[過去ログ] 【テーラワーダ仏教】ブッダの教えと冥想の実践20 (1002レス)
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645: 2023/02/06(月)15:08 ID:/2VPtHZP(1/4) AAS
>法華経の原本は紀元1世紀以降にインドで編纂されたという説が有力である。

法華経のサンスクリット原本の写本が1世紀の地層から発見された
わけじゃないよ
出土された原本は5世紀から6世紀までのものが限界だし
書写年代が確認されるものは10世紀から11世紀のネパール本だ
ただ文献の解析で1世紀成立なんじゃないかと推定されてるだけだよ
646: 2023/02/06(月)15:22 ID:/2VPtHZP(2/4) AAS
パーリ語
古代インドの雅語、教養語であったサンスクリット語に対しては、俗語、方言である
プラークリット語の一環で、前者に比して音韻論的にも形態論的にも単純化の
傾向を示しているが、多種多様の要素が混在していて、その基体をなした言語を
特定することはむずかしい。アショカ王碑文にみえる紀元前3世紀の方言分布に徴すると、
それは西部インドの方言にもっとも近いが、東部マガダ語の特徴をも備え、
部分的に人為的作為の跡もみえる。前2世紀より紀元後2世紀にかけて
かなり広範に北インドに通用していた言語と思われる。

公用語として使われた時期に経典を書き写されたと想定されるので
文献的に法華経の成立年代より早いよ
647: 2023/02/06(月)15:23 ID:/2VPtHZP(3/4) AAS
まあ、常識的に考えてパーリ経典が法華経より遅く成立したとは考えられないね
648: 桃太郎 2023/02/06(月)16:13 ID:MsxsO+O6(3/6) AAS
パーリ仏典はいわゆる小乗教。

初期の教えであり、対機説法なんです。
釈尊の初期の教えというのは、衆生の機根に応じて説かれたもであるので、仏の本意では無い。
しかも「写本はほとんどが18世紀から19世紀という、きわめて近年のものである。」という事を理解しましょう。

仮にその教えの中に、古いものがあったにせよ、それは衆生の機根を方便によって整え、仏の究極の教えである「法華経」を理解せしめるための権経なのです。
なので、初期の経典には下記のような記述があります。

「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」
(「ブッダのことば」スッタニパータ 中村元 訳(岩波文庫)」

本来、釈迦の「万人平等の思想」と旧来の「バラモン教」は相容れるものではありません。
もし、釈尊が最初からバラモン教を否定していたなら、仏教は当時のインドでは受け入れられなかったでしょう。
省4
649: 桃太郎 2023/02/06(月)16:13 ID:MsxsO+O6(4/6) AAS
仏典研究もまだまだ研究者の間でも様々な意見があり、完全に確定したものではない。
これからも更に深い研究がなされ、どう変わって行くのかわからない。

<Wikiから抜粋>

中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ、
増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」として、
"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。

しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。

さらに中村元は、著書の中で最初期の仏教が縁起真如を説いていたという独自の説を述べている。
上座部、説一切有部が縁起を時間的生起関係からのみ解釈したのに対して、最初期の仏教は縁起を存在論的な観点から説いていたのであり、
縁起に真如を見るという思想は、一切衆生悉有仏性という大乗の教えそのものである、といった主張もなされている。
省4
650: momotarou 2023/02/06(月)16:14 ID:MsxsO+O6(5/6) AAS
ただし、この主張は部派仏教の経典は文字によって伝承され、大乗は口伝で伝えられたというものであるが、
これは史実と異なる。実際は上座部のパーリ経典の方が口伝で継承されていた。
パーリ経典は口伝で重要な暗記をやりやすくするために、反復や韻を踏む内容となっている。
また、僧の大集会などで経典を唱える行為はこの暗記の正確さをお互いに確認しあうという役割があった。

パーリ経典が文字として記録されたのは大乗仏教が登場してからである。

外部リンク:ja.wikipedia.org

ここで、注目すべき箇所は、

中村元という仏典研究の第一人者があらゆる仏典を研究し尽くして言うには
「「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張」だ。
証明不可能であっても、誰よりも研究し尽くした学者の結論である事は間違いない。
省6
651
(1): 2023/02/06(月)16:26 ID:/2VPtHZP(4/4) AAS
法華経が釈尊の真意などという考えは仏教学的には信じられてないし
これからも信じられることはないだろうね
652: 2023/02/06(月)17:14 ID:YaYlekWc(1/2) AAS
麻原彰晃によるとブッダかずひさはブッダとして合格だそうです
653: 2023/02/06(月)17:15 ID:YaYlekWc(2/2) AAS
麻原彰晃はスシロー事件に憤慨しておりました。食べ物は命でありそれを粗末にする者は来世ナメクジ確定だそうです。
654: 桃太郎 2023/02/06(月)17:44 ID:MsxsO+O6(6/6) AAS
>>651

>法華経が釈尊の真意などという考えは仏教学的には信じられてないし

信教の自由なので、なにを信じようと個人の自由です。
ただし、私は仏教学的に十分信じられると思いますよ。

小乗教や権経を、中国の天台智??、日本の最澄が公の場の法論で打ち破り、法華経を宣揚した歴史的事実はありますが、
小乗教が大乗経を法論で打ち負かした事実はあるのでしょうか?
ましてや、最高の経典である「法華経」が小乗教で法論で負かされた歴史などあまり聞きませんね。

