◆三島由紀夫の遺訓◆ (511レス)
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247: 2011/03/03(木)11:35 ID:HAF933Dl(5/6) AAS
革命は行動である。行動は死と隣り合はせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に
入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは
人間性の自然である。
明治維新は、私見によれば、ミスティシズムとしての国学と、能動的ニヒリズムとしての陽明学によつて準備された。
本居宣長のアポロン的な国学は、時代を経るにしたがつて平田篤胤、さらには林桜園のやうなミスティックな
神がかりの行動哲学に集約され、平田篤胤の神学は明治維新の志士達の直接の激情を培つた。
また、これと並行して、中江藤樹以来の陽明学は明治維新的思想行動のはるか先駆といはれる大塩平八郎の乱の
背景をなし、大塩の著書「洗心洞箚記」は明治維新後の最後のナショナルな反乱ともいふべき西南戦争の首領
西郷隆盛が、死に至るまで愛読した本であつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
248: 2011/03/03(木)11:36 ID:HAF933Dl(6/6) AAS
また、吉田松陰の行動哲学の裏にも陽明学の思想は脈々と波打つてをり、一度アカデミックなくびきをはづされた
朱子学は、もとの朱子学が体制擁護の体系を完成するとともに、一方は異端のなまなましい血のざわめきの中へ
おりていき、まさに維新の志士の心情そのものの思想的形成にあづかるのである。
主観哲学であり、且つ道理を明らかにすることによつて善悪を超越する哲学であるこの陽明学といふ危険な思想は、
丸山氏のいふところの、まさに逆を行つて、権力擁護の朱子学、徂徠学の一分派といふ仮面に隠れながら、その実、
もつとも極端なラディカリズムと能動的ニヒリズムの極限へ向かつて進んでいつた。その「良知」とは、単に
認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入つて創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、
武士的な行動原理と思はれる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもつとも危険な消息を伝へるものであつた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
249: 2011/03/04(金)11:12 ID:mAy/8bsu(1/5) AAS
(中略)
私はさつき、死に直面する行動がニヒリズムを養成するといふことを言つた。陽明学の時代にはニヒリズムと
いふ言葉はなかつたから、それは大塩平八郎(中斎)の中斎学派がとりわけ強調した「帰太虚」の説の中に
表はれてゐる。
「帰太虚」とは太虚に帰するの意であるが、大塩は太虚といふものこそ万物創造の源であり、また善と悪とを
良知によつて弁別し得る最後のものであり、ここに至つて人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると
主張した。彼は一つの譬喩を持ち出して、たとへば壷が毀(こは)されると壷を満たしてゐた空虚はそのまま
太虚に帰するやうなものである、といつた。壷を人間の肉体とすれば、壷の中の空虚、すなはち肉体に包まれた
思想がもし良知に至つて真の太虚に達してゐるならば、その壷すなはち肉体が毀されようと、瞬間にして永遠に
偏在する太虚に帰することができるのである。
省3
250: 2011/03/04(金)11:13 ID:mAy/8bsu(2/5) AAS
ただ、この太虚が仏教の空観に、ともすると似てきてしまふことは、森鴎外も小説「大塩平八郎」の中でそれとなく
皮肉に指摘してゐる。仏教の空観と陽明学の太虚を比べると、万物が涅槃の中に溶け込む空と、その万物の
創造の母体であり行動の源泉である空虚とは、一見反対のやうであるが、いつたん悟達に達してまた現世へ
戻つてきて衆生済度の行動に出なければならぬと教へる大乗仏教の教へにはこの仏教の空観と陽明学の太虚を
つなぐものがおぼろげに暗示されてゐる。ベトナムにおける抗議僧の焼身自殺は大乗仏教から説明されるが、
