[過去ログ] 坐禅と見性第114章馬が田に入り、牛が田に入り、早乙女が田植えする [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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103: Ann 2017/01/08(日)02:28 ID:Igrq1HLI(12/28) AAS
「問、見性成仏というが、本来無一物の何の性を見る事ぞや。

答、性は無形無体なり。此性を見る時は、仏と衆生の隔てなく、

無心無念の真仏に合う、此ところを指して見性と云うなり。」と。

また抜隊得勝禅師いわく、

「成仏の道とは、自心を悟る此れなり。自心と云ふは、父母もいまだ生れず、わが身もいまだなかりしさきよりして、
省16
104: Ann 2017/01/08(日)02:28 ID:Igrq1HLI(13/28) AAS
では悟入について述べてみよう。

悟入の状態とはつまり大悟の状態であるが、これは別に真新しいことではない。

これまで述べた大悟見性の理が実際に実現するのに他ならない。

真如に自分自身が化成するのである。

だから大悟は理論的に言えば、主観客観の内外を滅却して、宇宙の本性たる真如を直観するのである。
省16
105: Ann 2017/01/08(日)02:29 ID:Igrq1HLI(14/28) AAS
元より唯仏与仏乃能窮尽のものだ。

また師匠から伝授されるものでもなく、授けることもできない。

能伝所伝、能授所授をこえている。ただ我にある三昧我ただ知るのみである。

ならばこの妙奥に到達することが真の大悟ならば、もとから実感そのものの時期を予知することもできなければ、

その妙味をあれこれ言うこともできない。大悟は、自覚するときである。
省19
106: Ann 2017/01/08(日)02:29 ID:Igrq1HLI(15/28) AAS
「香巌知閑禅師一日草木を芟除す。因んで瓦礫を以つて竹を撃って声を作す廓然として省語す。」と。

これは香巌禅師が一日作務のとき、外を掃除でもしていたときだろう。

ゴミを藪に捨てたそのとき、ゴミの中の石や瓦が、カラリと竹に当たった。その一声に忽然として悟ったということである。

後世の人がこの聞声悟道の趣きを詠んでいる。

「降る雪に 宿る鳥の 埋れて 鳴く声ばかり 黒きぞとしる」と。参禅の士はよく味わってみるがいいだろう。
省9
107: Ann 2017/01/08(日)02:30 ID:Igrq1HLI(16/28) AAS
「『達磨大師因に般若多羅尊者問ふ、諸物の中に於て何に物か無相なる。

大師曰、不起無相なり。尊者曰く、諸物の中に於て何物か最大なる、』と。

是の如く問答して、師資心通すと云へども暫らく機の純熟をまつ。

後、尊者の室に入り七日坐禅す。尊者広く坐禅の妙理を指説す。

大師此に大悟す。」と。
省8
108: Ann 2017/01/08(日)02:31 ID:Igrq1HLI(17/28) AAS
また、「大医禅師、鑑智大師を礼して曰く、願くは和尚慈悲乞ふ

解脱の方門を与えよ。大師の曰く、誰れか汝を縛す。

禅師曰く、人の縛するなし。大師曰く、更に下陀tを求めるや、

禅師言下に於いて大悟す。」と。

解脱の法は他に求めるべきではなく、人々の上に豊かに
省11
109: Ann 2017/01/08(日)02:31 ID:Igrq1HLI(18/28) AAS
これは元来は理で説くべきでない、仏法の大意を問うたものだから

とりあえず黄檗は臨済をぶったたいたのである。これはつまりは

ちっとも透間のない石火雷光の答えであり、理致のかぎりでないことを

示したのだが、まだ臨済はそれに合点がいかないから、三度も繰り返して

問を投げた。黄檗は三十棒をあたえた。
省10
110: Ann 2017/01/08(日)02:31 ID:Igrq1HLI(19/28) AAS
もう一つ。「道元禅師支那へ留学のとき、天童如浄禅師のところにあり、

禅師一日例により坐禅す。傍に一僧あり。頻りに眠る。如浄之を誡めて云く。

参禅は須らく身心脱落なるべし。只管に打睡して什麼をか為すに堪へんと。

禅師傍より聞いて豁然として大悟す。直ちに方丈に上り、焼香す。

如浄曰く、焼香の事作麼生。禅師曰く、身心脱落し来る。
省12
111: Ann 2017/01/08(日)02:32 ID:Igrq1HLI(20/28) AAS
確かにもっともなことだが、前にも述べたが、

大悟見性は、悟ろうとしても悟れない。悟りを求めないようにしても悟らないことを得ない。

ただ境に対して忽焉豁如心底に徹するものなのだ。

まずは釈尊の所言をよく考えてみなければならない。

我と大地と有情と同時に成道す、と。釈尊が太陽を見て悟ったなら、
省11
112: Ann 2017/01/08(日)02:32 ID:Igrq1HLI(21/28) AAS
文字こそ両者とも同様であるが、これは混沌として無分別的一如的のもので、

主観客観をまったく糸を切ったように切断されているのである。

外界からいくら刺激がきても感じないのである。

然るに大悟の無念無想は能所根絶といって主観客観は根絶してはいるが、

糸の切断されたようではなくて、その根絶のありのままに安住するという意味だ。
省14
113: Ann 2017/01/08(日)02:33 ID:Igrq1HLI(22/28) AAS
道元禅師は、「曾に誇り悟に豊かにして瞥地の智通を得、道を得、

