢土になければ戒にをいては弟子とならぬ者
587: 2014/09/07(日)22:48 ID:gYiG4toq0(15/15) AAS
もありけん、この日本国は伝教大師の御弟子にあらざる者は外道なり悪人なり、而れども漢土日本の天台宗と真言の勝劣は大師心中には存知せ
させ給いけれども六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺日本一州一同に真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万人にいたるまでをぼしめしをもえ
り、しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける此の伝教の御時は像法の末大集経の多造塔寺堅固の時なり、いまだ於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にはあたらず。
今末法に入つて二百余歳・大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり、伝え聞く漢土は三百六十箇国・二百六十余州はすでに蒙古国に
打ちやぶられぬ華洛すでにやぶられて徽宗・欽宗の両帝・北蕃にいけどりにせられて韃靼にして終にかくれさせ給いぬ、徽宗の孫高宗皇帝は長安をせめをとされて田舎の臨安行在府に落ちさせ給いて今に数年が間京を
見ず、高麗六百余国も新羅百済等の諸国等も皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ、今の日本国の壱岐・対馬並びに九国のごとし闘諍堅固の仏語地に堕ちず
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