反出生主義について ★5 (31レス)
上下前次1-新
1(1): 11/20(水)22:55 ID:0(1/31) AAS
この世は不条理なギャンブル構造であり、子を生むことは同意を取らずにこれに参加させるという点で倫理に反する
また、現時点の科学では人は老いて病んで死に、この過程で多くの苦痛を体感することになる
故に、生むべきではない
※前スレ
反出生主義について②
2chスレ:philo
反出生主義について ★3
2chスレ:philo
反出生主義について ★4
2chスレ:philo
12: 11/21(木)12:50 ID:0(12/31) AAS
SNS上で見かける「反寄り」という言葉は、反出生主義に影響を受けた心情や観念を表現するものと考えられます。この言葉は、出産に対する積極的な支持を避け、どちらかと言えば懐疑的または否定的な態度を持つ立場を指すと推測されます。反出生主義に寄った心情、すなわち、出産の倫理的、社会的、あるいは個人的なリスクや苦痛を懸念する気持ちが、「反寄り」という表現に込められているといえるでしょう。
反出生主義とは、出産そのものを否定する思想であり、生命の誕生が避けるべき苦しみや不幸をもたらすとする立場です。この思想は、出産を人類や個人にとって有害な行為として捉え、倫理的にそれを避けるべきだと主張します。反出生主義者は、子どもを生むことが既存の苦しみを引き起こすだけでなく、将来の世代にも同様の苦痛を繰り返させることに対する道徳的な懸念を持っています。
一方、SNSで見られる「反寄り」という表現は、必ずしも反出生主義のように極端な立場を取るものではないと考えられます。「反寄り」とは、出産に対して積極的ではないが、出産そのものを完全に否定するわけではない心情を示していると見ることができます。この心情は、反出生的価値観に近いものであり、子どもを産むことに対する懸念や不安、または将来に対する不透明感が影響していると考えられます。例えば、経済的な不安や環境問題、社会的なプレッシャーなどが、出産に対する消極的な態度を形成する要因となり得ます。
反出生的価値観は、出産に対して否定的または懐疑的な立場を取るものであり、反出生主義とは異なり、出産そのものを倫理的に避けるべきだとする立場には至らないことが多いです。
13: 11/21(木)13:56 ID:0(13/31) AAS
反出生、主義者じゃなかった
14: 11/21(木)16:53 ID:0(14/31) AAS
つまりファッションなんだろ
15: 11/21(木)17:54 ID:0(15/31) AAS
反出生主義に同意はしないし突っ込み所はあるが、一つの思想としては理解できる
5ちゃん哲学板反出生主義スレの住人達は、反出生主義者と呼べるほどしっかりとした思想の持ち主ではないということ
SNSやニュースなどで話題の社会問題についてダラダラと私見を語ることは哲学でもなんでもない
板違いだから他でやれと言いたい
16: 11/21(木)17:56 ID:0(16/31) AAS
恐らくは、哲学なんてどうでもよく、反出生主義を口実に井戸端会議する憩いの場が欲しいんだろうな
知らんけど
17(1): 11/21(木)19:30 ID:0(17/31) AAS
ベネターの提示した快苦の非対称性のおかしな所は、評価が恣意的であること
そもそも、良し悪しの価値判断は恣意的であって当然で、それを用いている時点で論理的に演繹できるわけがないことは瞬時に理解できる筈なのだが、何故かアレが流布したときには「最強の論理!絶対の真理!」みたいな扱いになっていたよね、あんなのに騙されるなんて馬鹿だなーって思ってたが
例えば、主体Xが生まれないシナリオにおいて、苦痛の不在は「良い」とされている
同じく、主体Xが生まれないシナリオで、快楽の不在を「悪くはない」と評価してるが、ここを苦痛の不在と同じロジックで「悪い」と評価することはできるよね
何故、同じ条件下で苦痛と快楽の価値判断の付け方に差がつくのか?
