[過去ログ] 【ヤッカイドウ】北海道新幹線249【開発失敗地】 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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170: 2016/11/05(土)08:52 ID:7V/mSUfP(84/147) AAS
駅周辺[編集]
旧北海道紋別北高等学校などの通勤通学の最寄り駅として利用された。
国道238号(オホーツク国道)[2]
北海道紋別北高等学校 - 閉校。
紋別市立潮見中学校
紋別市立潮見小学校
モリタン本社兼工場
落石団地[2]
ウェンヒラリ岬 - 駅から北に約1km[1]
北紋バス
省6
171: 2016/11/05(土)08:54 ID:7V/mSUfP(85/147) AAS
紋別駅
曖昧さ回避 この項目では、国鉄(JR北海道)名寄本線の紋別駅について説明しています。1904年から1914年にかけて同名を称した函館本線の駅については「中ノ沢駅」をご覧ください。
紋別駅
もんべつ - Mombetsu
◄潮見町 (1.2km)(4.6km) 元紋別►
所在地 北海道紋別市幸町4丁目
北緯44度21分9.5秒
東経143度21分7.8秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
省12
172: 2016/11/05(土)08:54 ID:7V/mSUfP(86/147) AAS
目次 [非表示]
1 概要
2 歴史
3 駅構造
4 駅名の由来
5 利用状況
6 駅周辺
7 駅跡地の再開発
7.1 紋別市交流センター
8 隣の駅
省10
173: 2016/11/05(土)08:55 ID:7V/mSUfP(87/147) AAS
歴史[編集]
1921年(大正10年)
3月25日 - 鉄道省名寄東線中湧別駅 - 興部駅間開通に伴い開業。一般駅。
10月5日 - 名寄東線を名寄線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1968年(昭和43年)10月1日 - コンテナ基地設置[1]。
1971年(昭和46年) - 駅舎改築。PC造駅舎となる。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
省7
174: 2016/11/05(土)08:56 ID:7V/mSUfP(88/147) AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「モ・ペッ」(静かな川)に由来する[4]。地名起源となった川は元紋別駅附近を流れる藻鼈川のことである[4]。
駅周辺[編集]
国道238号(オホーツク国道)[5]
北海道道713号中渚滑紋別停車場線(旧・紋別停車場線)[5]
紋別市役所
紋別警察署
紋別警察署中央交番
紋別郵便局
紋別市立紋別中学校[5]
省12
175: 2016/11/05(土)08:57 ID:7V/mSUfP(89/147) AAS
駅跡地の再開発[編集]
廃止後も駅本屋ではJR紋別トラベルセンターが引き続き窓口営業を行ったほか、夏季の観光シーズンには駅周辺の中心市街地商業者でつくる紋別朝市運営協議会が駅駐車場やホームを会場にした観光朝市「ガリンコ朝市」を開催した[6]。
また1990年に紋別市は、中心市街地活性化をにらんだ大型ショッピングセンターやバスターミナル建設構想を盛り込んだ再開発計画を策定。
翌1991年には通商産業省の商業集積整備プロジェクト道内第1号に指定され、事業主体の第三セクター「紋別ニューシティ開発公社」が発足した[7]。
紋別市は駅跡地から南方の鉄道跡地を市道「メモリアル通り線」として再整備し、1995年には機関車の動輪を模した記念碑を建立。同年7月にはバスターミナルなどが入る紋別市交流センターがオープンした[8]。
しかし駅跡地の大半を占めるショッピングセンター計画については、バブル崩壊後の景気低迷と見通しの甘さから方針が二転三転するなど迷走した揚げ句、市は1998年に建設断念を正式に決定した[9]。
のちショッピングセンターの代替施設として2003年、観光商業施設と温浴施設を併設した「オホーツク氷紋の駅」が開業[10]。施設正面には鴻紋軌道の記念碑が設置され、同軌道をモチーフにヒット曲「銀色の道」を作曲した作曲家、宮川泰を招いて除幕式が行われた[11]。
176: 2016/11/05(土)08:57 ID:7V/mSUfP(90/147) AAS
紋別市交流センター[編集]

紋別市交流センター
紋別市交流センターにはバスターミナルが併設され、道北バス案内所では旭川・札幌方面の予約発券、
紋別旅行(「ハートフルツアー」紋別旅行店)では旅行代理店業務[12]のほか、北紋バスの乗車券類を取り扱う。2階は紋別観光協会や紋別振興公社がテナントとして入居している。
北紋バス
遠軽方面(北海道北見バスと共同運行、名寄本線廃止代替 )
公住前・上藻別駅逓方面