また陽明学的な行動ともいふことができるのである。
陽明学をごく簡単に説明したものとしては、井上哲次郎博士の「王陽明の哲学の心髄骨子」といふ古い論文がある。
(中略)明代の哲学者王陽明は朱子哲学の反動としておこつた人であるが、朱子哲学が二元論であつたので、
これに対して一元論の哲学を唱導し、陸象山の思想を受けてこれに自由主義的あるひは平等主義的な傾向を与へて
陽明学を体系づけた。
省1
251: 2011/03/04(金)11:16 ID:mAy/8bsu(3/5) AAS
(中略)
そもそも陽明学には、アポロン的な理性の持ち主には理解しがたいデモーニッシュな要素がある。ラショナリズムに
立てこもらうとする人は、この狂熱を避けて通る。
もちろん、認識と行動との一致といふことを離れて考へてみても、われわれが認識ならぬ知に達する方法としては
古人がすでに二つの道を用意してゐた。一つは、認識それ自体の機能を極限までおし進めるアポロン的な方法であり、
一つは、理性のくびきを脱して狂奔する行動に身をまかせ、そこに生ずるハイデッガーのいはゆる脱自、陶酔、
恍惚、の一種の宗教的見神的体験を通じて知に到達するといふ方法である。これは哲学の中の二つの潮流を
形づくると同時に、人間の行動様式、行動様式の表はれとしての倫理や文化などの、すべての分岐点として現はれた。
陽明学を革命の哲学だといふのは、それが革命に必要な行動性の極致をある狂熱的認識を通して把握しようとした
ものだからである。私がかう言ふのは、学問によつてではなく行動によつて今日までもつとも有名になつてゐる
省2
252: 2011/03/04(金)19:44 ID:mAy/8bsu(4/5) AAS
(中略)
大塩が思ふには、われわれは天といへば青空のことだと思つてゐるが、こればかりが天ではなくて、石の間に
ひそむ空虚、あるひは生えてゐる竹の中にひそんでゐる空虚もまつたく同じ天であり、太虚の一つである。
この太虚は植物、無機物ばかりではなく、人間の肉体の中にも口や耳を通じてひそんでゐる。われわれが持つて
ゐる小さな虚も、聖人の持つてゐる虚と異なるところはない。もし、誰であつても心から欲を打ち払つて太虚に
帰すれば、天がすでにその心に宿つてゐるのである。誰でも聖人の地位に達しようと欲して達し得ないことはない。
「聖人は即ち言あるの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり」
太虚に帰すべき方法としては、真心をつくし誠をつくして情欲を一掃し、そこへ入つていくほかはない。形の
あるものはすべて滅び、すべて動揺する。大きな山でさへ地震によつてゆすぶられる。何故なら形があるからである。
しかし、地震は太虚を動かすことはできない。これでわかるやうに心が太虚に帰するときに、初めて真の「不動」を
省2
253: 2011/03/04(金)19:44 ID:mAy/8bsu(5/5) AAS
すなはち、太虚は永遠不滅であり不動である。心がすでに太虚に帰するときは、いかなる行動も善悪を超脱して
真の良知に達し、天の正義と一致するのである。
その太虚とは何であるか。人の心は太虚と同じであり、心と太虚とは二つのものではない。また、心の外にある虚は、
すなはちわが心の本体である。かくて、その太虚は世界の実在である。この説は世界の実在はすなはちわれであると
いふ点で、ウパニシャッドのアートマンとはなはだ相近づいてくる。
大塩平八郎はその「洗心洞剳記」にもいふやうに、「身の死するを恨みずして心の死するを恨む」といふことを
つねに主張してゐた。この主張から大塩の過激な行動が一直線に出てきたと思はれるのである。心がすでに太虚に
帰すれば、肉体は死んでも滅びないものがある。だから、肉体の死ぬのを恐れず心の死ぬのを恐れるのである。
心が本当に死なないことを知つてゐるならば、この世に恐ろしいものは何一つない。決心が動揺することは絶対ない。
そのときわれわれは天命を知るのだ、と大塩は言つた。
省1
254: 2011/03/07(月)11:42 ID:Fr6MGjUQ(1/7) AAS
(中略)
われわれは心の死にやすい時代に生きてゐる。しかも平均年齢は年々延びていき、ともすると日本には、平八郎とは
反対に、「心の死するを恐れず、ただただ身の死するを恐れる」といふ人が無数にふえていくことが想像される。
肉体の延命は精神の延命と同一に論じられないのである。われわれの戦後民主主義が立脚してゐる人命尊重の
