「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って? (675レス)
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148
(1): 2013/02/20(水)19:12 ID:/P4jJk/F(2/2) AAS
そこから連想。似たモチーフでも、作者の個性による明からな違いが。

・みちしるべ
外部リンク[htm]:www5f.biglobe.ne.jp

Flash動画文芸祭に投下されたFlash。

練られた反復を用い、キャラクターの心の鼓動さえ伝わる、リリカルさ(詩っぽさ)と分かりやすさを兼ね備えた文章。
対比、構成、展開の妙。
淡く優しい色調で統一された挿絵。

その中でわたしが特に注目したのは文の魅せ方。
「私にはこの世界しかないんだ」の手書きによる切に迫った感じ。
省12
149: 2013/02/21(木)00:21 ID:q0hu/aHb(1/3) AAS
・みんなのうた「カゼノトオリミチ」
トトロの「風の通り道」じゃなかったんだね。
でも、これはこれでいいものだ。
優しい歌声が、ありそうな一つの日常をより叙情的に表現している。

空、森、人工物。ジブリアニメは本当に世界が美しい。
なびく髪やちょっとした表情などに「そこに人が生きている」感覚が詰まっている。

ここでの「カゼノトオリミチ」とは、人生の通り道。
都会で疲れた主人公は、休暇を取り愛する人が住む町に帰って来たんだね。
それはひょんなところから見つけた、人生の抜け道。
このまま、ずっと二人で暮らしていたい。主人公の心はゆれる。
省4
150: 2013/02/21(木)01:09 ID:q0hu/aHb(2/3) AAS
・みちしるべ
いや、素晴らしい作品だ。
物語としての構成の巧みさと、それにマッチして心を揺さぶる音楽と絵。
「文章系として、一つの完成形」というのは決して大げさではない。
これはネタバレするともったいない……けど、感想なのである程度ネタバレ前提で。

私達は、生まれる前はどこにいたのだろうか?
そう問うと、答えに詰まる人も多いかもしれない。
薄暗い母親の体内という一つの「狭い世界」から、
私達は「広い世界」へと進み出してきた。
進むか進まないかという自分の気持ちに関わらず、道が自分をはこんでいく。
省11
151: 2013/02/21(木)01:24 ID:q0hu/aHb(3/3) AAS
途切れた。

人間が「終点を拒否する」というのは古来から何人もの人々が願い、しかし未だに達成出来ていないもの。
たとえ道しるべがあったとしても、そんなに簡単に自分の意志で歩き出せないところであるはずだ。
そういう認識が自分の中にあるので、若干の違和感があった。
でも、これを知ることができて本当に良かった。それは偽らざる思い。

折角の機会なので、これに関しては日刊氏の見解も聞いてみたい。
152
(1): 2013/02/21(木)19:05 ID:foe/bbGQ(1) AAS
・道しるべ

妄想とネタバレ全開で!

人生という道。その終点は死のみに限らないんじゃないかなぁ。
だってここにある道は、窓を開け見えるのは、元々は先人達が歩み、開拓し、踏み慣らしたもの。(癒着によって年度末にやけに丁寧に工事されてきたもの)
だから終点の先を歩む。それはフロンティアを開き、足跡を残し、路を創り、後人に渡すということ。
それは定められた道を歩んでいくよりも、ずっとずっと緩やかで辛く険しいことだろうけど、きっと素敵なことですよね。
一方で迷い続けて一向に終点にはたどり着けそうもないわたしみたいな人も決して少なくないのでしょうが……

>この道を行けばどうなるものか。
>危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。
>迷わず行けよ、行けばわかるさ。
省12
153: 2013/02/21(木)21:51 ID:Asiplwql(1) AAS
>>152

>人生という道。その終点は死のみに限らないんじゃないかなぁ。

なるほど、そういう見方には気づかなかった。胡散臭いなんてとんでもない、重要な視点だと思う。
そうすると、たとえば「定年を迎えてのリタイア」(何かが見えてくると思い一心に仕事に打ち込んだが、最後には何も無かった)
という見方もできるのかもしれない。それ以上は、作者のみぞ知るところなのだろうが。

解釈の幅広さはともすれば欠点にもなるけれど、確かにそれに対する作者の覚悟めいたものを感じました。
間接的な表現を突き詰めてこそ、達することができる境地がある。
このFLASHは、そこが魅力的であることに異存はありません。
154: 2013/02/21(木)22:14 ID:qi6kZKoe(1/5) AAS
それでは、今度は私から。