紋別空港方面
海洋交流館前方面(冬季運行)
高速流氷もんべつ号・特急オホーツク号 旭川・札幌方面(道北バス・北海道中央バス・ジェイ・アール北海道バスと共同運行)
省5
177: 2016/11/05(土)08:58 ID:7V/mSUfP(91/147) AAS
元紋別駅
元紋別駅
もともんべつ - Moto-Mombetsu
◄紋別 (4.6km)(4.9km) 一本松►
所在地 北海道紋別市元紋別
北緯44度19分20.1秒
東経143度22分39.2秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 97.7km(名寄起点)
省21
178: 2016/11/05(土)08:59 ID:7V/mSUfP(92/147) AAS
歴史[編集]
1921年(大正10年)
3月25日 - 鉄道省名寄東線中湧別駅 - 興部駅間開通に伴い開業。一般駅。
10月5日 - 名寄東線を名寄線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物取扱を専用線発着車扱貨物に限定。
1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。
1986年(昭和61年)11月1日 - 交換設備廃止、同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
省1
179: 2016/11/05(土)08:59 ID:7V/mSUfP(93/147) AAS
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
国鉄時代末期に無人化されるまでは、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった[1]。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム中央部分を結んだ構内踏切で連絡した[1]。
1983年(昭和58年)時点では、駅舎側単式ホーム(北東側)が下りの1番線、島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が1983年(昭和58年)時点では側線扱いの3番線となっていた[1]。3番線の外側(山側)に旧貨物側線を3線有し、そこから分岐した行き止まりの側線も1線有した。
そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]。附近にパルプ工場があり、貨物廃止までは専用線を有し貨物扱い量も多かった[1]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北東側に位置しホーム中央部分に接していた[1]。古い木造駅舎は改築され白く塗られた駅舎に変わっていた[1]。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、「紋別」の名の発祥地であるため[2]「元」を冠した。「紋別」はアイヌ語の「モ・ペッ」(静かな川)に由来し、地名起源となった川は当駅附近を流れる藻鼈川のことである[2]。
180: 2016/11/05(土)09:00 ID:7V/mSUfP(94/147) AAS
駅周辺[編集]
国道238号(オホーツク国道)[3]
北海道道305号紋別丸瀬布線
北海道道873号小向元紋別線
元紋別簡易郵便局(北紋バス本社内)
紋別市立元紋別小学校
藻鼈川[3] - 地名由来の川。
北紋バス・北海道北見バス「元紋別」停留所
駅跡[編集]
2001年(平成13年)時点では駅跡は消滅していたが、旧駅跡附近から遠軽方への築堤が残存していた[4]。
省2
181: 2016/11/05(土)09:00 ID:7V/mSUfP(95/147) AAS
一本松駅 (北海道紋別市)
一本松駅
いっぽんまつ - Ippommatsu
◄元紋別 (4.9km)(3.3km) 小向►
所在地 北海道紋別市元紋別
北緯44度17分34秒
東経143度25分22秒座標: 北緯44度17分34秒 東経143度25分22秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 102.6*km(名寄起点)
省19
182: 2016/11/05(土)09:00 ID:7V/mSUfP(96/147) AAS
歴史[編集]
1955年(昭和30年)12月25日 - 日本国有鉄道名寄本線の一本松仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。一本松駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっていた。
駅周辺[編集]
駅の廃止後、周辺には新たに紋別空港が建設(移転)された。
省8
183: 2016/11/05(土)09:01 ID:7V/mSUfP(97/147) AAS
