[過去ログ] 阿含宗という宗教 328 (1002レス)
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617: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/14(土)10:52 ID:i5tayoMz(5/6) AAS
「かくのごとく、心清浄にして、煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して、
身心柔軟、いつでも活動できる状態にあり、しかも、安らかに住して不動の
状態にある時、いまや、比丘は、心を智見に傾注する。」
(『阿含経典 第五巻』増谷文雄、258頁)
「(次に)このようにして心が安定し、清浄で純潔となり、汚れなく、
小さな煩悩からも離れ、柔軟になり、機敏にものに応ずるもの、しかも、
(それ自らは)堅固な不動のものとなると、比丘は(次のような)知による
洞察(智見)に心を傾け、心を向けます。」
(『世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』中央公論社、531-532頁)

これらは>>602と同じ部分の訳で「煩悩すでになく、煩悩の枝末をも遠離して」
省14
618
(2): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/14(土)11:04 ID:i5tayoMz(6/6) AAS
>>602神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:52:24.56ID:rbXSUWMk
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
そこでこの(一切は)苦であると如実に知った。」
(『ゴータマ・ブッダ ー釈尊の生涯ー 原始仏教1』中村元、184頁)

ここまでで、他の信者さんたちは↑の「心の統一(心の安定)」が解脱のことか、
違うか、どちらだと思いますか?
普通の国語力では、「・・・心が統一され、清浄で、きよらかで、
よごれなく、汚れなく、柔かで、巧みで、確立し不動と・・」の文章は、
「心が統一=清浄=きよらか=よごれなく=汚れなく=柔か=不動」
省16
619
(2): 桐山靖雄 2022/05/15(日)08:46 ID:Lyvwbnr4(1) AAS
>>583
>深田さんみたいな死に方をして早く死ねば良いのに

だから、深田靖阿はどういう死に方を
したのか教えて下さい。
そもそも、阿含宗二代目管長猊下にたいして
そういう言いぐさはどうなんですかね?
尊敬の念がまるで、感じられませんが?
620
(9): 2022/05/15(日)16:06 ID:bT7Ka6UI(1) AAS
≻≻614
≻これに対して私は、仏教の三昧、定とは、煩悩に心が攪乱されないことであり、
この経典では解脱を表わしていると反論した。

逃げているのは深山さんの方です。
あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?
そういうゴマカシはいけません。

「心の安定ー原語samadhiは「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。
漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが・・・」
(『ブッダのことばースッタ・ニパータ』中村元訳、岩波文庫、300頁)

三昧や禅定はどう転んでも解脱にはなりません。
省23
621
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)17:01 ID:DWiU60xl(1/4) AAS
>>620
あっ、そう。
622
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)18:39 ID:DWiU60xl(2/4) AAS
>>620 神も仏も名無しさん 2022/05/15(日) 16:06:15.96 ID:bT7Ka6UI
>男なら潔く諦めなさい。

プッ、子どもみたいw

>「是れ即ち一切の有漏煩惱を斷盡し、我が生すでに盡き、梵行すでに立ち、
>所作すでに辨じて復た後有を受けじと證知するを漏盡智と称し、
>四根本静慮を依持とし威徳殊勝を示現するを漏盡智通と名づくることを設けるものなり。」
>(『望月佛教大辞典 第五巻』、望月信亨、世界聖典刊行協会、5082頁)

>漏尽智とは煩悩を断ち、それを確認する神通のことです。
>煩悩断ちから確認までの一切を漏尽智というのです。

いや、「『一切の有漏煩悩を斷盡し・・・後有を受けじ』と證知するを漏盡智と称し」と読むべきでしょう。
省8
623
(3): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)18:53 ID:DWiU60xl(3/4) AAS
>>620 神も仏も名無しさん 2022/05/15(日) 16:06:15.96 ID:bT7Ka6UI
>あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?
そういうゴマカシはいけません。

>「心の安定ー原語samadhiは「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。
漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが・・・」
>(『ブッダのことばースッタ・ニパータ』中村元訳、岩波文庫、300頁)