心を明めて衝天の志気を挙ぐるも入頭の辺量に逍遥すと雖も、幾んど出身の活路を虧闕す」と、お叱りになった。

一類に属するものである。とにかく以上のような悟りに腰をすえた輩を向上の死漢と言って、

非活動的の大悟または病的な大悟というのである。参禅の士は、従容録第二十八則護国の護国三懡羅の話を味わってみるのがよいだろう。

「僧護国に問ふ、鶴枯松に立つとき如何。護国云、地下底一条の麼羅」と。
省8
114: Ann 2017/01/08(日)02:33 ID:Igrq1HLI(23/28) AAS
これについては萬松老人の垂示がおおいに参考になる。

「寸糸を掛けざる底正に是れ裸行外道。粒米を嚼まざる底の漢、断めて焦面の鬼王。

直饒ひ聖処に生を受くるも未だ竿頭の険堕を免れず。還つて羞を掩ふ処有りや」と。

向上に腰をすえるものは、寸糸も身につけず。凡夫迷情のとれた立派な境界だけれども、

そこをよい境界だと腰をおろすようでは裸行外道であり、仏法では許されないということだ。
省8
115: Ann 2017/01/08(日)02:34 ID:Igrq1HLI(24/28) AAS
これを身心脱落に対して、脱落身心ともいうのである。

現象即実在に対して、実在即現象というべきところである。

このとき逆順縦横興奪自在の活作用を得るのだ。

ものの龍蛇、緇素を弁明し、剣刃上に殺活を論じることもできるし、棒頭上に機宜をわかつこともできるのだ。

等閑の一句一言、群を警し衆を動かし、一機一境鎖を打して、枷を敲き、仏界であれ、魔界であれ、社会であれ、国家であれ、
省9
116: Ann 2017/01/08(日)02:34 ID:Igrq1HLI(25/28) AAS
言うなれば、大悟の体相があるところには必ずその用がなければなりません。

一つ例をあげるとすれば、釈尊大悟の状態がそうである。

見明星の大悟自覚が単に自覚したというだけに止まったら、釈尊の釈尊たる価値はない。

極端に言えば、釈尊があのままで涅槃の雲に入られたと仮定してみればわかるだろう。

たくさんの金をかけて勉強したものが博士課程を修了してすぐ死んでしまったのと同じことで、
省13
117: Ann 2017/01/08(日)02:35 ID:Igrq1HLI(26/28) AAS
大悟の状態、つまり悟入の状態と、悟後の状態にいささか注意をされたい。

大悟の状態は悟後の状態ではなく、悟後の状態は大悟の状態ではない。

これは説明上必然の帰結と言えよう。

大悟の状態は大悟の体認の状態であり、正面から言えば、一大自覚のときであり、

すなわち自分みずからが真如と化成した精神的状態である。
省11
118: Ann 2017/01/08(日)02:35 ID:Igrq1HLI(27/28) AAS
つまり前者は、体を認めた状態、後者は用であって、

体の存するところ必ず用の伴うつまりこれが真の大悟である。

ここまで進みこんでこそ、禅の大悟、証道である。

こういう人を大悟底の人、超関脱落底に安んじて茶を飲んで、飯を食って、

仕事をして、休んで、日々夜々、活発々地、七通八達、滞りなく、
省10
119: Ann 2017/01/08(日)02:36 ID:Igrq1HLI(28/28) AAS
すなわち「行の招くところは証なり。自家の実蔵、外より来らず。

証のこれ使ふところのものは行なり。心地の蹤跡豈に廻転すべけんや。

然り而して若し、証眼を廻らして行地を顧みば一翳の眼に当るなし。

将さに見んとすれば白雲万里。若し行足を挙して証階に擬せば一塵の足を受くる無し。

将さに蹈まんとすれば、天地懸かに隔る是に於て退歩せば仏地を勃跳す」と。
省2
120
(1): チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. 2017/01/08(日)02:50 ID:hkq8ex/b(1/5) AAS
碧巌録(へきがんろく)  第30則?   趙州大蘿葡頭(じょうしゅう だい らふとう)   
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本則:
久参の僧、趙州に問う、
「承(うけたまわ)り聞く、和尚親しく南泉(なんぜん)に見(まみ)ゆと。是なりや、否や?」。

州云く、
「鎮州に大蘿葡頭(らふとう)「大きな大根」を出(いだ)す」。
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省20
121: チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. 2017/01/08(日)02:54 ID:hkq8ex/b(2/5) AAS
>>91 Ann ちゃん

本スレ、と言えば、一方は偽となる。
前にも言ったけれど、流れ下る木の葉のように、ふーらふら、表を見せたり、裏を見せてtだ流れていくだけだろうね。
122: チゥ(* ^)(◎o◎)ポッたん ◆PottancCb. 2017/01/08(日)03:05 ID:hkq8ex/b(3/5) AAS
Ann ちゃん

すごいね、大量の書き込みだね。
だが、「騒動衆 そうとうしゅう}のひとだったのか?
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