ヒューマニズムは、ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問はないのである。
社会は肉体の安全を保障するが、魂の安全を保障しはしない。心の死ぬことを恐れず、肉体の死ぬことばかり
恐れてゐる人で日本中が占められてゐるならば、無事安泰であり平和である。しかし、そこに肉体の生死を
ものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が
底流することになるのである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
255: 2011/03/07(月)11:43 ID:Fr6MGjUQ(2/7) AAS
(中略)
大塩平八郎の死は、前にも言つたやうに天保八年三月のことであつたが、それから四十年を経た、西郷南洲の
西南の役における死に思ひ及びと、西郷の生涯が再び陽明学の不思議な反知性主義と行動主義によつて貫かれて
ゐることにわれわれは気づく。西郷の「手抄言志録」によれば、その第二十一には、死を恐れるのは生まれてから
のちに生ずる情であつて、肉体があればこそ死を恐れるの心が生じる。そして死を恐れないのは生まれる前の
性質であつて、肉体を離れるとき初めてこの死の性質をみることができる。したがつて、人は死を恐れるといふ
気持のうちに死を恐れないといふ真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に帰ることである、
といふ意味のことをいつてゐる。
現にま西郷は幕吏に追はれた親友の僧月照と共に薩摩の海に舟を浮かべ、月照が示した和歌に同感して直ちに
彼と共に相擁して海に身を投じたことがある。そのときに死んだのは月照だけで、西郷は蘇ることになるのであるが、
省2
256: 2011/03/07(月)11:43 ID:Fr6MGjUQ(3/7) AAS
(中略)
この(「南洲遺訓」)文章などは、われわれの中で一人の人間の理想像が組み立てられるときに、その理想像に
同一化できるかできないかといふところに能力の有無を見てゐる点で、あたかも大塩平八郎の行動を想起させる
のである。聖人がわれわれの胸奥に住むならば、その聖人とわれわれとは同格でなければならない。甚だ傲慢な
哲学であるが、それはあたかも「葉隠」の、「われは日本一なりとの増上慢なくてはお役に立ち難し」といふやうな
自我哲学の絶頂と照応してゐる。
このやうな同一化の可能性が生じないで、ただおとなしくこれを学び、ひたすら聖人に及ばざることのみを考へて
ゐるところからは、決して行動のエネルギーは湧いてはこない。同一化とは、自分の中の空虚を巨人の中の空虚と
同一視することであり、自分の得たニヒリズムをもつと巨大なニヒリズムと同一化することである。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
257: 2011/03/07(月)11:44 ID:Fr6MGjUQ(4/7) AAS
そのやうな行動の、次元を絶した境地は、吉田松陰が獄中から品川弥二郎に送つた書簡の中にもうかがはれる。
松陰は一つの空虚を巨大な空虚に結びつけ、一つの小さな政治的考慮を最高の理想に結びつけて、小さな行動を
最終の理念に直結させるための跳躍の姿勢をさまざまにためした。そのとき狭い獄舎の中で松陰が試みた精神的
ジャンプは、たちまち日常生活の次元を超えて、空間と時間とを新しい次元へ飛躍させたのである。
松陰が入つていつたこのやうな心境を証明するもつとも恐ろしく、私の忘れがたい一句は、「天地の悠久に比せば
松柏も一時蠅なり」といふものだ。(中略)
そのとき松陰は、人生の短さと天地の悠久との間に何等差別をつけてゐなかつた。われわれの生存がもつてゐる
種々の困難、われわれの日々の生が担つてゐるもろもろの条件を脱却して、直ちに最小のものから最大のものに、
もつとも短いものからもつとも長いものへ一ぺんに跳躍し、同一視する観点を把握してゐた。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
258: 2011/03/07(月)15:30 ID:Fr6MGjUQ(5/7) AAS
(中略)
この陽明学はおそらく、乃木大将の死に至つて、日本の現代史の表面から消えていつたやうに思はれる。その後、
陽明学的な行動原理は学究を通じてではなくて、むしろ日本人の行動様式のメンタリティーの基本を形づくることに