「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」
動画リンク[YouTube]

私はロシア民謡が好きで、特にカチューシャを良く聞きます。
その中でもこれはアコーディオンの響きと力強い歌声がお気に入りで、
3分があっという間に感じ、つい何度もリピートしてしまっています。

一つの見方として、これはメロディーとリズムで人気がある曲です。
ひたすらに無心で聞いて高揚感を得るのが、楽しみ方の一つでしょう。
百聞は一見に如かず。まずはこの歌の魅力に触れてみてください。
155: 2013/02/21(木)22:18 ID:qi6kZKoe(2/5) AAS
ただ、私はこの曲の歌詞の意味を知るとより深く鑑賞出来るものだと思っています。
折角なので私なりに、それについて触れておこうと思います。

一般に歌われている日本語版の歌詞は、このようになっています。

リンゴの花ほころび 川面にかすみたち
 ■君なき里にも 春は忍び寄りぬ …繰り返し…

岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌
 ■春風優しく吹き 夢がわくみ空よ …繰り返し…

カチューシャの歌声 遥かに丘を超え
 ■今なお君をたずねて 優しその歌声 …繰り返し…
省2
156: 2013/02/21(木)22:22 ID:qi6kZKoe(3/5) AAS
これ、シンプルな歌詞のようで、実は歌詞の解釈がかなり割れます。
まず、前提としてカチューシャはここでは女性の名前を指します。で、恋人がいます。
そこで「君なき」の「君」とは誰なのか? カチューシャか、その恋人かです。これが難しい。
また「なき」は「亡くなった」のか「いなくなった」のかも解釈上微妙なところです。

もし「君」がカチューシャならば、これは恋人を慕う歌詞です。
里で、どこかへ行ってしまった恋人を想って歌うという情景ですね。
このときに「亡くなった」であれば歌声が届く場所は天国ですし、
「いなくなった」であれば、どこかは分かりませんが遠くの場所ということになります。

逆に「君」がカチューシャの恋人ならば、カチューシャを慕う歌詞になります。
恋人がかつての「岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌」を思い出し、
省6
157: 2013/02/21(木)22:29 ID:qi6kZKoe(4/5) AAS
しかしロシア語版の訳を調べてみると、はっきりとどちらであるかが分かります。

咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩みゆく
霧のかかる険しく高い河岸に

カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙

おお 歌よ 乙女の歌よ
省11
158: 2013/02/21(木)22:30 ID:qi6kZKoe(5/5) AAS
端的で無駄のない表現の中に、格調高さが光る秀逸な訳だと思います。
もちろん歌うリズムの関係もありますが、これを見ると日本語版は相当省略されているのが分かります。
これは、戦場に行った恋人を想って歌うカチューシャのお話だったのですね。
この訳を踏まえながらもう一度映像を見たとき、私には何も考えずに見た時とはまた違った感慨がありました。
「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。

カチューシャは恋人をひたすらに信じ、彼はそれを心の奥で切実に受け止めながらも前を向く。
それがあえて高らかに歌いあげられているからこそ、多くの人々の心を動かす。
自然に観衆が音楽と一体となっている姿を見ると、そう思えてなりません。

これは厳密な意味でのFLASHではないかもしれませんが、
「人の心を動かすものとは何か」という視点においては、何かしらの参考になるのではないかと私は思っています。
159
(1): 2013/02/22(金)20:37 ID:4H6RwBeb(1) AAS
>「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」

高速の変化球のようで、受け止められないー。きっとかなりの労苦を背負って、贈ってくださった言葉なのに。無知なわたしを許してください。

あー、テトリスの曲ダー。ってのがわたしの第一印象。もうね、そこから、教養のなさを察してください。
このメロディーの中毒性は、わたしも含め沢山の日本人が、古びた旅館の遊技場とかで経験していると思う。

ドラムのようなビートが気持ちいい。胸に響いてきた。踊りたく。
何かの本にあった、ダンスの輪に入らないで外から聞いたオクラホマミキサーって、もうどうしようもなく物悲しいって言葉を連想しました。
歌になると濁音が雰囲気を作っていて、言語や声は一種の楽器なんだと改めて思う。想い出にまた一つ色が加わりました。ありがとう!