なので、テラワダのような初期の仏教は現代に於いて修行してもあまり意味が無いように思えます。
ちょうど去年の暦を使って生活しているようなものです。
655: 2023/02/07(火)13:25 ID:H1ISguXX(1/4) AAS
そら後付けで法華経最高とか捏造した上での経典どれが最高か論議は
法華経が勝つでしょうね
でも、それになんの意味が?
656: 2023/02/07(火)13:54 ID:H1ISguXX(2/4) AAS
現代では、架空の仏を信じるのは難しいと思うんです。
架空の仏を仮に設定することは一般人の心にリーチしない
そういう意味では禅宗やテーラワーダが時機相応の仏教だと思いますね
657: 桃太郎 2023/02/07(火)14:23 ID:5N8vdI+Z(1/4) AAS
天台智??や最澄は、阿含経はもとより、一切の大乗経を読み解かれた上で、法華経が最上第一と結論付けられたのです。
当然日蓮大聖人も、小乗教も学んだ上です。

本当に真実の仏法を学びたいのなら、大乗経も学ぶべきです。
その上で、教えを精査し、釈迦の教えの本意とは何かを探究すべきではないでしょうか。

常識的に考えて、皆さんの生活環境に於いて、釈迦在世の阿羅漢と同等の境涯を得る事は限りなく不可能です。
恵まれた生活環境で、世俗にまみれて、阿羅漢の悟りなど得られるわけが無いことなど、少し考えれば分かる事です。

今世においてわずか数十年の修行で、解脱して来世は生まれてこなくなるなど、あり得ない事です。
※真実の仏教では、嫌でも生まれてくるんです。そのまんまの「我」をもって。

もし、悟り損ねて、再びこの世界に生まれてきたとしましょう。
過去世など覚えていませんので、再び修行のやり直しです。
省10
658: 桃太郎 2023/02/07(火)14:30 ID:5N8vdI+Z(2/4) AAS
>「架空の仏を信じるのは難しいと思うんです。」

真実の仏教に於いては「架空の仏」など存在しないのです。
釈迦の本意である法華経に於いては一切衆生が本来皆「仏」と捉えているのです。

阿弥陀仏や大日如来が衆生を守り願いを叶えて下さると言う教えは「方便」であり「権経」と言うことです。
だからこそ、釈尊が法華経を説いたときに、「以前、師匠(釈迦)が説いた教えとまったく違う」と言って、無数の増上慢の僧が説法の座を離れたと法華経には説かれています。

ゆえに、法華経は古来「難信難解」と経典と呼ばれるのです。
659: 2023/02/07(火)15:08 ID:H1ISguXX(3/4) AAS
たとえば、空ということについても素粒子があると現代科学ではっきりしている以上
部派の法実有が正しかったと言わざるを得ないですよね
大乗がすぐれているという考え方自体、時代遅れだと思いますが
660: 桃太郎 2023/02/07(火)15:50 ID:5N8vdI+Z(3/4) AAS
小乗教(テラワダ)では議論にすらならない大乗仏教に於ける「不思議な「生命の世界」を探究しよう。」(色心不二の生命)

「生命を語る」より抜粋

「人間の生命はどこにあるのか」

素朴な疑問のようですが、それでいて明確に答えられる人は、ほとんどいないのではないかと思われます。

心臓や脳が、どこにあるのかといえば、小学生ぐらいになると、だいたい知っています。
ところが、自分の生命自体が、この身体のどこにあるのかと問われると、考えこまざるをえないですね。
おそらく生命をめぐる謎のなかでも、もっとも単純な疑問でしょうが、また、もっとも身近で現実的な問題でもあります。
省10
661: 桃太郎 2023/02/07(火)15:51 ID:5N8vdI+Z(4/4) AAS
私たちの脳は、重さからすれば、約千五百グラムぐらいの、ピンク色をした塊にすぎませんが、そこに約二百億個もの脳細胞が集まって、さまざまな働きをしています。
記憶、思考、判断、計算などといった各種の精神現象を織りなす肉体の″座″が、これらの脳細胞です。

一個の身体は、たんなる臓器や細胞の寄せ集めではない。身体は、細胞や組織や臓器の、おのおのの個性を生かし、特徴を十二分に発揮させながら、しかも、全体的統一と調和をたもって、創造的に生を営んでいる。その律動の姿は、神業とさえ思えるほどです。

身体は、たんなる物質の集合体、寄せ集めではなく、全体的な秩序と調和のもとに生を営む統合体であり、みごとな生を自己創造する主体的な実在でもある。
また、一個の細胞といえども、美しい調和のリズムを奏でる個性的な統一体であるといえるでしょう。
生命の能動性は、宇宙の奏でる妙なるリズムにのって、不可思議な種々の変化相として姿をあらわす。
人間や動物と違った非情の生命としての顕在もあれば、かわいらしい小鳥やチョウとして生を営むこともあるでしょう。
そして、生命の能動性の精緻な発現は、人間の身体においてきわまると思うほど、私たちの肉体の働きは絶妙です。
このような生の、まことに多彩にして妙なる能動性の顕現するダイナミックな現象の世界を、仏法では「色法」と言う。

したがって、現象の世界を探究することによって、そこに能動性としての力とともに、それをもたらす、内なる「法」を見いだすこともできると思う。
省3
662: 2023/02/07(火)16:25 ID:H1ISguXX(4/4) AAS
人生に意味があると思うことがすばらしい、というのも一つの答えでしょう
でも、その考えにこりかたまっているようでは悟りとは何かの一分しかけずりとっていないでしょうね
663: 2023/02/07(火)20:37 ID:kLXw0fvD(1) AAS
ウィキペディアの、各仏教用語のページの脚注、
出典を某長老や某協会のそれへと置き換えていってる連中がいるね。

上座部はそういうのが巧い、って言われてるみたいだけど
なるほどな、と思う。

自分は、上座部すら成立する以前の
釈尊在世時の原始仏教が好きなので、なんかモヤる。
664
(2): 2023/02/08(水)08:26 ID:NYKpc7s2(1) AAS
ふうん、テラワダって悪い奴らなんだなぁ
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