ここを補っているのはベネターの個人的な価値観に過ぎず、快苦の非対称性は論理として破綻している、というか、そもそも論理ではない
18: 11/21(木)19:59 ID:0(18/31) AAS
快楽と苦痛は対概念であり、非対称なんてどこにもないよ
19: 11/21(木)21:07 ID:0(19/31) AAS
快楽と苦痛は対称なので、Xが生まれたシナリオとXが生まれなかったシナリオはイーブンになり、反出生に倫理的優位性はなくなる
20(1): 11/21(木)21:21 ID:0(20/31) AAS
>>17
そんなこと言ったら、苦痛の存在が悪いとか、快楽の存在が善いというのも恣意的な判断になるだろうに。
21(1): 11/21(木)22:23 ID:0(21/31) AAS
>>20
確かにご指摘の通り、一般化できる良い悪いもある
書き方が悪かったです
要点は、Xが生まれなかったほうのシナリオにある
上では快楽の評価についての指摘だったが、同様に苦痛の評価も別の形に変更ができてしまう。
Xが存在しなかった場合のシナリオにおいて、苦痛の不在は「良い」とされているが、現実的に考えると、この世に存在しないものに対して苦痛がないから良いという評価は演繹的に導けない
例えば、誰もいない空間を目の当たりにして、「ここには苦痛がない、これは良いことだ」とは必ずしもならないだろう
従って、評価としては「良くも悪くもない」ともできてしまう
総じて、非存在に一般化できる良し悪しの評価はつけられないということ
22: 11/21(木)22:46 ID:0(22/31) AAS
>>21
うん、良いところをついていると思うよ。
ベネターの主張のおかしいところは、主体の不存在を存在と比較してあたかも二つの不存在が存在するかのように見せかけ、そして、その二つの不存在を直接的に比較させないようにしてるところにあるんだよ。
すなわち、快楽の不存在も苦痛の不存在もいずれも主体が存在しないのであり同じ状態なんだよ。何も存在しないを比較して、いずれか一方が善い(または悪い)とされれば、おかしいよなと気づくでしょ。だって、どっちも何もないだけなのだから、どっちが善い悪いなんてなくて同じじゃなきゃおかしいでしょ。
23(1): 11/21(木)22:59 ID:0(23/31) AAS
そもそも、ベネターの「良い/悪い」が何に対しての評価なのか不明瞭というのもある
仮に、子を生む側の倫理的評価だとしてみよう
Xが生まれたシナリオ
快楽を与えることは良い=善
苦痛を与えることは悪い=悪
Xが生まれなかったシナリオ
苦痛を与えないことは良い=善
快楽を与えないことは悪くない=中立
こんな感じになる
ここで「他人に苦痛を与えないことは善と呼べるほど善い行いなのか?」という疑問が生じる
省3
24: 11/21(木)23:20 ID:0(24/31) AAS
評価が
right/wrongなのか、good/badなのか、というのが気になる所
前者なら>>23の指摘のとおり。
後者なら「主体は誰なのか?」という疑問が生じてくる。反出生主義の議論で頻出する「生まれないことが幸せ」という非存在を存在のように語る誤謬が発生しているのかもしれない
そうではなくて、あくまで生む側の主観ということならば、既に指摘した通り、Xが存在しないシナリオが個人の価値観で変更できてしまう
25: 11/22(金)00:34 ID:0(25/31) AAS
上の指摘の通り、子を生む側の倫理的評価の仮定で、ベネターの評価を妥当な形に修正すると以下のようになる
【Xが生まれたシナリオ】
快楽を与える=善
苦痛を与える=悪
【Xが生まれなかったシナリオ】
苦痛を与えない=中立
快楽を与えない=中立
これにポイントを割り当て計算する
善+1、悪-1、中立0
【Xが生まれたシナリオ】
省4
26: 11/22(金)00:50 ID:0(26/31) AAS
しかし、ベネターの評価がこの仮定の通り、
right/wrongだとすると、
ベネターは「子を生み快楽を与えることは倫理的に善である」と認めていることになるが、それは反出生主義的にどうなのだろう
人生には快楽と苦痛の両方があるので、そこから「子を生むことは善くも悪くもある」というロジックが成立してしまうことが、採点結果「0」と数値化されていることからわかるよね
子を生むことは倫理的に悪なのであれば、採点結果はマイナスの値にならないとおかしい
27: 11/22(金)01:10 ID:0(27/31) AAS
ここまで、ベネターの非対称性の理論に乗っかった上での批判を展開してみたが、
そもそも、主観という常に揺蕩い変動する複雑な性質のものを、至極単純化したマトリクス上で表すこと自体がナンセンスであることはいうまでもない
ここで論点になってくるのが、快苦の総量という功利主義的概念だが、前提として、快楽/苦痛は主観なので、客観的に定量化が不可能という問題がある
であれば、主体自身が人生の中で感受した快楽と苦痛を体感的に分析するしか方法がないわけだが、人間とは複雑なもので、苦労や苦痛が多い人生であっても晩年に「色んなことがあったけど、総体として中々良い人生だった」と評価することがある
そうすると、必ずしも苦痛が多い人生が当人にとって悪い人生とは言えなくなる
つまり、主体が自分自身の人生総体を「良きもの」と捉えれば、仮に苦痛が多い人生であってもそれを生み出したことは善であるということになる
28: 11/22(金)01:40 ID:0(28/31) AAS
倫理的な評価としての快苦の非対称性を纏めると、
ベネターの非対称は、苦痛と快楽をそれぞれ瞬間的に切り取って客観的に評価をしている
その結果は、「生むことはrightでもwrongでもある」という反出生主義を否定する結果がでている
人生総体のgood/badの評価は主体にしかできない
人生総体を主体がgoodとすれば、それを生み出した行為はright
人生総体を主体がbadとすれば、それを生み出した行為はwrong
ここで重要なのが、瞬間的なbadの総量が多かったからといって、人生総体の評価がbadとは必ずしもならないということ
こちらの場合でも上と同様に、生むことはrightにもwrongにもなり得る
29: 11/22(金)01:44 ID:0(29/31) AAS
即ち、「全ての出生は悪である」という命題は偽という結論になる
30(1): 11/22(金)06:20 ID:0(30/31) AAS
難しく考えるより先に、
結局厳しく教育するしかなくなるんだから最初から子供作らないほうがいいな
31: 11/22(金)12:26 ID:0(31/31) AAS
>>30
だから無能は淘汰されるんだよ
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.481s*