歌詞はふむふむ、解釈によってそんなに変わってしまうものなんですね。
創作物は、作り手と受け手の相互作用で意味をなすと捉えていただけに、新鮮な驚きでした。
「作り手」、「受け手」、の間にある「訳者」、「仲介者」によって如何様にも変化する。きっとそれはFlashを含めあらゆるものについて回るものなんだろうな。
省8
160: 2013/02/23(土)15:21 ID:dF77p7o7(1) AAS
>>159

ストライクゾーンは人それぞれですから、お気になさらず。
ワイルドピッチが怖くてピッチャーなんぞ出来ませんからね。
(何食わぬ顔をしてワイルドピッチを重ねるARAKAKIはそれはそれでどうかと思う)

むしろ、ストライクゾーンから外れた球でも取ろうとしてくれるその姿勢が有り難い。
人に何かを呈示しあうときに大切なのは、やはりそういう心意気だと思うんだ。

ちなみに、テトリスの有名な曲はコロブチカだったりします。
カチューシャとは微妙に違いますが、おんなじ様なものなので気にしないでください。
カチューシャと並んで私も好きな曲です。高揚感と中毒性。
ここで「テトリスはなぜ大ヒットしたのか?」に関する考察を展開したいところですが、紙面の都合で割愛させて頂きます。
省11
161
(1): 2013/02/23(土)19:47 ID:slniWMVb(1/2) AAS
そう受け取ってもらえると心が軽くなります。
多分わたしは全力投球しても、キャッチャーミットに届かないんじゃないかな。ワンバン、ツーバンと。

うわー、テトリスは間違いだったのかぁ。しかもゲームボーイだったとは。
まー、わたしの無学なところはより鮮明に伝わったようで、それはそれでいいか。本当にいい加減なやつだな、わたし。

>仮に戦争を絶対悪としたとしても、愛と真実が真っ赤なニセモノだったとしても。
>カチューシャとその恋人には、罪はないのではないでしょうか。

あー、いや、歌自体を、否定するつもりは全くなかったです。
きっと恐らく物凄く寒く、過酷な状況で沢山歌われ、心を慰めたこの歌は、それだけ人を惹きつける魅力があったんでしょう。

「愛」と「真実」、「正義」と「悪」、わたしは何というかほんとーにダメなやつだなぁ、
何かそういう言葉に憧れつつも、自分のものとして馴染まないなぁ、
省6
162
(1): 2013/02/23(土)19:48 ID:slniWMVb(2/2) AAS
>FLASH界の中で、再びこのカチューシャのライブのように人を集め気持ちが一つになれる「何か」が生み出されることを願ってやみません。

兄の全盛期のFlash紅白の受け止め方です。
外部リンク:www.logsoku.com
兄は不器用な人で、沢山人がやって来ると逃げちゃう人なんですね。このスレ立てたみたいに。
でも、そんな兄の言葉を振り返ってみると、好きです。当時はどちらかというと苦手だったんですけど。
この他にも沢山の人と騒ぎ合って、出会いがあって、本当に無駄に、でも幸せに、時間を過ごしたようです。
今年はこれだけ魅力的なコンテンツなのに、反応が少なすぎて……
ちょっと面白いのがあるのですよ、もっともっと寄ってらっしゃいって気持ちはあるのですが。
ベテランさんみたいな人が、そう願い続ける限り、きっと、まだ終わらないと思います。
作者さんも名無しになって、積極的にスレに参加すれば感想を書き残す雰囲気があれば、とわたしは思います。恥は書き捨てる為にある。
省3
163: 2013/02/24(日)01:47 ID:yXyYV4Uy(1/2) AAS
>>161>>162

無学なんて卑下しないでください。
私も学があるわけではなく、凡庸な一人に過ぎません。
私の文章の半分は知ったかぶりで出来ています。残りの半分は優しさでありたい。

>例えば今はFlash系ゲームの全盛期。黄金期。ソーシャルゲームってやつです。CMで沢山の人に認知され、お金をガンガン稼いでます。
>でも周りの声を聞いていると、ちょっと怖いですよね。バブリーでもあり、ギャンブルでもあり。必ずしも笑顔を作っているとは思えない。

モバゲー、グリー等の台頭は、GBとファミコンから任天堂に親しんできた私にとってはどこか寂しいものがあります。
ただ、任天堂とソニーを筆頭としたゲーム業界の斜陽は、どことなくFLASHの辿ってきた状況に似通っている気がします。
ここで私としては「ゲーム業界の現状についての一考察」を書いておきたいけれども長くなるので割愛。