>三昧や禅定はどう転んでも解脱にはなりません。

だから三昧も禅定も心の安定ならば解脱も心の安定なんです。
解脱していない修行者でも瞑想三昧に入って心の安定を得ることはできます。
ただし定が解ければまた煩悩が沸き起こるから解脱しているとは言えない。
省13
624
(2): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)19:01 ID:DWiU60xl(4/4) AAS
煩悩とは何であるか?煩悩が減りなくなるというのはどういうことなのか?
まだイメージがつかめてないなあ。
考えたこともないんだろう。
これが分かるとまさに心の安定に他ならないと分かります。
625: 2022/05/15(日)21:14 ID:l/RnbaMs(1/5) AAS
>>621
いちいちキチガイ深山擁護に出てるくるな!
この腐れ朝鮮短小糞ユビキタス!
引っ込んでろ!
626: 2022/05/15(日)21:15 ID:l/RnbaMs(2/5) AAS
>>624
屁理屈書いてんじゃねぇよ!
朝鮮糞ジジイユビキタス!
早く死ね!
627
(2): 2022/05/15(日)21:16 ID:l/RnbaMs(3/5) AAS
>>623
はい屁理屈!
負けを認めない朝鮮人特有の屁理屈!
煩悩丸出しはてめえだこのキチガイユビキタスじじい!
628
(2): 2022/05/15(日)21:17 ID:l/RnbaMs(4/5) AAS
>>619
ワクチン4回目接種したら教えてやるよ
お前元職員か?
629
(3): 2022/05/15(日)21:20 ID:l/RnbaMs(5/5) AAS
>>619
深田さんを尊敬?阿呆かお前は?
桐山さんのようなカリスマ性も無いのに尊敬している会員なんかおらんわ
630
(1): 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)21:59 ID:f7wcLzS1(1/7) AAS
>>620神も仏も名無しさん2022/05/15(日) 16:06:15.96ID:bT7Ka6UI
>あなたが引用したスッタ・ニパータの「心の安定」の註はどうしたのですか?

他の信者さんたちはごらんください。
前に指摘したように、ペテン大作さんは何をどう反論されようが、
心の安定にしか心が向かない。
こちらが指摘した「清浄で、きよらかで、よごれなく・・」という
言葉が目に入られないのです。

>>602神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:52:24.56ID:rbXSUWMk
「かくのごとく心が統一され、清浄で、きよらかで、よごれなく、汚れなく、柔かで、
巧みで、確立し不動となったときに、我々は汚れを滅す智(漏尽智)に心を向けた。
省6
631: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)22:01 ID:gKJ1EppJ(1/5) AAS
>>627
お前は理屈もこれっぽっちも書けないもんなあw
人間ここまで勉強しないでバカになってはいけないという見本だなw
阿含宗信者ってこんな程度なんだよなw
632: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)22:10 ID:f7wcLzS1(2/7) AAS
>>601神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:42:19.94ID:rbXSUWMk
>「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
>(『広説佛教語大辞典』中村元、東京書籍、1776頁)
>あらゆるけがれを滅するとは煩悩を断つという意味になる。

「けがれ=煩悩」だとペテン大作さんは認めている。
けがれがない、とは煩悩がない、煩悩から解放されていることですから、
解脱「仏教では煩悩から解放されて自由な心境になることをいう。」(『岩波仏教辞典』)
という説明のとおりに、解脱していることなる。
つまり、「よごれなく、汚れなく」が解脱であるとペテン大作さんも、
自分では気が付かずに認めた(と私が彼の逆手を取った)。
省12
633: 2022/05/15(日)22:12 ID:tEwaBqpk(1) AAS
信心を強制する宗教ってありますよねぇ、ありゃ如何な何でしょう。
他所は余所、家の事はうちのこと。
信仰ってのは、自己の心の奥が観音様と寸分違わないと発見する大事で、
阿弥陀様でも大日如来でも宜しい、御縁が生じ、信じて行い仏と我に継ぎ目が無くなれば其れが因縁解脱。
こういう人には神仏のお助けが加わる、此れが如来加持力。
密教ってのは判り易い宗教なんですよ。
634: ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)22:18 ID:gKJ1EppJ(2/5) AAS
>>629
我々が今回の深田さんの逝去に関して語っているのは桐山さんと比較するカリスマ性とかの違いではありません。
それにしてもカリスマ性とはよく言ったものですね。
桐山さんは確かにカリスマ性がありました。
でも実際には本当の力なんかありません。
本当の力のある人にカリスマという言葉はに必ずしも似合わない面もありますからね。
それはともかく深田問題というのは阿含宗の因縁と因縁解脱問題なんです。
阿含宗の法務管長となった人が因縁も切れてなかったでは話にならないということになりますよね。
だから死因を問うているのです。
これに対して教団は本来堂々と示すべきですこれこれこういうことなんだから決しておかしなことではない
省10
635: 深山 ◆lDoupiXSYZNC 2022/05/15(日)22:21 ID:f7wcLzS1(3/7) AAS
>>601神も仏も名無しさん2022/05/12(木) 15:42:19.94ID:rbXSUWMk
>「漏尽智ーあらゆるけがれを滅する智。阿羅漢に属する。」
>(『広説佛教語大辞典』中村元、東京書籍、1776頁)
>あらゆるけがれを滅するとは煩悩を断つという意味になる。

もし、ペテン大作さんが「よごれなく、汚れなく」が解脱ではないと
言いたいなら、まず601の
>あらゆるけがれを滅するとは煩悩を断つという意味になる。
という自分の主張を撤回するしかない。
中村博士の説明の「けがれ」は煩悩ではないということになる。
しかし、そのように主張すれば、彼の
省17
636
(1): ユビキタス ◆Pwwkr6/7qicR 2022/05/15(日)22:22 ID:gKJ1EppJ(3/5) AAS
とまあ>>629に言ってもこいつは何にも理解しないだろうから、他の読者の皆さんに語っている。
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