小向駅
小向駅
小向駅(1989年3月)
小向駅(1989年3月)
こむかい - Komukai
◄一本松 (3.3km)(2.3km) 弘道►
所在地 北海道紋別市小向
北緯44度16分30.4秒
東経143度27分8.6秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
省24
184: 2016/11/05(土)09:02 ID:7V/mSUfP(98/147) AAS
歴史[編集]
1921年(大正10年)
3月25日 - 鉄道省名寄東線中湧別駅 - 興部駅間開通に伴い開業。一般駅。
10月5日 - 名寄東線を名寄線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1978年(昭和53年)12月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。同時に改札・出札業務を停止し旅客業務について無人化。但し運転要員は継続配置[1]。乗車券は簡易委託化。
1986年(昭和61年)11月1日 - 出札を再開。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる[注 1]。
省5
185: 2016/11/05(土)09:02 ID:7V/mSUfP(99/147) AAS
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「コムケ・ト」(曲がった沼)に由来する[2][3]。曲がった沼とはコムケ湖(小向沼)のことである[3]。
駅周辺[編集]
国道238号(オホーツク国道)[4]
小向郵便局
紋別市立小向小学校
畑作研究センター
コムケ原生花園[4]
コムケ湖 - 駅から東に約1.3km[2]。
北紋バス・北海道北見バス「小向」停留所
省3
186: 2016/11/05(土)09:03 ID:7V/mSUfP(100/147) AAS
弘道駅
弘道駅
こうどう - Kōdō
◄小向 (2.3km)(4.4km) 沼ノ上►
所在地 北海道紋別市弘道
北緯44度15分35秒
東経143度28分21秒座標: 北緯44度15分35秒 東経143度28分21秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 108.2*km(名寄起点)
省19
187: 2016/11/05(土)09:03 ID:7V/mSUfP(101/147) AAS
歴史[編集]
1956年(昭和31年)5月1日 - 日本国有鉄道名寄本線の弘道仮乗降場(局設定)として開業。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。同時に駅に昇格。弘道駅となる。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
駅構造[編集]
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北東側(遠軽方面に向かって左手側)に存在した。
仮乗降場に出自を持つ無人駅となっており、駅舎は無いがホーム横に待合所を有していた[2]。
ホームは木造で遠軽方にスロープを有し[2]駅施設外に連絡していた。ホーム は短い簡易型であった。
駅名の由来[編集]
当駅の所在する地名より。地名は、当地の入植者が水戸学の弘道精神を伝えたことに由来する[3]。
省7
188: 2016/11/05(土)09:04 ID:7V/mSUfP(102/147) AAS
沼ノ上駅
沼ノ上駅
旧沼ノ上駅(2010年8月)
旧沼ノ上駅(2010年8月)
ぬまのうえ - Numanoue
◄弘道 (4.4km)(4.6km) 旭►
所在地 北海道紋別市沼の上
北緯44度14分22.8秒
東経143度31分1.3秒
所属事業者 JR logo (hokkaido).svg北海道旅客鉄道(JR北海道)
省22
189: 2016/11/05(土)09:04 ID:7V/mSUfP(103/147) AAS
歴史[編集]
1921年(大正10年)
3月25日 - 鉄道省名寄東線中湧別駅 - 興部駅間開通に伴い開業。一般駅。
10月5日 - 名寄東線を名寄線に編入、それに伴い同線の駅となる。
1923年(大正12年)11月5日 - 線路名を名寄本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
1974年(昭和49年)10月1日 - 貨物取扱い廃止。
1978年(昭和53年)12月1日 - 荷物取扱い廃止。同時に無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
1989年(平成元年)5月1日 - 名寄本線の廃線に伴い廃止となる。
省5
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