そして「第三回紅白FLASH合戦」……その感想を改めて見る機会を与えてくれて感謝したい。
省4
164: 2013/02/24(日)01:48 ID:yXyYV4Uy(2/2) AAS
>作者さんも名無しになって、積極的にスレに参加すれば感想を書き残す雰囲気があれば、とわたしは思います。恥は書き捨てる為にある。
>そうすれば少なくとも三十人分の歓声が響くのだから。

これは的のど真ん中なところで。
私が今回の紅白を通じて訴えてきたことは正にそれなので、理解してくれる方がいて本当に嬉しい。
職人の方々が聞いたら厳しいと感じるかもしれないが、
「FLASHがそこにある」だけで他人から感想をもらえる時代は、もはや終わりを告げたと言っていいだろう。
感想はオマケと考えて趣味を貫くか、開き直って営業努力をするか。
その二択に迫られるのではないかな。。。
あと運営の方々は、どちらかといえば展示会みたいな方向性を考えているのだろう。
なんだろう、上手くいえないが……/upの二の舞になるのを避けてくれれば、あとは何も申しません。
省3
165
(1): 2013/02/24(日)13:21 ID:RTDvrn7m(1) AAS
ほたーるのひかーり まどーのゆきー
フィナーレは近いかな?

あー、わたしは、自己ヒゲと嘘ばっかりで、周りから変にひかれてしまい、ご心配をおかけになるかもしれませんが、そんな自分が好きでもあり。
だからあまり心配なさらないで。でもお心遣いありがたいです。

わたしは、むしろモバゲーやグリーの方に、加えればKPOPのようなものに、嘗てのFlashブームを投影してしまう。あの頃も多くの人が夢を見てそれ故に傷つ(以下略)
人は飽きっぽい動物なんですよね。

slashup、あれは絶望的だった。のまねこ騒動、あれも酷かった。あれから暫く兄もわたしもFlash板から離れていた。
ベテランさんはあの時代を乗り越えていたのかー。それはとても、有難い、ありがたいことだなー。

感想は営業どころか自分の為になりますよ。力になりますよ。Flashとは別分野のわたしが言うんだから、間違いない(おいおい)
モノの見方が広がり、言語化することで心をより豊かにし。思いを綴るキッカケとなり、文集力は自然と上がり、とても前へ進む心の刺激を与えてくれる。
省6
166: 2013/02/24(日)20:24 ID:/7ItWSrc(1/2) AAS
>>165

>わたしは、むしろモバゲーやグリーの方に、加えればKPOPのようなものに、嘗てのFlashブームを投影してしまう。

ああ、そういう見方も確かに。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。
ブームがやってきて、終わった。それだけのことなのかもしれませんね。

>感想は営業どころか自分の為になりますよ。力になりますよ。Flashとは別分野のわたしが言うんだから、間違いない(おいおい)
>モノの見方が広がり、言語化することで心をより豊かにし。思いを綴るキッカケとなり、文集力は自然と上がり、とても前へ進む心の刺激を与えてくれる。
>それにニコニコやyoutubeみたいに気軽にコメントできる場所も増えた。嘗ては絶滅したかのような著作権侵害の黒作品どころか真っ黒なものも増えた。嗚呼バンプオブチキン。
>Flash制作に関わる人なら、尚更。作品を見るだけでも得るものがあるし、正面から向き合うことで、する方も受ける方もお互い技術や魅せ方を学ぶ修練にもなるでしょう。

全く同意見です。しかし、今残っている職人様方は、奥ゆかしい方々が多いようで。
昔は、名有りでも職人の方々の感想が飛び交っていました。ですが、今はその土壌は失われてしまったようです。
省2
167: 2013/02/24(日)20:25 ID:/7ItWSrc(2/2) AAS
>共同体ができても多分、わたしは離れていくだろうなー。こんなヤツが何処かに一人くらいいてもいいよね?
>わたしは第三回紅白の頃よりも、今の方が好き。この世界は思ってたより素晴らしく、この足は自分で思ってたより頑丈みたい。

日刊氏はそういうスタンスなのでしょうね。もちろん、結構なことでしょう。
共同体というのは、意志の集まりが先にありそれが実体化したものです。
ですから、根源的には意志を持たないものを縛り付けるためのものではない。まあ、それも今の時点では仮定の話です。
皆が間接的にせよFLASHの個化、分節化を望むというのであれば、もはや私にできることはないですから。
正直なところ、私には、日刊氏が自分一人で歩いていけることが羨ましいです。
もし他の人も思い思いに歩いていけるのなら、私はまた山上の隠者として、雲海を見ながら風を感じていたいかな。。。
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