なつて、ひそかに潜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るまで、日本人が企てた行動には、
西欧人が企及し得ぬ、また想像し得ぬさまざまな不思議な要素がふくまれてゐる。そしてその日本人の政治行動
自体には、完全な理性主義や主知主義に反するところの不思議な暴発状況や、無効を承知でやつた行動のいくつかの
めざましい事例がみられるのである。
何故日本人はムダを承知の政治行動をやるのであるか。しかし、もし真にニヒリズムを経過した行動ならば、
その行動の効果がムダであつてももはや驚くに足りない。陽明学的な行動原理が日本人の心の中に潜む限り、
これから先も、西欧人にはまつたくうかがひ知られぬやうな不思議な政治的事象が、日本に次々と起ることは
省2
259: 2011/03/07(月)15:30 ID:Fr6MGjUQ(6/7) AAS
日本における革命運動は、日本的革命とは何ぞやといふ問題をひさしく閑却してきた。革命はすべて外来思想であり、
マルクシズムも亦西欧の近代化の一翼に乗つて日本に入つてきた一思想であつた。そして、日本といふアジアの
後進国家が物質文明による近代化に乗り出したときに、その近代化に随伴する一つのアンチテーゼの思想が
移入されたのは必然的であつた。そして、マルクシズムの思想の日本化のためには、苦しい血のにじむやうな
努力が要つた。
転向の問題は、一度、外来思想を人間の肉体と心情を通して濾過し、その心情の根底において思想とは何ものかを
問ふといふことによつて、日本の知識人に重要な歴史的転機を与へた。もし、あの転向の思想的体験が戦後の
革命思想に正当に貫かれてゐたならば、私は「日本的革命とは何ぞや」といふ問題が、真に展開されてゐたで
あらうと思ふ。
しかしながら、戦後のアメリカ民主主義による突如の解放によつて、革命思想の日本化肉体化といふ問題は一時
省2
260: 2011/03/07(月)15:30 ID:Fr6MGjUQ(7/7) AAS
即ち、それは再び啓蒙思想に復帰し、近代主義に立ち戻り、すべてを振り出しから始めるといふ新しい楽天的な、
再度の近代化西欧化の代表をつとめるやうになつたのだ。戦後、このやうな近代主義がたちまち破綻したのは
当然のなりゆきである。
その後の新左翼の勃興は、かうした混迷、矛盾を経て老朽化していつた共産党的革命思想に対するアンチテーゼで
あつたが、その後被ら自身が自分の思想の肉体化といふことについて、風土性の問題から離れざるを得ぬといふ
時代的環境に置かれていつた。すでに農地改革以後、ブルジョア革命が成就した日本で、極度の急激な工業化と共に
大衆社会化状況が生まれ、工業化、都市化の進展は農村人ロの減少をもたらし、その思想の風土性は、帰るべき
故郷を失つた状態にあつた。主に学生運動は都市から発生し、その都市化の極点における空白においてのみ、
一般の大衆の精神的空白と相わたつた。そのとき、もはや革命思想は日本的、風土的なものに還元されるべき
手がかりを失つてゐた。
省1
261: 言い男 2011/03/07(月)18:26 ID:JfY6N6OI(1) AAS
個人
262: 2011/03/08(火)10:34 ID:u5UNyE6e(1/8) AAS
(中略)
七〇年は予想されたやうな波瀾も見せずに、再び占領体制下と同じやうな論理が復活するのに役立つた。いまや
自民党も共産党も同じやうな次元の議会主義政党に堕し、共に政治目標実現の最終的な不可能を知りながら、
目前の事態の処理によつて大衆社会をどちらがより多く味方に引きつけるか、といふ術策に憂き身をやつすやうに
なつた。このやうな政治行動は、すみずみまでソロバンづくの有効性によつて計量され、有効性の判断が政治行動の
メリットの唯一の基準になつた。すでに自民党がさうである如く、共産党も政権獲得のための票数の増加と、
日常活動による市民生活への浸透に目安をおいて、一刻一刻、一日一日の政治行動を、すべてこのプラクティカルな
目的に対する有効性によつて判断してゐる。
それをジャーナリズムはまた、理想主義の終焉、あるひは脱イデオロギーの時代が来たとよんでゐる。そして
工業化社会の果てに、ポスト・インダストリアル・ジェネレーション、脱工業化社会が来るといふことは、つとに
省2
263: 2011/03/08(火)10:35 ID:u5UNyE6e(2/8) AAS
工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によつて埋められ、精神の飢ゑが再び飽満した食欲によつて
満たされることになつた。そして先にも言つたやうに、人は心の死、魂の死を恐れないやうになつたのである。
陽明学が示唆するものは、このやうな政治の有効性に対する精神の最終的な無効性にしか、精神の尊厳を認めまいと
するかたくなな哲学である。いつたんニヒリズムを経過した尊厳性が精神の最終的な価値であるとするならば、
もはやそこにあるのは政治的有効性にコミットすることではなく、今後の精神と政治との対立状況のもつとも
きびしい地点に身をおくことでなければならない。そのときわれわれは、新しい功利的な革命思想の反対側に
ゐるのである。陽明学はもともと支那に発した哲学であるが、以上にも述べたやうに日本の行動家の魂の中で
いつたん完全に濾過され日本化されて風土化を完成した哲学である。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
264: 2011/03/08(火)10:35 ID:u5UNyE6e(3/8) AAS
もし革命思想がよみがへるとすれば、このやうな日本人のメンタリティの奥底に重りをおろした思想から
出発するより他はない。一方、国学のファナティックなミスティシズムが現代に蘇ることがはなはだむづかしいと
するならば、陽明学がその中にもつてゐる論理性と思想的骨格は、これから先の革新思想の一つの新しい芽生えを
用意するかもしれない。
われわれの近代史は、その近代化の厖大な波の陰に、多くの挫折と悲劇的な意欲を葬つてきた。われわれは西洋に
対して戦ふといふときに何をもとにして戦ふかを、つひに知らなかつた。そして西欧化に最終的に順応したもの
だけが、日本の近代における覇者となつたのである。明治政府自体が西欧化による西欧に対する勝利といふ理念を
掲げたときに、その実力による最終証明となつたものは日露戦争であつたから、その後の日本は西欧的な戦争を
戦ふことによつて西欧に打ち勝つといふ固定観念に向かつて進んで、第二次大戦の破局に際会した。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
265: 2011/03/08(火)10:35 ID:u5UNyE6e(4/8) AAS
一方目ざめたアジアは、アジア独特の思考によりベトナムや中共で西欧化に対するしたたかな抵抗の作戦を展開した。
それらはもちろん、地理的な条件やさまざまな風土的な条件の恵みによることはもちろんであるが、日本が
貿易立国によつて進まねばならない島国といふ特性を有しながらも、アジアの一環に属することによつて西欧化に
対する最後の抵抗を試みるならば、それは精神による抵抗でなければならないはずである。
精神の抵抗は反体制運動であると否とを問はず、日本の中に浸潤してゐる西欧化の弊害を革正することによつてしか、
最終的に成就されない道である。そのとき革新思想がどのやうな形で西欧化に妥協するかによつて、無限にその
政治的有効性の方向に引きずられていくことは、戦後の歴史が無惨に証明した如くである。われわれはこの
陽明学といふ忘れられた行動哲学にかへることによつて、もう一度、精神と政治の対立状況における精神の
闘ひの方法を、深く探究しなほす必要があるのではあるまいか。
三島由紀夫「革命哲学としての陽明学」より
266: 2011/03/08(火)19:45 ID:u5UNyE6e(5/8) AAS
安保体制はそれ一つで孤立してゐる問題ではなく、わかり切つたことですが、新憲法とワンセットになつてゐて、
どうしても切り離せないやうにできてゐて今も続いてゐる。このワンセット関係、換言すれば、シャムの双生児の
やうにおなかまでつながつてゐて頭が二つといふ状況を十分把握しておかないと、安保、憲法は論じられないと
思つてゐる。安保は新憲法における欠陥、すなはち安全保障についての無力を補填するといふ形でできてゐる。
アメリカの本音としては日本を属国にしておきたいけれども、まあ日本が強くならない程度の憲法ぐらゐは
与へておかうと考へたわけですね。さういふ背景を考へると、安保、さらに沖縄の問題が派生的な二次的な
問題だといふことがはつきりしてくる。
私が諸君に、目前の変転する事象に惑はされることなく、根本的なことだけを考へてくれと言ふのは、憲法が
このままでは、日本の防衛問題も最終的な解決はつかない、日本が本当に姿勢を正して本来の姿に戻るには、
このままではだめだと思ふからであります。
省1
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